左からSOTA(ヴォーカル)、TAKKI(ギター)
 

今年6月に公開したファースト・シングル表題曲“Honeys”のMVが、無名の新人ながら60万超えの再生数を叩きだし、注目度赤丸急上昇の存在となったSOMETIME'Sが、初の全国流通EP『TOBARI』をリリースした。彼らはヴォーカリストのSOTAとギタリストのTAKKIが2017年に結成したデュオ。日本のポップスに脈々と受け継がれるしなやかにきらめくメロディーを引き継ぎ、そこに洋楽のソウル/ファンク/ロック/サーフ・ミュージックのエッセンスを加えて作りあげる音楽性が特徴だ。何よりポップスならではの楽しさ、親近感、華やかさがSOMETIME'Sの音楽には詰まっている。今回は二人のルーツ・ミュージックを探りつつ、EPに込めた思いや、いつか叶えたい夢までたっぷりと語ってもらった。

SOMETIME'S 『TOBARI』 SOMETIME'S(2020)

 

音楽との出会い

――まずはお二人の音楽との出会いから教えてください。

SOTA「親父がサーファーだったんですけど、海に連れて行かれる車の中でユーミン(松任谷由実)、ミスチル(Mr.Children)をずっと聴いて育ちました。ミスチルが“innocent world”を出したくらいの時で、ユーミンは“真夏の夜の夢”を車で歌っていた記憶がある。それが幼稚園の頃です。そのあと、小学校4年生の時に、休み時間に歌を歌ってたら〈お前、うまいな〉みたいなことを友達に言われて、〈俺は歌がうまいのかもしれない〉みたいな。その勘違いが今まで続いてます(笑)」

――最初の洋楽体験は?

SOTA「小6で聴いたクイーンです。親父が家でオムニバスをしょっちゅうかけていて、その1曲目に“We Are The Champions”が入ってたんです。〈なんだこれ?〉って衝撃を受けて、そこから洋楽も聴くようになりました」

――どんなアーティストを好んで聴いていましたか?

SOTA「クイーンからビートルズとかUKのバンドを聴き出して。そこからスティーヴィー・ワンダーに行って急にソウル音楽を聴き出して。あとは当時リアルタイムで出たホール&オーツのベストを聴いて、その辺からR&Bとかを若干掘り出しました。やっぱり歌声とかヴォーカルに反応して聴いてましたね」

――TAKKIさんの音楽のめざめは?

TAKKI「僕は中学2年のときに文化祭の出し物でバンドをやったのがきっかけです。中学はサッカー部に入っていたんですけど、体力がないと強制的にBチームに落ちるシステムで。俺が記録に届かずAチームからBチームに落ちた時にフテってギターを始めたんです」

――もともとギターに興味はあったんですか?

TAKKI「X JAPANのhideさんが亡くなったのが小学生の時で、漠然とそのニュース映像が頭に残っていて。X JAPANのことは当時知らなかったんですけど、4歳上の兄がロックとかメタルを聴いてて、潜在意識的に入ってたんだと思います。で、中2のときに母親に1万円の初心者セットみたいなエレキ・ギターを買ってもらいました」

――TAKKIさんはフォークやニューミュージックもルーツにあると聞きました。

TAKKI「両親が共に小田和正さんが大好きで、SOTAがユーミンとかミスチルなら、ウチはよくオフコースが流れてたんです。特に母親が大ファンで、ギターを始めたいと言った時に〈これ、お母さんが学生時代に、オフコースがライブで投げたピックを取ったヤツだよ〉って白いティアドロップ型のピックをくれたんです。でも、ありがたみがわからないから、とりあえず〈ありがとう〉って言って。今それはどこにあるかわからないです(笑)」

――中学校の文化祭では何を演奏したんですか?

TAKKI「MONGOL800の“小さな恋のうた”とTHE BLUE HEARTSの“終わらない歌”。あとはTHE YELLOW MONKEYの“プライマル。”だった気がします。それがめちゃくちゃ面白くて、ひきずって、高校で軽音楽部に入ったんです」

――その頃、どのようなアーティストを聴いていましたか?

TAKKI「高校時代は10-FEETばっかり聴いてました。あとはMONGOL800とかELLEGARDENとかHi-STANDARDとか」

――そういうバンドを軽音楽部の連中とコピーするっていう。

TAKKI「そうです。ただ、高校の軽音部は上手な先輩が多くて、バンド・スコアを買って演奏するのは邪道みたいな文化があったんです。耳コピをしないといけない、だから楽譜が出てないアーティストのコピーをしろ、みたいな教えがあって。それでWRONG SCALEとかthe band apartとかtoeとか、もうちょいお洒落な音楽に目覚めていきました」

――洋楽は?

TAKKI「ギターが上手くなりたくてレッスンを受けるようになって。その授業の課題として出されるので洋楽を聴くようになったんです」

――どんなものを?

