2019.09.25

この間、本Mikikiでも度々言及されている〈tiny pop〉と称するムーヴメントがにわかに盛り上がり(?)を迎えていることは、予てよりインディー・ポップ・カルチャーを信奉する者にとって、いや、むしろそれらに拘泥しない新しい聴き手たちにとって最早自明の事実であろう。私的な印象で言うと、東京在住の音楽家んミィと彼が率いるバンドこそは、かつてのNYパンク・シーンにおけるテレヴィジョンのように、あるいはマンチェスター・シーンにおけるニュー・オーダーのように、彩りと知性を備えたtiny popシーン(?)を代表する(タイニーな)スターであるように思う。そんな中、今夏に入ってからバンド〈ゆめであいましょう〉とのスプリット7インチNNMIE名義でのソロ・アルバム『Growing Fainter』と矢継ぎ早にオリジナル作品をリリースしまくってきた彼が、いよいよ待望となるバンド名義でのファースト・アルバム『知らないパレード』をここに発表した。

幾度か接したライヴ演奏は、ウェルメイドなソング・クラフトとフラジャイルなプレイが極めて繊細なバランスで同居することで、生演奏とは改めて〈生身の演奏〉であることを観衆に再認識させ、時に痛みを伴うような緊張感に満ちたものだった。そして今作『知らないパレード』には、その感覚がほとんど無傷のまま(というかより純化&ブーストされた形で)息づいているふうだ。

表題曲に顕著なように、これまで別名義でも発表されてきた楽曲達は、ゴツゴツとした器楽音を纏うことよってよりその骨格の美しさをあらわにしている。一聴すると旧来のオルタナティヴ・ロック的アンサンブルを踏襲しているように思わせながら、その構造把握自体がまずもって非ロック的。ブラジル音楽やジャズ、インナーなソウル〜ファンクなど、様々なレファレンスが薫り来る瞬間も少なくなく、この点んミィ自身の資質によるところも勿論あろうが、メンバーとして、同時にプロデューサーとして辣腕を振るったhikaru yamada氏やuccelli氏の貢献も大きいのではないだろうか。即興演奏とトラックメイクを能くするyamada氏と、楽理・楽典にも通じるuccelli氏の仕業が、簡単に噛み砕くことを拒絶する音楽的凹凸を作り出している。

また、とくに感じ入ったのが伊藤(ドラムス)とセキモトタカフミ(ベース)によるリズム・セクションだ。よく、んミィバンドを指してマヘル・シャラル・ハシュ・バズやyumboに通じる要素を指摘する場合があるが、それは、この2人によるプレイによるところが大きいのだろう。アンサンブルの下支えという役割を粛々と担うようでいながらグリッドを大胆にかき乱すようなこのプレイは、縦軸方向に楽曲構造を統御することで〈バンド〉を成立させようとするポップス/ロックの自明性と激しくぶつかり合う。だが、それだからこそ、異様なまでに美しいメロディーとハーモニーを残酷なほど鮮やかに提示するのだった。

そう、これは明らかにポップスではあるのだ。予てからの〈インディー・ポップ〉なるものが、ポップスの歴史から垂れた右腕を強引に引き掴んで〈新しさ〉の方へ連れ去っていこうとする運動だったのだとすれば、これはポップスという構造物の内側と外側から、その柱や壁、天井や屋根の接合部に埋め込まれていたネジや釘を抜いたり差し直したりしているようなものなのかもしれない。その作業自体がポップ・アート的であるという意味においてもポップであるし、あるいは連綿と受け継がれてきたポップスと〈工法意外は〉似ているという点でもポップであるのだった。と考えてみて、いわゆる〈脱構築〉という今ではしわしわになってしまったワードが頭をよぎるわけだが、この作品でんミィとそのバンドがやろうとしたことは、脱構築でも再構築なく、ただの歓び溢れる合奏であるような気もするのだった……そういう〈ポストモダン(笑)〉の向こうにつぶつぶと隆起する衒いのないポップネスこそが、もしかしたらtiny popの核心なのかしらん……?

本作をじっくり味わうとともに、近くリリースを予定しているという(何というペース!)んミィバンドの次作を楽しみに待ちたい。

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