ブレインフィーダー(Brainfeeder)はなぜ日本にとって特別なレーベルなのか?
コンピ『Brainfeeder X』を機にレーベル・スタッフと振り返る10年
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- 2018.11.30

フライング・ロータス(以下、フライロー)が主宰するレーベル、ブレインフィーダー。今夏〈SONICMANIA 2018〉では〈Brainfeeder Night〉が大きく賑わっていたことも記憶に新しいことだろう。 ジョージ・クリントン御大からサンダーキャット、ドリアン・コンセプト、ジェイムスズー、そして3Dセットで観客をトリップさせたフライローと注目株のロス・フロム・フレンズまでが集結し、まさにレーベルを体現する一夜だった。そんな〈from LA to everywhere〉な拡張を続けてきたレーベルが設立10周年を祝し、2枚組コンピレーション『Brainfeeder X』をリリースした。
LAのプロデューサー、ティーブスの“Why Like This?”に始まり、2つの新規リミックス(ロス・フロム・フレンズによるサンダーキャット、そしてフライング・ロータスによるブランドン・コールマン)で締められるディスク1では、これまでの10年を総括。対してディスク2には、新鋭音楽家たちの楽曲や未発表・レア曲などが収められており、レーベルの新たな側面を見せつつ、未来を予見させる内容となっている(フライロー監督のブレインフィーダー・フィルム『KUSO』で使用された楽曲も聴くことができる)。
『Brainfeeder X』のリリースに際してまず確認しておきたいのは、ブレインフィーダーは日本との縁が深く、かつ日本で大変人気の高いレーベルであるということだ。では、それはなぜなのだろうか? どうして僕たちは、このレーベルに強く惹かれるのだろうか? そこでMikikiでは、ブレインフィーダーの日本盤の制作やイヴェント企画を一手に請け負うレーベル、ビートインクのスタッフにインタヴューを実施。レーベル・マネージャーの若鍋氏と宣伝担当の白川氏とともに、10年の足跡を振り返った。

VARIOUS ARTISTS Brainfeeder X Brainfeeder/BEAT(2018)
サンダーキャットの『Drunk』という象徴的な作品
――〈洋楽が売れない〉という風潮があるなか、ブレインフィーダーは日本で大きな支持を集めてきた印象です。そのあたり、実際どうなんでしょう?
若鍋「ビートが長年扱ってきたエレクトロニック・ミュージック系でいうと、やはりUSがマーケットとして大きいのと、ワープやニンジャ・チューンといったレーベルはUKが本国というのもあり、USとUK、それからヨーロッパの各国がマーケットの中心になっていて、そこに日本も含まれる。そのなかで、ブレインフィーダーは、どんなリリースでも日本が上位に顔を出しているので、レーベルとしての人気が定着しつつあると言っていいと思います」
白川「たぶん、時代とも合っていたと思います。ブレインフィーダーが設立された2008年というのは、ワープやニンジャ・チューンが立ち上がってから20年近く経った頃で。2000年代に入ってジャンルが細分化していくなか、それぞれのレーベルが試行錯誤していた時期ですからね」
――2000年代のワープは、バトルスなどのロック・バンドと契約したり、新しい展開を見せていましたよね。そこからビート・ミュージックの新鋭として台頭したのがフライローでした。
白川「そうそう。時代がそういうふうに変わっていくなかで、ブレインフィーダーのアーティストは、音の表情もそれぞれ全然違う。〈一つのお皿にいろいろな料理が乗っている〉みたいな感じが、好奇心旺盛な日本のリスナーと上手くマッチしていった印象です」
――特にヒットしたのはどの作品ですか?
若鍋「やっぱり、サンダーキャットの『Drunk』(2017年)ですね。ファースト(2011年作『The Golden Age Of Apocalypse』)とセカンド(2013年作『Apocalypse』)も好調でしたけど、ポテンシャルを考えたらまだまだだと思っていたので。近年になってレーベルのブランド力が上がったのと、アーティストのキャラクターが認知されたタイミングが重なったことで、象徴的な作品になったのかなと思います」
白川「あとは直前に、カマシ・ワシントンの『The Epic』(2015年)が出たのも大きかった気がします。フライローの登場でLAのビート・シーンが盛り上がりを見せたあと、カマシのようなジャズにも注目が当たったことで、LAコミュニティーの横の繋がりでもさらに底上げがあって。それが全世界的なトレンドにも繋がっていきましたしね」
ブレインフィーダー立ち上げ前夜のフライング・ロータス
――レーベル設立とフライローの『Los Angeles』が2008年ですが、それ以前のフライローについてはどんな印象でしたか?
若鍋「もちろん、注目はされてましたよね。僕らの視界にしっかりと入ったのはワープに移籍してからだけど、噂もよく聞きましたし」
白川「プラグ・リサーチから最初のアルバム(2006年作『1983』)が出ていたし、DJや早耳リスナーにとっての指標となっていたジャイルス・ピーターソンのレーベル・コンピにも2007年に参加していて※。〈次に来るのかも?〉と思わされる動きはいくつもありました」
若鍋「フライング・ロータスの初来日は2008年で、そのときはシネマティック・オーケストラのゲストでした」
白川「会場の渋谷O-EASTはパンパンでしたね。同じタイミングで朝霧JAMにも出演したあと、翌年にはワープ20周年で開催した〈electraglide〉でも彼のステージが評判になって」
若鍋「ワープからはその後、ハドソン・モホークやラスティが続いたんですけど、彼らが大きな注目を受けたのには、フライローの印象が強烈だったこともあると思います」
フライング・ロータスは決まり事を設けない
――そんなフライローがレーベルを立ち上げたあと、最初はサムアイアム、ラス・G、ガスランプ・キラーなどLAの仲間たちを積極的にプッシュしていましたよね。
若鍋「それについては、フライローも言ってました。音楽的な垣根と関係なく、周囲の友人たちが音楽を発表する場、みんなが食っていくためのプラットフォームを作りたいというモチベーションで最初はスタートしたって」
――その後、2010年くらいからリリースが活発化していくわけですけど、早い段階からヨーロッパのミュージシャンにもアプローチしているんですよね。
若鍋「そうなんですよ。しかも新旧問わず」
――今回の『Brainfeeder X』でも、オランダの実力者であるマーティンから、フレンチ・エレクトロの先駆者であるミスター・オワゾの曲へと続く流れは、ピークタイムの一つになっていますし。
白川「あとはジェイムスズーもオランダだし、ラパラックスやロス・フロム・フレンズはイギリス、ドリアン・コンセプトはオーストリアの出身です」