TAKKI「TOTOのスティーヴ・ルカサーのリフがレッスンで出て、〈何これ? めちゃくちゃムズくない?〉みたいな。だから洋楽はギタリストをメインにして聴いてるんです。ジャズとかファンクとか」

――手本として学んだギタリストは?

TAKKI「ロックだと、ルカサーとかリッチー・コッツェンをやって。ジャズの先生だったんで基本はジャズが多かったんですけど、アール・クルーとかデヴィッド・T・ウォーカーとか。そこからアシッド・ジャズ系を聴くようになって、あとはジョン・メイヤーとかエリック・クラプトンとかブルース系も行きました」

――自分の音楽性に影響を与えたアーティストを3組挙げるとすると?

SOTA「3組だと、ユーミン、スティーヴィー・ワンダー、クイーンです。ユーミンはなにしろメロディーと、あとはコード感ですね。スティーヴィー・ワンダーは、聴いた時にヴォーカリストである以前にシンガーでありたい、みたいなことを感じて。フレディ・マーキュリーはもう声質がズル過ぎ(笑)。〈なんなん、この声?〉みたいな。あとはロックなのにオペラをやっちゃう自由度というか。別に何をやってもいいんだな、思った通りにやればいいんだっていう姿勢は影響を受けました。だから、スティーヴィー・ワンダーとフレディ・マーキュリーを足して2で割ったようなシンガーになりたいと思ってたんです」

――TAKKIさんが影響を受けた3組は?

TAKKI「メイシオ・パーカー、ノーマン・ブラウン、10-FEETですね」

――メイシオ・パーカーはジェイムズ・ブラウンのバック・バンド、JB'sでの活躍が知られるサックス奏者ですね。

TAKKI「最初にファンクに触れたのがメイシオ・パーカーで、サクソフォニストみたいなギターを弾きたいっていうのがギタリストとしてのテーマにあるんです。アンサンブルで浮かないリードみたいな。メイシオ・パーカーの、リズムを引っ張るリード担当みたいなところが好きで。それは常に目指してますね」

――ノーマン・ブラウンはソウル/アシッド・ジャズ寄りの作風でデビューし、今はスムース・ジャズ界で活躍しています。

TAKKI「ノーマン・ブラウンはグルーヴの理解度を広めてくれたギタリスト。現代的だし、全然ジャズを知らない人でも聴きやすい。口ずさめるくらいメロディアスなギター・フレーズも目指すところです。あとはクリーン・トーンの大事さを教えてくれたギタリスト。自分はクリーン・トーンの綺麗さにこだわっていたくて、そういう意味でノーマン・ブラウンは先生ですね」

――10-FEETは?

TAKKI「10-FEETは人間性というか(笑)。高校生の頃、TAKUMAさんのインタビュー記事とかレビューとかを読み込んでいたんです。そのときに音を通して自分の生き様を伝えていく人、自分の生き方を格好付けずに言う人だなと思って。尊敬しているし、自分もそういう人でありたいなって思います」

――SOTAさんはゴスペルを習ったことがあると聞きました。

SOTA「20歳の頃に組んだバンドのメンバーに〈お前、全然歌ダメだぞ〉って言われて、じゃあボイトレに通おうと。月謝を払ってスクールに通ってみたり、音楽仲間のツテを頼ってトレーナーを紹介してもらったりして、いろいろ試したんですけど、どれもしっくりこなくて。そのなかでゴスペルの先生に当たった時に、声を当てる場所とかチェストの使い方とか、すごく自分の中に分かりやすく入ってきたんです。僕の体の構造なのかわからないけど、ゴスペルは肌が合うなと思って。それで一時期その人に教わってたんです。そこで発声とか唱法とかが変わりましたね」

 

J-Popに響かないようなことはしたくない

――SOMETIME'Sは2017年に結成したそうですが、いきさつを教えてください。

TAKKI「僕は2015年に自分のバンドが解散して、そこからはバンドに所属せず、サポート・ミュージシャンとして活動してたんです。でも、1年くらい経った時に〈なんかちょっと違うな。面白くないな〉と思い始めて。そしたらSOTAがやってたバンドが2017年に解散することになって。その解散ライブの前に、今もSOMETIME'Sのグラフィック・デザインをやってくれてる友達の女の子と3人でメシを食べに行ったんです。そのときにSOTAが〈良かったら一緒にやらない?〉って誘ってくれたのがきっかけです」

――二人はもともと顔見知りだったんですか?

SOTA「高校の同級生なんです。でも、高校は学年に14クラスもあるデカい学校で、なんなら教室が入ってる校舎も違ってて。僕はラグビー部に入ってたし、TAKKIは軽音部なんでまったく接点がなくて」

――どこで接点を持つんですか?

