ザ・ストーン・ローゼズ、プライマル・スクリームなどで活躍したベーシストのマニが死去した。63歳だった。
マニの訃報は本日11月21日、兄グレッグのFacebookの投稿によって明らかとなった。なお、死因などは現時点で公表されていない。
グレッグは、2023年に亡くなったマニの妻イメルダ・マウンフィールドとマニの微笑ましい写真とともに、「最も重い心を抱えながら、弟が亡くなったことをお知らせしなければなりません。ゲイリー・マニ・マウンフィールドよ、安らかに眠れ」とコメントしている。
マニことゲイリー・マイケル・マウンフィールドは、1962年11月16日にイギリスはマンチェスターで生まれた。
すでに知り合いであったジョン・スクワイアからの誘いもあり、1987年にザ・ストーン・ローゼズにベーシストとして加入。この時点でイアン・ブラウン、ジョン、マニ、レニという現在まで知られるローゼズのメンバーが揃う。
その後、バンドは1989年にシルヴァートーンから1stアルバム『The Stone Roses』をリリース、1994年には2ndアルバム『Second Coming』を発表し、マッドチェスタームーブメントを象徴するバンドとして君臨した。
バンドが成功を収めた一方で、時代はマッドチェスターからブリットポップへとムーブメントが移り変わっていた。また、レニとジョンが相次いでバンドを脱退し、1996年10月にローゼズは解散を発表した。
マニはローゼズ解散後、もともと親交のあったプライマル・スクリームに加入する。5thアルバム『Vanishing Point』から参加したマニは、同作の収録曲“Kowalski”“Motörhead”(モーターヘッドのカバー)でベースをプレイした。
マニの加入によってグルーヴ面が強化されたプライマル・スクリームは、『XTRMNTR』(2000年)、『Riot City Blues』(2006年)といったヒット作を量産。ビッグビートからロックンロールまで、作品毎で異なる音楽性を追求していった。
2011年にマニの母親が死去し、その葬儀でイアンとジョンが再会する。ほぼ絶縁状態だった2人が言葉を交わしたことで関係性が修復され、2011年にザ・ストーン・ローゼズは再結成を果たす。バンドはワールドツアーの開催や新作の制作予定などを発表、同年根雨にヒートンパークにて再結成ライブを行った。マニはローゼズの活動に専念するためプライマル・スクリームを脱退した。
再結成したバンドは2012年、フジロックのヘッドライナーとして約17年ぶりに来日。2016年には22年ぶりとなる新曲“All For One”をリリース、同年にはもう1曲の新曲“Beautiful Thing"を発表してきな話題を集めた。
バンドは2017年4月に単独での来日公演を日本武道館にて開催したものの、同年6月のグラスゴー公演をもって沈黙する。その後、ジョンがインタビューでバンドが再び終わったことを認めている。
なお、マニは2026年9月よりローゼズとプライマル・スクリームでの活動、そしてベーシストとしての人生を振り返るトークショー形式でのツアーをイギリスにて開催する予定だった。
マニの訃報を受け、イアンは〈安らかに眠れ マニ〉とコメントしているほか、ローゼズの影響で音楽に目覚めたオアシスのリアム・ギャラガーも〈マニの訃報を聞いて完全にショックで打ちのめされている。俺のヒーロー、安らかに眠ってくれ〉と悲しみの言葉をポストした。そのほかにもポール・ウェラー、ピーター・フック、ジョニー・マーなど多くのUKミュージシャンたちが追悼している。
決して派手ではなかったが、シンプルながら独特のグルーヴで歌に寄り添い、ザ・ストーン・ローゼズとプライマル・スクリームという巨大なバンドを支えたマニ。温厚な人柄で多くのミュージシャンやリスナーに愛された彼の突然の死に、今は悲しみしか感じない。