©2019 BRITISH BROADCASTING CORPORATION AND MAGNOLIA MAE FILMS

20世紀バレエを変革した芸術家の波乱に富んだ前半生を描く感動作

 1961年6月16日、旧ソ連から公演のため渡仏していた23歳のバレエダンサーがフランスへの亡命を決行した。彼の名は、ルドルフ・ヌレエフ。同じ旧ソ連出身の伝説的ダンサー、ヴァーツラフ・ニジンスキーの再来とまで称讃された男。映画『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』は、その天才ダンサーの亡命までの前半生を描く人間ドラマだ。

 タイトルに掲げられた「白いカラス」とは、もちろんヌレエフを指す言葉。映画の冒頭には「類い希なる人物」「はぐれ者(アウトサイダー)」というふたつの意味するところが示される。幼少期、痩せてひとりでいることが多かったヌレエフに周囲がつけたあだ名として言及されるが、巧まずしてヌレエフの個性を撃ち抜いていて面白い。

 その貧しく孤独だった少年期も映画は描いている。正確には1938年、軍人の夫に会いに行く途中だった母親から列車内で誕生する場面も忘れられていない。ユニークな誕生の背景ゆえか、「どこででも暮らすことができる」とヌレエフは冗談めいて語り、一方で列車模型の収集に熱中したりもする。

 バシキール歌劇場で見たバレエ公演の影響で、6歳にして舞踊家になることを決意。モスクワ舞踊学校への入学を蹴り、17歳でワガノワ・バレエ・アカデミーに編入。4週間で上級クラスへの編入を希望し、アレクサンドル・プーシキンに師事する。強い上昇志向と芸術への情熱は実に型破り。その個性を掘り下げるために、映画は編年体の形をとらず、あえて幼少期、青年期、パリ公演時の現代を交錯させていく。そればかりか、プーシキンの妻との密通、同性愛の嗜好という暗部までも目をそらさない。

 プロデュースと監督を務めたのは、レイフ・ファインズ。『シンドラーのリスト』や『ハリー・ポッター』シリーズで知られる名優は監督業にも熱心で、これが『英雄の証明』『エレン・ターナン~ディケンズに愛された女~』に続く3本目の長編演出作品。プーシキン役でも劇中に登場しているが、前2作に比べて監督側に比重を置いているのは明らか。それもそのはず、ジュリー・カヴァナによるヌレエフの評伝に感銘を受けて以来20年近くも温めてきた企画だったのである。実際、前2作よりも演出に柔軟性があり、ふとした拍子にスッと引き画を挟む画面構成をはじめ、映像の弾み、物語の推進力を生かす工夫が随所に散見。これまでの監督作品がこの映画のための習作だったのではないかと疑ってしまうほどの活力と瑞々しさに富んでいる。

 そのファインズがヌレエフ役に抜擢したのは、これが映画俳優デビュー作となるウクライナ出身の舞踊家オレグ・イヴェンコ。映画に挑んだ舞踊家といえば、ミハイル・バリシニコフ、アレクサンドル・ゴドゥノフ、ジョルジュ・ドンなどが知られているが、イヴェンコも彼らに劣らぬ存在感を見せる。

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 ヌレエフの亡命を助けるフランス人女性クララ・サンに『アデル、ブルーは熱い色』のアデル・エグザルホプロス、ヌレエフと許されぬ関係を築くプーシキンの妻役に『グッバイ、レーニン』のチュルパン・ハマートヴァという芸達者も顔を出しているが、ヌレエフの同僚ユーリ役でセルゲイ・ポルーニンが出演しているのもエポックのひとつだろう。ポルーニンもまた一時、将来を嘱望されたウクライナ出身の名舞踊家。最近ではリメイク版『オリエント急行殺人事件』や『レッド・スパロー』に出演するなど、すっかり俳優として注目を集めており、今回はオレグ・イヴェンコに舞踊面ではもちろん、芝居の面でも適切なアドバイスを授けたとか。舞踊家としての彼のキャリアを振り返るなら、記録映画『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』をご覧になることをオススメする。同記録映画を製作したガブリエル・ターナは『ホワイト・クロウ』のプロデューサーのひとりでもあった。

 プロデューサー関連でいけば、製作総指揮にリーアム・ニーソンの名前が刻まれている点にも注意を払いたい。『シンドラーのリスト』での共演以後、ファインズと友人関係を続けるニーソンのクレジットは、英語を主体とせず、製作資金の確保が厳しかった本作品に確かな友情の灯りをともしている。

 巧みな語り口で説得力のあるドラマを構築した脚本担当は、これまたレイフ・ファインズの古くからの舞台仲間であるデヴィッド・ヘアーだ。

 山場のヌレエフ亡命を再現する場面は、まさに迫真のひと言。スターリン時代に比べて穏やかだったというフルシチョフ時代のソ連は、それでもアメリカとの宇宙開発競争の直中にあり、1961年6月といえばガガーリンが世界で始めて地球軌道を周回した直後。翌年にはキューバ危機も勃発しており、ヌレエフの亡命は文化的にも政治的にもやはり一大事件であった。事態の緊迫が理解できる観客にはこれほどスリリングな描写もなく、往事の東西冷戦事情がピンと来ない若い観客にもそれが正確に目撃できる点でも、この映画の意義は想像以上に大きい。

 これは舞踊の世界を楽しむだけの作品ではない。無論、冷戦時代の安直な回顧でも体制批判ドラマでもない。白いカラスと呼ばれた天才バレエダンサーの自由と芸術への渇望、その叫びを的確な時代考証の中に刻んだ屈指の青春叙事詩である。

 かくして青年は祖国を捨て、20世紀バレエの歴史を塗り替える偉業を達成するのであった。

 


映画「ホワイト・クロウ 伝説のダンサー」
監督=レイフ・ファインズ
脚本=デヴィッド・ヘアー
音楽=イラン・エシュケリ
バレエ・アドバイザー&振付=ヨハン・コボー
出演=オレグ・イヴェンコ/アデル・エグザルホプロス/ラファエル・ペルソナ/チュルパン・ハマートヴァ/ルイス・ホフマン/カリプソ・ヴァロワ/オリルヴィエ・ラブルダン/セルゲイ・ポルーニン/レイフ・ファインズ ほか
配給:キノフィルムズ/木下グループ(2018年 イギリス・ロシア・フランス 127分)
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◎5/10(金)、TOHOシネマズ シャンテ、シネクイント、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー!