現代の感覚で古い伝統を伝えるアーティスト
バルト三国の中でもっとも北に位置するエストニアは、民族的にも文化的にもフィンランドに近い。5月開催のファイネスト・ワールド・サウンズに続いて、10月開催のエストニア音楽祭でも来日した、シンガー・ソングライターのマリ・カルクンがメインで使用するカンネルも、以前に取材したフィン人の血を引くシニッカ・ランゲランが演奏する、カンテレの親戚と言える民族楽器である。独自の伝統を持つエストニア南部のヴォル県で育ったカルクンは、すでに10代の頃から、友達とバンドを組んで、エストニア語よりも歴史の古いヴォル語の民謡をアレンジしたり、ヴォル語のオリジナル曲を作ったりしていたという。その後はエストニア音楽アカデミーや、交換留学で行ったフィンランドのシベリウス・アカデミーなどで伝統音楽を学んだ。2007年の初リーダー作『ÜÜ TULÕK(夜の訪れ)』はポップな曲が中心だったが、10年の『VIHMAKÕNÕ(愛しい雨)』、今年発表の最新作『ILMAMÕTSAN(森の世界の中で)』とアルバムを重ねる度に、その音楽は伝統色が濃くなっている。
「音楽は人生の旅のようなもので、成長し、変化し、いろいろな影響を受け続けています。南エストニアの伝統音楽を本格的に研究し始めたのは10年ぐらい前からですが、アコースティックな楽器を演奏しながら歌うという、シンガー・ソングライターの美意識は最初から持ち続けています。子供の頃には、ラジオでエストニアのポップスやディスコ音楽を聴くいっぽうで、吟遊詩人たちとも知り合いました。彼らの音楽は主にギターの弾き語りでしたが、その歌詞は内容が深く、心に響くものがあって、大きな影響を受けました。古い歌を伝統的な形で歌うだけでは、伝統を継承するのは難しいので、私は伝統を踏まえながらも、今の人たちに訴えるような、今の話題を取り上げた音楽を作っていきたいと思っています」
カルクンは今回、素朴な12弦の楽器と、よりモダンな26弦の楽器と2種類のカンネルを使用した。ハープのように個々の弦を指はじいてメロディを弾いたり、余分な弦を指で押さえてコードを弾いたりするのが一般的な奏法だ。
「カンネルは他にもいくつか持っています。いちばんシンプルなものは6弦で、12弦までの楽器が最も古い形を残しています。金属弦が無かった昔は、動物の腸で作った弦を使っていました」
古い伝統を残す世界中の他の国々と同様、エストニアの文化にもアニミズムの影響が色濃く残っているという。カンネルは至ってシンプルな楽器だが、その音は古代から続く長い歴史を伝えている。