オルガン。歌。ストリングス。ベース。ギター。パーカッション。どこかブレイクビーツ風のフレーズを叩くドラムス。シンコペーションするクラビネット。ハープ。軽快なホーン。“愛し愛されて生きるのさ”“ラブリー”“ぼくらが旅に出る理由”……思わず『LIFE』(94年)の曲を思い出す。速いテンポで曲を牽引するビートは……そうだ、“ある光”(97年)だ。ドラムの質感やベースラインからは一瞬、静謐でソウルフルな『犬は吠えるがキャラバンは進む』(93年)を思い出す。でも深みを増した声は、『Eclectic』(2002年)を経たそれだ。小沢健二の、長い長いキャリアのひとつひとつが頭をよぎる。

だから、〈そして時は2020/全力疾走してきたよね〉という歌い出しは、小沢が自分自身に言い聞かせているようにも、彼の音楽を聴き続けてきた聴き手たちに語りかけているようにも、あるいは仲間の音楽家たちや自身の家族に歌いかけているようにも聴こえる。いまはまだ2019年。だからか、未来からの呼び声にも感じられる。そう、全力疾走して〈2020〉まで来い、なんてふうに。

時計の針を一気に戻し、小沢は(“強い気持ち・強い愛”を発表した)〈1995年〉を振り返る。大きな成功を手にしたはずだったその年は、〈冬は長くって寒くて/心凍えそうだったよね〉と語られる。今度は時計の針を一気に進め、〈だけど少年少女は生まれ/作曲して 録音したりしてる/僕の部屋にも届く〉と歌う。ここには、“アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)”(2018年)で〈若き詩人たち〉を見つめていたのと同じ眼差しがある。〈1995年〉に生まれた子どもたちは、いま20代になり、自分たちの音楽を奏でている。それは、〈1995年〉の音楽の残響が彼らの耳にも届いているからだろう。すべては〈愛すべき生まれて 育ってくサークル〉であって、つながり、連なっている。そしてそのサークルは、これからも閉じられることなく世界が終わるまで延々と続いていき、〈再生の海へと届く〉。

歌は、小沢がほとんど沈黙を貫いた2000年代にも踏み込む。〈2000年代を嘘が覆い/イメージの偽装が横行する/みんな一緒に騙される 笑〉。彼が「うさぎ!」で描いてきたように、2000年代はグローバル資本と広告があらゆる経済活動を蝕んで、ポスト・トゥルースとフェイク・ニュースでぐちゃぐちゃになった2010年代を準備した。〈だけど幻想はいつも崩れる/真実はだんだんと勝利する/時間ちょっとかかってもね〉。でも、本当に?

もうすぐやってくる〈2020〉はどんな年になるだろう? 前のディケイドはひどかった。じゃあ、次の10年は? この国ではどんなことが起こるかわからないし、不安ばかりだ。その場しのぎのガス抜きみたいなお笑いネタがリツイートでタイムラインに流れてこようが、本当の本当に明るい話題なんてどこにも見当たらない。ましてや、世界がどうなるかなんててんでわからない。

それでも、この“彗星”はどこまでもポジティヴだ。聴き手を、仲間の音楽家たちを、家族を、見知らぬ人の〈今ここにある/この暮らし〉という〈宇宙〉を、あるいは〈街〉や〈森〉すらも肯定し、祝福している。〈あふれる愛〉と〈湧き出した美しさ〉でもって。前へ前へと推進していくビートと美しいストリングスと陽気なホーンと優しくかき鳴らされるガット・ギターの響きとともに。

けれども“彗星”の徹底した、突き抜けたオプティミズムは、まるで無根拠で無責任な楽天主義ではない。〈闇〉を見据え、〈その謎について考えている〉、考え続けているからこそ、それでも楽観的であろう、私たちは楽観的でいよう、と小沢は歌っている。それは、この曲をじっくりと耳を傾けた者であれば、きっとわかるはず。

小沢健二のニュー・アルバム『So kakkoii 宇宙』は、11月13日(水)にリリースされる。