ceroでのサポートや、石若駿 SONGBOOK PROJECTへの参加など、多方面での活動で知られる音楽家・角銅真美。彼女が、メジャー・ファースト・アルバム『oar』を完成させた。

前作『Ya Chaika』(2018年)で見せた瑞々しい〈歌〉の萌芽は、本作において、とても美しく繊細な花となって、咲き誇っているといっていい。『oar』は、角銅が〈歌手〉としてのその魅惑的な歌声、ソングライティング、そして詩性を見事に結晶化させた、素晴らしい〈歌のアルバム〉だ。

石若駿(ピアノ)や中村大史(ギター/アコーディオン)、西田修大(ギター)、マーティ・ホロベック(ベース)、光永渉(ドラムス)、巌裕美子(チェロ)、中藤有花(ヴァイオリン)、大石俊太郎(クラリネット/フルート)、網守将平(ストリングス・アレンジ)、大和田俊(フィールド・レコーディング)といった大勢の参加アーティストたちが、角銅の歌世界をふくよかな音の色彩によって彩っているし、フィッシュマンズ“いかれたBaby”や浅川マキ“わたしの金曜日”といった往年の名曲のカヴァーの存在が、このアルバムにより普遍的な〈個人〉と〈歌〉の関係性を刻み、同時に人懐っこさをも与えている。

人はひとりで生まれ、ひとりで死んでいくのだということ。しかし、その必然の狭間で、私たちはどうしようもなく〈出会って〉しまうのだということ。そんな人が人であることの悲しみや喜びを、小鳥のような無邪気さでその旋律のなかに捉えてみせる角銅の歌は、余計な作為を持たないがゆえに真摯であり、ときに可愛らしくもあり、またときに恐ろしくもある。

以下から始まるインタビューで、角銅は自身にとって音楽の存在を〈祈り〉と語っている。では、その祈りのなかに〈歌〉はなにをもたらすのか。そんなことを、彼女にたずねてみた。

角銅真実 oar ユニバーサル(2020)

 

ポケットの中に気になったものを入れまくって、後から取り出してみて〈なんだこれ?〉みたいな

――『oar』を聴かせていただいて、前作以上に、角銅さんが歌うことに対して喜びを感じられている印象を受けました。ご自身のなかで歌に対する向き合い方は、変わったと思いますか?

「変わったと思います。歌への興味は増えたし、歌のことをいっぱい考えるようになりました。今回は、最初から〈歌のアルバムを作ろう〉と思って作り始めたんです。前は今以上に〈声は楽器だ〉っていう意識が強かったし、それゆえに、〈名前がついていないものでありたい〉っていう気持ちが強かった。

でも、前作から今作の間に、歌の曲がいっぱい生まれてきて。歌に関わる機会も増えたし、あと、ギターを触る機会も多かった。そういうのもあってか、今回は音楽に言葉がついて、いわゆる〈歌〉がたくさん生まれてきたんだろうと思います」

『oar』収録曲“Lullaby”

――ギターを持つ機会が増えたのは、どうしてだったんですか?

「元々、私はマリンバをやっているのですが、今住んでいるマンションだと、楽器の演奏ができないんですよ(笑)。でも、ギターだったらパッと弾けるので、マンションで暮らしているうちにこうなりました。もし、東京みたいな都会に住んでいなかったら、全然違うことをやっていたかもしれません(笑)」

――〈東京で暮らしていたから歌が生まれた〉というのは、物語を感じさせますね(笑)。どのようにして曲を作るんですか?

「詞と曲が一緒に出てくることもあるし、全然違うときにできたものを、後から組み合わせることもあります。普段から鼻歌やギターを弾いていて生まれたものをボイスメモに残しておいたり、あと、テキスト・メモに書いて残したりしていて。そうやってポケットの中に気になったものを入れまくって、後からそれを取り出してみて〈なんだこれ?〉みたいな(笑)。そんな感じです」