US音楽シーンを芳醇にしてきた5人の歌う中年の悲哀は、なぜかくも心に沁みるのか。日々のメランコリアを丁寧に掬いつつ、サッドな髭親父たちは前に進む!

 長らくUSインディー・ロックの顔役として、シーンの充実を示すコンピレーションの編纂や作品のプロデュースなど、多くのアーティストとコラボレーションを重ねてきたナショナル。近年はテイラー・スウィフトのフォーク・アルバム『folklore』『evermore』やエド・シーランの最新作『』でメンバーのアーロン・デスナーが共作を担当。メインストリームのポップ・アーティストと関わることも多くなり、各メンバーのバンドを離れた活動に脚光が当たることもしばしばだ。

 彼らの最新作『First Two Pages Of Frankenstein』は、隅々までナショナルらしさに貫かれたアルバムだ。何でもリード・シンガーのマット・バーニンガーの〈歌詞やメロディーをまったく思いつかない〉というスランプを乗り越えての制作だったそうで、いま一度バンドのコアを見つめ直す作業だったに違いない。結果として、ナショナルがずっと描いてきた〈悲しみ〉が濃密に立ち上がっている。

THE NATIONAL 『First Two Pages Of Frankenstein』 4AD/BEAT(2023)

 バーニンガーのバリトン・ヴォイスといい、倦怠や憂鬱を詩情たっぷりに語る歌詞といい、ナショナルは中年男性が醸すハードボイルドな渋い魅力と共に愛されてきたバンドである。昨年〈SAD DADS〉のプリントが入った公式グッズを発売していたが、これはときにダッド・ロック(親父ロック)と形容されることに答えたジョークだろう。もう若くはない男が抱える悲哀から滲み出る色気こそ、ナショナルの文学性と魅力だ。

 ただ、彼らが音と言葉で豊かに表現する悲しみは、いわゆる〈男らしさ〉が良しとされる世間的な価値観において隠されがちだったものでもある。〈男は感情的であってはならないし、特に弱い感情を晒してはならない〉という規範が根強い社会では、男性は悲しみを表に出すことができない。一見古風な〈男らしさ〉を纏ったナショナルだからこそ、彼らが浮かび上がらせる悲哀は痛切なものなのだ。

 『First Two Pages Of Frankenstein』でも、スフィアン・スティーヴンスが透明感のあるコーラスを聴かせるオープニングのピアノ・バラッド“Once Upon A Poolside”から過去に対する後悔や孤独といった一見ネガティヴな感情が描かれるが、室内楽を取り込んだ繊細なアレンジによって穏やかなものとして立ち上げてみせる。バーニンガーがフィービー・ブリジャーズと〈これは何の慰めにもならない〉と歌うフォーク・ソング“This Isn’t Helping”も同様だ。英国ポスト・パンクからの影響を感じさせるムーディーなロック・ナンバー“Tropic Morning News”では、世に溢れる暗いニュースに気持ちが沈む様が描かれる。これは中年男性に限らず、現代を生きる私たちの多くが経験していることだろう。

 本作はそうしたメランコリーをひとつずつ丁寧に掬い上げながら、温かいバラッドやアップリフティングなロック・チューンで解放してみせる。これはナショナルがずっと取り組んできたことであり、メンタルヘルスの問題が取り沙汰される現在、なおさら深い共感が得られるものだろう。派手なフックではなく、あくまで細やかなアレンジを中心にした音楽性も誠実だ。

 テイラー・スウィフトとのデュエット“The Alcott”は、関係を停滞させているカップルのやり直そうとする姿を染み入るメロディーと共に瑞々しく歌う。悲しみに沈み込んでいるばかりではない。バンドの終焉を考えるほどの苦境を乗り越えて完成した本作には、ダークな感情と真摯に向き合った上で、それでも前に進もうとする人間の強さが確かに宿っている。

ナショナルのメンバーが参加した近年の作品を一部紹介。
左から、テイラー・スウィフトの2020年作『folklore』(Republic)、5月5日にリリースされるエド・シーランのニュー・アルバム『ー』(Asylum/ワーナー)、コンプリート・マウンテン・アルマナックの2023年作『Complete Mountain Almanac』(Bella Union)、グレイシー・エイブラムスの2023年作『Good Riddance』(Interscope)

左から、ナショナルの2019年作『I Am Easy To Find』(4AD)、マット・バーニンガーの2020年作『Serpentine Prison』(Concord)、フィービー・ブリジャーズの2020年作『Punisher』(Dead Oceans)