〈Brainfeeder Night in SONICMANIA〉でのドリアン・コンセプト
――フライローがライヴ・バンドにドリアン・コンセプトを起用したのも、MySpaceで発見したのがきっかけなんですよね。音楽家としてあれだけ活躍しながら、レーベル・オーナーとしても相当こまめにチェックしているんだなって。
若鍋「今年、ブレインフィーダーと契約したロス・フロム・フレンズにしたって、普通の人からしたら〈どこで見つけてきたの?〉って感じじゃないですか。そういう話をフライローにすると、自分の耳を指差して〈これで見つけた〉って言うんですよ」
――言いそう(笑)。めっちゃカッコイイですね。
若鍋「たまに本人から、日本人アーティストについての質問がきたりしますよ、〈これ誰? もっと知りたい〉って。その視野の広さですよね」
白川「ロス・フロム・フレンズでいったらポスト・ロウ・ハウスといったふうに、ダンス・ミュージックの文脈もしっかりと押さえているんですよね。キュレーターとして常にアンテナを張っている」

〈Brainfeeder Night in SONICMANIA〉でのロス・フロム・フレンズ
若鍋「その一方で、何かしらの音楽的スタイルに縛られるわけでもない。例えば、(2015年作『To Pimp A Butterfly』以降の)ケンドリック・ラマーとジャズの流れがあって、カマシやサンダーキャット、テイラー・マクファーリンが次々とブレイクしていきましたけど、そこで〈売れたから〉とジャズのみに偏ったりはしないじゃないですか」
――たしかに。
若鍋「彼自身も、決まり事やルールは極力避けるタイプなんです。決まり事を一回作ってしまうとそれに縛られてしまうので、〈そのときに好きなことをやっていく〉というスタンスを大切にしている印象です。それって実はとても難しいことだと思います。レーベルとして成長していくうえで、一箇所に留まろうとしなかったのは大きかったと思います」
日本で開催された4回のレーベル・ショウケース
――日本での話に戻すと、レーベル・ショウケースをこれまで4回開催していますよね。
若鍋「そうですね。最初は2010年にフライロー、ガスランプ・キラー、サムアイアムの3組だったのが、2011年はサンダーキャット、マーティン、トキモンスタ、オースティン・ペラルタ、ティーブスの5組に増えています」
――しかも、第2回の時点でフライローが出なくても成立したのがすごい。
白川「2回目からは〈お前たちだけでやっておいて〉っていう感じで」
若鍋「これは結果論ですけど、ビートのイヴェント・チームの狙いもあったかもしれない。ブレインフィーダー全体として強くなって、そのなかからサンダーキャットのような主役を張れる人が出てきてほしかった。毎回フライローを呼ばないと、お客さんが集まらないというのでは続かないので。それで、軸になる人がちゃんと出てきているのもすごいところです」
白川「あと、当時はトキモンスタもいましたしね。(男所帯のイメージがあったなか)女性で韓国系という彼女の存在感は大きかった。それ以外の部分でも、レーベルの懐の深さを示したアーティストですね」

