ミュージシャンの世木トシユキ/Gongdoraこと関俊行が、台湾のさまざまな音楽カルチャーを紹介する連載〈台湾洋行〉。現在、特別編としてコロナ禍における台湾音楽シーンの様相を全3回にわたって解説しています。台湾政府の対応とミュージシャンの動きなどを紹介した第1回に続き、今回は〈なぜ台湾の音楽カルチャーはコロナの影響をさほど受けずに済んだか〉を考察。そこには、副業に取り組んだり相互扶助コミュニティーに携わったり、さまざまな工夫をすることで、音楽活動を続ける生き方が関係していたようです。 *Mikiki編集部
音楽での生計の立てづらさがコロナ禍ではプラスに働いた
日本では政府の自粛要請により、ミュージシャンやライブハウスが窮地に追い込まれ、市民の間では署名活動やクラウドファンディングを通じて支援を呼びかける動きが盛んだ。その一方で、台湾の音楽関係者たちはというと、僕の知り合いを見る限りは経済的にそこまで大きな打撃を受けていなさそうだ。台湾音楽のマーケットの規模は小さく、音楽に関わる仕事のみでの経済的自立はハードルが高い。僕の知っているインディーズのアーティストたちのほとんどが何かしら、副業(もしくは本業)に従事している。音楽評論家である陳延碩(Infong)はそういった傾向について、〈台湾の音楽業界が抱える課題〉と指摘している。
確かにクォリティーは製作費や注がれた時間の多さに比例する(もちろん例外も多々ある)し、専業で取り組めれば、そのぶんの経験値も上がるし、それはプロフェッショナリズムにも影響するだろう。しかし、今回のような事態においては、こういった台湾の音楽業界特有の構造が功を奏したとも言える。例えば筆者の友人でもあるロック・バンド、仙樂隊 SENのフロントマン、林于農(Lubylong)と彼の姉であり、バンドのキーボーディストでもあるYu-Pingはそれぞれ別の顔を持っている。Lubyはアイスキャンディーのブランド、冰公子Dandy Popsicleを展開し、製造からディストリビューションまですべて自身で行っている。Yu-Pingは自身のボタン・ブランドを展開し、日々ボタンの製造に勤しんでいる。
彼らは仕事場である工房を共有していて、オフの日はバンドのリハーサル・スタジオに様変わりする。以前彼らのレコーディングに遊びに行った際は明らかに〈事務所然〉とした内観と、デスクに乗せた録音機材やシンセの前で、可動式のオフィスチェアに座ってエレキ・ギターをかき鳴らすLubylongの姿には驚いた。そして合間にくれたアイスキャンディー(マンゴー味)も美味しかったし、とても印象深い経験だった。
それこそ、前述のInfongにしても、台湾では名の通った音楽評論家だが、普段は歯科医の仕事をしている。彼自身も指摘するように、〈音楽での生計の立て辛さ〉は確かに課題なのかもしれないが、それはもはや台湾に限った話ではなく、世界的な傾向としてあるので、将来的にはこのような副業ミュージシャンが世界の標準になる可能性もあるのではないか。
〈小草大樹〉の相互扶助とシェアリングをベースにしたライフスタイル
百合花の元ギタリストで台南在住の劉棕予(Josh)も独自の生き方をしている。彼は複数のバンドを掛け持ちし、ギター講師として生徒も抱える専業ギタリストなのだが、対価として貨幣を得て、1人で生きているのではなく、所属するコミュニティーの相互扶助とシェアリングをベースにしたライフスタイルを送っているのだ。ここで説明すると長くなるので詳細は割愛するが、彼のパートナーのJannaが主宰し、管理する非営利コミュニティー〈小草大樹〉に所属。ここでは貨幣のみならず、個人の技能や信用も通貨として機能している。彼らが運営する〈場〉を訪れた者は、自分の持っている知識や技術を伝えたり、芸を披露する対価として食べ物や寝床を確保できる。もっと平たくいうと〈家族のようなもの〉だという。
JoshもJannaも台南で仲間たちとシェアハウスに住んでおり、外から遊びにくる友人等にも門戸を開き、仲間たちを繋ぐハブとなっている。僕も遊びに行ったが、みんなで料理をし、家族のように(もしくはそれ以上に)和気あいあいと食事を楽しんだ。Jannaはなかなかのやり手で、自身のパン工房を立ち上げたり、屏東(台湾最南端の県)でアーティストと地元民の交流や地域振興を目的とした野外美術展やワークショップも開いたり、さまざまなプロジェクトを立ち上げ、企業や行政からの支援も受けているようだ。Joshもこの状況下でギタリストとして生きていくには苦労もあるかと思うが、このような所属コミュニティーの恩恵により人間らしい生活を維持しているようだった。