シーン確立以前に気付いていた、坂本龍一のポスト・クラシカル的音楽表現

坂本龍一 『BTTB -20th Anniversary Edition-』 ワーナー(2018)

ポスト・クラシカルというジャンルが持つ可能性のひとつとして、電子音響~エレクトロニカ以降の耳/ボキャブラリーでクラシックや現代音楽を捉え直すということが挙げられる。ポスト・クラシカルを代表するレーベル〈Erased Tapes〉に所属する音楽家たちが、クラシック音楽のボキャブラリーを用いてアコースティックなサウンドを構築する一方、そこにデジタルな要素を加味しようとするのは、こういった文脈があってのことだ。空気の微細な震えをキャッチし、それを加工することで作曲に取り入れ、音楽の新しい地平に挑もうという試みがここにはある。

今回、リマスタリングを経てリリースされる『BTTB -20th Anniversary Edition-』で、ピアノ・サウンドにフォーカスを当てた『BTTB』を改めて聴くと、ポスト・クラシカルがシーンとして確立されるはるか以前に、坂本龍一はポスト・クラシカル的な音楽表現の在り方に気付いており、それに着手していたのではないか、ということがひとまず言える。だからシーンの牽引者であるオーラヴル・アルナルズは彼からの影響を隠さないし、今年惜しくも他界してしまったヨハン・ヨハンソンは、坂本龍一の最新作『async』のリミックス盤『async - REMODELS』に参加しており、彼と交友があった。また、坂本は21世紀に入って、電子音響~エレクトロニカの作曲家であるカールステン・ニコライことアルヴァ・ノトやクリスチャン・フェネス、テイラー・デュプリーとコラボ作をリリースすることになる事実も、彼がポスト・クラシカルを準備した中心人物のひとりであることを示しているのであろう。

ブライアン・イーノ『Ambient 1: Music For Airports』以降に確立されたアンビエント・ミュージックとしてのエリック・サティ、トライバルな楽器(本作ではモンゴルの楽器、口琴)やプリペアド・ピアノの使用、坂本のルーツであるブラームスやバッハ、ラヴェルといった音楽家を当時の視点から捉え直すような作曲など、本作の聴きどころはさまざまだが、その音響性を中心に見ていくと本作の今日性が浮かび上がる。

エリック・サティを彷彿とさせるピアノ・フレーズが印象的な“opus”は、ABABの形式で構成されているのだが、AとBで残響/アンビエンスが異なっているように感じられ、パートごとに〈「アンビエンスのエディット」〉をしているのではないかと思えてくるほどだ。今作では、こういった本作の音響的なおもしろさを、以前よりはるかに堪能できるだろう。“distant echo”のように、少ない音数から産み出される余白に漂う、音色の減衰~残響から産み出されるアンビエンスの深みを掬い取るような楽曲もあり、音を響かせることで空間を音楽的に機能させることの魅力が本作には詰まっている。こういった方法論は、『out of noise』や『ASYNC』といった作品へと繋がっていくことになる。

また、本作における音響表現のユニークさは、多様な音色のコントロールにもあるといえる。“do bacteria sleep?”におけるエフェクトがかけられた口琴や、“prelude”~“sonata”におけるプリペアド・ピアノは、同型のパターンを繰り返すことでその音色の妙味を聴き手に認知させ、本作で大きな役割を果たしている〈メロディー〉というパーツからリスナーを一時開放することを可能にしている。これらの楽曲の存在は、本作の音楽性に幅広いバリエーションを提供しているといえるだろう。また、“uetax”には録音した水音がフィーチャーされていることも注目すべきポイントだ。

字幅が足りないため、ここでは軽く触れる程度に留めるが、一部のポスト・クラシカル勢の中には、いわゆる現代音楽とは違った方向にクラシックを進歩させようとする音楽家もいる。例えばオーラヴル・アルナルズはセリー主義への嫌悪をはっきりと口にし、坂本龍一『1996』やアルヴォ・ペルト、ミニマル・ミュージック、ロマン派からの影響を隠さない。そういった視点から本作を見ると、この作品が持つメロディーの重要性にも気付くし、そういった視点から、まるでブラームス的に響く“intermezzo”などにも注目してもいいだろう。

オリジナルの『BTTB』について考えるとき、リリースされたのが1998年であるという点を忘れてはならない。この時代にはすでに、パナソニック(後のパンソニック)『VAKIO』(1995)、池田亮司『+/-』(1996)、ピタ『Seven Tons For Free』(1996)といった、後の電子音響~エレクトロニカの支柱となるような傑作群がリリースされており、音響の概念が更新されていることは極めて重要だろう。さらにいえばトータス『TNT』と同年リリースであることを考えるのもおもしろく、その時代精神を、『BTTB』は坂本龍一ならではの形で表現していると考えることもできないだろうか。

坂本自身は『BTTB』を自身にとって原点回帰の作品として、〈BTTB(Back To The Basic)〉と名付けたが、前述したように、本作は世界中のポスト・クラシカルとその周辺の音楽家にとっても〈原点〉として位置付けることができるような作品だ。だから本作が持つ〈BTTB〉と言うメッセージは、坂本自身だけでなく世界に対しても向けられているように思える。そう考えると、あれほど耳馴染んだ“Energy Flow”も、まったく異なって響いてくるのではないだろうか。

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