様々なジャンル、国の音楽家・アーティストたちとコラボレーションしてきた坂本龍一。彼の音楽はコラボレーターたちにどんな風に聴こえていたのか、共同作業を通じて坂本が、彼らに置いてきたことを取材する。

 

「ジャキスは教授が紹介してくれました」

 あるレコーディングの時、ゴローさんが教授はピアノの音楽に新しいジャンルを切り拓いたとつぶやいた。そんなこと考えたことはなかったが、指摘どおり確かに教授のピアノの音楽があったし、当時すでに日本の音楽のパースペクティヴがそのピアノの響きに染まり始めていた。確か2008年のころだった。

 「初めて聴いたのは『千のナイフ』、中三くらいのときですね。その頃には、もう周りの知人がYMOを聴いていた。教授の存在を知った頃には僕はギターを弾いてバンドをやってました。『サウンドストリート』を聞きながらイギリスの音楽とか、洋楽を聴いてた僕も、その周りも含め、YMOはちょっと斜に構えて聴いていました。僕は音楽は独学なんです。子供の頃は、なぜか自分でもできると思い込んでいた。身近に音楽学校もなかったし、選択肢がなかった。本を読めばなんとかなると思っていたちょっと変わった子(笑)だった。(随分後になって)ちょうどcommmons立ち上げの頃、naomi & goroを教授が聴いていたらしく、レーベルに誘ってもらいました」

 naomi & goroを介した教授との関わりは、ゴローさんが組んだセッションでの共演が中心だったという。

 「ジャキス・モレレンバウムを紹介してくれたのは教授でした。僕も教授に呼ばれて演奏することもありましたが、教授とはメールやメッセージでのやり取りが中心でした。音楽のことでわからないことがあると、すぐに質問していました。教授はレスがすごく早いんですよ。例えばnaomi & goroの“Days of May”で教授が弾いた、ちょっとしたピアノのフレーズがあるんです。ディミニッシュが重なっていくスケールで、それはメシアンの移調の限られた旋法のひとつで、そのアイデアですよねって質問すると、メシアンのことも大好きだそうで答えがたくさん返ってくるんです。それはジョビンもよく使う、ブラジル人が大好きな響きなんですけど。ディミニッシュのテンションがあるというか、二つの和音が共存する感じですか、とか聞くと、非常に熱心に音の構造を教えてくれるんです。昔、こういうことをやってたよとか、教授の過去の音源にもふれたりしてね。そういうことを惜しみなく教えてくれるんです。最後に連絡とりあったのは、コロナ禍に制作したアルバム、伊藤ゴロー アンサンブルの『Amorozsofia -Abstract João-』でした。このアルバムではオーケストレーションもやりました。クラウス・オガーマンのアレンジを完コピしたいなと考えて、ジョアン・ジルベルトの『Amoroso』の中の曲を、コロナで暇だったから完コピしようって考えたんです。“Wave”と何曲かやろうってことでした(注:“三月の水”と“Estate”)」。

 ゴローさんがこのアルバム『Amorozsofia -Abstract João-』を制作した時、録音風景と制作の裏側を語る動画を作成し、アルバムには収録されなかった“Bim Bom”をオーケストレーションした動画が追加されている。これはジョアン最後の公演となった時の映像に合わせてオケが当てられた。

 「教授にジョアンの動画にオーケストレーションをつけませんか?と聞いてみたら、ジョアンの歌うピッチが問題になって。ジョアンは体調でピッチをきめるから、すごく正確ではあるんですが、若干高かったり低かったり、毎回違うんですよ。それをオーケストラと一緒にやるのは難しいんじゃないかな、って。でも、実際やってみたら結構大丈夫でしたけど。(映像が出来上がって)教授に送ったら、面白いことやるねって言ってくれて。僕の曲“Amorozofia”も聴いてくれて、自分もこういう曲やったんだよねって、思い出したそうで、今井美樹さんに書いたインスト曲“Watermark”のことも教えてもらいました」

 『Casa』を制作したとき、クラウス・オガーマンへのオマージュは次ですかって質問したことがあった。そのとき教授はまんざらでもなかったとゴローさんに伝えると。

 「本人から『Amoroso』は正座して聴いたって聞いたんです。教授はジョアンの音楽のことを彫刻家に例えて、普通はどんどん形を作っていくけどジョアンの場合はどんどん削ってデフォルメが進んで、フォルムが変わって得たいの知れない形になっていく。内側からこねくり回すような感じだって。ジョアンはとにかく反復の人じゃないですか。その反復の繋ぎ目が解けていると。教授はそんな風に感じてたみたいですね」

 ゴローさんが教授の曲で一番聴いたのは“パースペクティヴ”だという。

 「聴かなくても教授の音楽は自分の近くにいる。それは十代のことからずっとそう感じていました。それまでには体験したことのない音楽だったし、常に上空にあるって感じ。モヤっとした状態のまま転調を繰り返す」

 YMOの『BGM』以降、その曲は他のいくつもの教授の作品同様に、ピアノのモノクロームな音色の中に繰り返し現れた。それはcommmonsのアルバムの数々がモノクロームだったように、繰り返しながらデフォルメされるジョアンの音楽のように教授の手の中で繰り返された。『async』のジャケットに再び色が現れて、映画「Opus」の中で、納得のいかない演奏に、何度も自分でダメを出す教授に蘇えった力を感じた。

 「そうですね。まだまだ教授はやる気まんまんだったと思います。ある時、僕がこの先音楽でどうしたらいいのかわからない。自信がない。と相談したら、励ましのメールを送ってくれたんです。

光を失いつつあるなんて!
そんなことないない。
成熟に向かっている。
いぶし銀の世界へ。
細野さんの言葉のように「豆腐を切るように」やさし~く、丁寧に。:)

 教授は細野さんのことを本当に尊敬していたと思いますね。教授がいなくなって、音楽について質問ができなくなったことも、とても寂しいです」

 取材中に何度も話題にあがったジョアンの『Amoroso』は、イタリア語で〈愛情をもって〉、ポルトガル語でも〈愛の〉という意味がある。ゴローさんの“Amorozofia”は差し当たり〈恋の哲学〉だろうか。私たちは教授の音楽、教授と誰かの音楽にいくつもの恋愛のエクリチュールの重なりを聞いていたのだろう。おそらくそのすべてに今も、もう一つの教授の声が隠れている。

 


伊藤ゴロー(Goro Ito)
青森市出身。作曲家/ボサノヴァ・ギタリスト/音楽プロデューサー。ソロアーティストとして、ソロプロジェクトMoose Hillとして、ボサノヴァユニットnaomi & goroとして、また映画音楽作曲家、アレンジャー、プロデューサーとして活動する。