珠玉のソロ・ピアノ集『/04』『/05』――映画テーマ曲、CMソング、ソロ作品、YMO楽曲など、坂本龍一クラシックスの数々をセルフ・カヴァー
坂本龍一の数あるアルバムのなかでも中島英樹によるデザインは目を惹いた。いまでも『/04』『/05』のタイトルを耳にすると、脳裏に浮かぶ。
『/04』と『/05』は、それぞれ、2004年と2005年にリリースされた〈セルフ・カヴァー〉。シンプルでそっけないタイトルから、リリースの時点がいつだったか、ストレートにわかる西暦の下2桁。コトバでなく数字をタイトル。収録曲はよく知られた楽曲がならぶ。オリジナル・アルバムからの楽曲もあれば、CFもあり、映画の音楽もある。作曲年代はさまざま。そうした楽曲をひとつところに集めるとき、どんな〈イメージ〉が必要か。そのひとつの解がタイトルとジャケットにあるようだった。
2004年に『chasm』リリース。同年に『/04』、翌年『/05』。3枚はいずれもワーナー、そのあと、2009年の『out of noise』はcommmonsとなる。つまり『/04』『/05』は、新しいレーベルで、新しい楽曲を中心にアルバムを構成するかたちにむかってゆくうえでの、〈セルフ・カヴァー〉によるひとつの締めくくりにみえなくもない。ちなみに坂本龍一監修による『commmons: schola』第1巻『J. S. バッハ』は2008年9月、翌年『out of noise』と、新しい方向性がうちだされてゆくとみえるか。
もうすこし時代的なことを記す。20年前のことだから、忘れているひとも多かろうし、その時代に生まれていないひともいるかもしれないから、おせっかいながら。
カレンダーが2000年になるとき、コンピュータが誤作動をおこすとの〈2000年問題〉が噂になった。とくに大きな問題もなく、20世紀最後の年から21世紀最初の年へも移行。そうして半年もしたあたり、この世紀のはじまりを示すようなことがおこる。〈9.11〉、アメリカ同時多発テロ事件である。NYに拠点を持つ坂本龍一は、身近に体験。すぐにみずから監修して「非戦」(幻冬舎)を刊行、その意識が持続したところに『chasm』が生まれ、同年に『/04』が、翌年に『/05』がでた。あらためてふりかえってみる。と、『chasm』と『/04』『/05』はかなり違っているし、違ったうえでこそだけれど、ともに20世紀から21世紀にかけての坂本龍一のゆるやかなうつりゆきを示す複数の点のようでもある。たとえば、そう、雑な言いかたしかできないけれど、たとえばこんなふうに――それまでの楽音とノイズとがなおのこと分けることができないような状態になってゆく方向性と、親しみやすい映像とともにある音楽や世につぎつぎあらわれる多くの音楽と混淆しての方向性と。
アルバム『/04』の冒頭は“Asience-fast piano”、締めくくりは“Asience -original”、おなじ楽曲がピアノ・アレンジ版からCF版へ。花王のアジエンス(ヘアケア製品)は2003年にチャン・ツィイーをイメージ・キャラクターとして発売、2023年に製造終了という。『/04』リリース時点ではとくに新鮮にひびいた。ブランドの終了とアルバムのリマスター盤のリリースがほぼかさなっているのも、偶然ではあるが、21世紀はじめの四半世紀をおもわせる。“Asience”から“Yamazaki 2002”、あるいは“Merry Christmas Mr. Lawrence”と耳になじんだ坂本レパートリーがピアノ版でひびく。“Undercooled - acoustica”は『chasm』収録曲をアコースティックで演奏したものだが、ここではピアノだけでなく(反戦的な)韓国語ラップや伽耶琴、チェロは生かされる。これは、『/05』での“Tibetan Dance”や“Thousand Knives”でさらに顕著になるのだが、もともとシンセサイザーで複雑に音を重ねたところから、ピアノ(ときに多重)にすることで作品の骨格がよりあらわに、明確になっている。
『/04』と『/05』の選曲がどのようになっているのかを、聴き手が、制作からすこし時間が隔たったところで、考えたりみいだしてみたりするのも一興。それに、あらためて強調するまでもないけれど、坂本龍一がピアノというデリケートな楽器に手を、指をおろす、またきっちりと正確に打鍵する、そのさまが、初期の楽曲から浮かびあがってくるところを、個人的には、何度も何度も聴いたところだったのと記憶する。いまも、だけれど。