2011年に開催された〈BRAINFEEDER 2〉でのトキモンスタ
――並行する形で、2008年から〈ロウ・エンド・セオリー〉が日本で開催されるようになって、ブレインフィーダー周辺のLAシーンが活発に紹介されたこともムーヴメント化に繋がった印象です。さらに、トム・ヨーク(レディオヘッド)がLAビートを熱心に推したことで、ロック・リスナーもこのへんを聴くようになった。サンダーキャットに至ってはメタルやプログレ、ハードコア好きにも歓迎された印象で。
白川「サンダーキャットが〈BRAINFEEDER 2〉で西麻布elevenに出たとき、(クラブ系のイヴェントなのに)意外なお客さんがいるなって思ったんですよ。皮ジャンに鋲を打ってるような人で。〈なんで観に来たんですか?〉って訊いたら、〈あのベーシスト、スイサイダル・テンデンシーズで弾いてるでしょ? ヤバいんだよね〉と言ってて。そしたら、本当に演奏がヤバかった(笑)。あれはびっくりしましたね」
ブレインフィーダーと日本のカルチャー
――そんなブレインフィーダーを日本でブレイクさせるために、ビートインクとしてはどうプッシュしようと考えたのでしょう?
若鍋「これは結論になってしまいそうだけど、僕らが何かを仕向けたというわけではないんですよ。彼らは日本のカルチャーを無邪気に愛しているし、そこには深い理解があって。それこそ、フライローやサンダーキャットは、マーベルと同じ感覚で鳥山明の漫画を語るわけですよ」
――〈憧れの海外アーティスト〉というよりは、僕らと同じ空気を吸っている人間なんだなって感じがしますよね。おまけに、みんな漫画のキャラみたいだし(笑)。
若鍋「そうそう。気がつけば、自分たちのほうから〈すごく応援したくなるレーベル〉になっていって。そこに関して、僕らがヘタに動くのはきっと逆効果になるでしょうし。どちらかといえば、彼らのキャラクターをそのまま伝えたい。そこはいまも意識しています」
白川「〈SonarSound Tokyo 2011〉で、フライローとサンダーキャット、ドリアン・コンセプトが一緒にステージに上がったじゃないですか? あのとき、みんなコスプレしてましたけど、僕らはぜんぜん知らされてなくて。フライローは『ドラゴンボール』の孫悟空で、サンダーキャットはベジータ。で、ドリアン・コンセプトは『機動戦士ガンダム』のシャアだったけど、彼は無理やり着せられたんじゃないかっていう(笑)」

〈SonarSound Tokyo 2011〉でのフライング・ロータス、サンダーキャット、ドリアン・コンセプト。ライヴ中〈かめはめ波〉を繰り出したことでも話題に

――かなり似合ってましたけどね(笑)。
若鍋「サンダーキャットは、今年の〈SONIC MANIA〉に出演したときもベジータの格好で。〈今回のは特別なベジータで、肩パッドがないんだ〉と自慢してましたけど、逆に何のコスチュームなのかわかりづらくなってて(笑)。そういうところは微笑ましいですよね」
――カマシは格闘ゲームが大好きなんですよね。レーベル移籍してから、「ストリートファイターII」ネタのミュージック・ビデオを作ってましたし。
白川「ルイス・コールも『マリオカート』に激ハマりしていたとか。サンダーキャットが、ゲーム音楽の下村陽子さんと対談したときの目の輝きようといったら。本当に好きなんだなーって」
――イグルーゴーストは日本のエレクトロニカに影響されていて、アルバムにはCuusheが参加していました。
白川「それで言ったら、フライローは『You’re Dead!』(2014年)のジャケットに駕籠真太郎さんを起用しましたよね。あとは塚本晋也さんも大好きで、いつも会いたいと言ってますね。取材中に『KUSO』のDVDを持った塚本さんの写真を見せたら、やっべー!って叫んでました(笑)」
若鍋「サンダーキャットが“Tokyo”のビデオを撮った翌日に、プライヴェートでも(撮影場所だった)秋葉原に行ったんですよ。フラッと匂いに惹かれて、その日にオープンした立ち食いの焼肉屋さんに入ったらしいんですけど、偶然ワイドショーのTVクルーが取材に来て、〈LAから来た客〉として、サンダーキャットがサムズアップしている様子が放送されたっていうのもありましたね(笑)。そういったことが起こってしまうのも、ブレインフィーダーならではというか」
白川「だから、ブレインフィーダーは〈現象〉として、僕らの手はすでに離れているんです。後から〈こんなことになっているの?〉ということが多い」