TAKKI「僕が横浜出身なんで、横浜のヤツらとバンドをやってたんです。当時SOTAのバンドはインディー・レーベルからリリースするくらいの活動規模で、横浜でも人気だったんです。で、僕が組んでたバンドに高校のときからSOTAと繋がってたメンバーがいたから、その繋がりでレコ発のイベントに呼んでもらったのがきっかけで、お互い〈名前は知ってる〉みたいな。そこからSOTAのバンドの人気にあやかって、僕らもイベントに出させてもらったりして(笑)」

SOTA「あと、僕が最初に組んだバンドのメンバーのヤツがいたんです。それでTAKKIのことは伝え聞いていて。そういうヤツらに連れられて、お互いに横浜で同い年くらいの連中とバンドをやってるから必然的に顔くらいは知ってたんです。だけど、話したことがないっていう」

――SOTAさんはずっとバンド人生だったわけですよね。でも、TAKKIさんひとりを誘っている。当初から、今度はユニットをやろうという考えだったんですか? 

SOTA「ライブをやる時はバンド・セットというイメージはあったんですけど、10代後半から2017年まで7〜8年バンドをやってきて、素敵なミュージシャン仲間は周りにいる。だったら、TAKKIと一緒にやって、いろんな人を迎え入れられるプラットフォームみたいなものを作った方が面白いかなと思ったんです」

TAKKI「僕も同じ考えでした。ドラムはアイツもいるし、コイツもいる。ベースもアイツがいるし、コイツもいる。だったら、やりたい二人が集まっていることが大事っていう」

――SOMETIME'Sとして新しく出発するにあたり、目指した音楽性は?

SOTA「J-Popに響かないようなことはしたくないっていうのがあって。ポップスであることは大前提にしてました」

――ポップスと言っても幅広いですし、定義もいろいろですが。

SOTA「結局はメロディーだと思っているので。たとえばエクストリームの“More Than Words”みたいな。ハード・ロック・バンドだけど、あの曲だけはポップスとして聴けるっていう、ああいうことでありたくて。全然音楽を知らない人が〈難しそう〉って敬遠するような方向には行きたくなかったんです」

――音楽を作る時に新しさを求める人たちもいますが、そっちじゃないと?

SOTA「あまりそういうのは求めてなかったですね。前にやってたバンドも僕が後から入ったカタチだったし、10代後半でバンドを始めた頃から、俺が作りたい音楽をまだ全然作れてないっていう気持ちがあったんです。だから、新しいメンバーで新しい音楽というより、スティーヴィー・ワンダーやユーミンを聴いてた俺が音楽を作ったらどうなるか?っていうことをやりたい、みたいな。そっちが先にあったんです」

――でも、TAKKIさんはここまで話を聞いていると、ニッチというか専門性の高いギター人生を歩んできていますよね。

TAKKI「僕はどちらかというと脇役のギタリストになりたいタイプだったんで。僕がどんなにニッチなことをしていても、良いヴォーカリストがいればそれで音楽は成り立つと思ってるんです。で、僕の中でSOTAはど真ん中のヴォーカリストだったんです。だからSOTAから〈こういう音楽が好きだし、やりたいんだよね〉ってデモを聴かされた時に即答しました。めちゃくちゃ面白そうだし、たぶん売れると思うよって。そういう自信もありましたから、まだ1曲も作ってないのに(笑)」

 

“Honeys”のリリック・ビデオが大ヒット

――今年6月にリリースしたファースト・デジタル・シングル“Honeys”は、どのように作った曲なんですか?

SOTA「元々は2018年の7月に自主制作で出したEPに入ってるんです。それをゴージャスにリアレンジしたものがコレで」

TAKKI「今、ずっと一緒にやってる、3人目のメンバーともいえる藤田道哉というアレンジャーにいちばんカタチにしてもらった曲です。原曲はシンセも多かったし、機械音も多くて、エレクトロっぽい感じだったんです。そこに管楽器を入れてパーカッションを加えて、BPMも2つ上げて」

SOTA「元々のEPで作ってた時は目立つような曲じゃなかったんですよ。確か1発目のシングルにしようとしたのは、イントロがなくて歌始まりだし、ゴージャスな感じにすればポップスになるよな、イケるよなっていうことでリアレンジすることになったんです。だから、全然目立たなかった子が化粧したら可愛くなった、みたいな印象があるんです。リアレンジしたら、ライブでも中盤でやってた地味な曲だったのが、気付いたら最後の盛り上げ曲になってたっていう」

――“Honeys”のリリック・ビデオは60万再生を超える反響がありました。それをどう受けとめていますか?

SOTA「そもそも前のバンドのときはYouTubeの再生数なんて1万回止まりレヴェルだったんで(笑)、はるかに想像以上でした」

TAKKI「そう。どういうカラクリなんだ?って(笑)。“Honeys”は公開4時間とかで5万回とかいったんです。これは何なの?って(笑)」

SOTA「僕の中で、SOMETIME'Sの曲は大きな舞台に立ったら格好いいだろうという自信はあったんです。でも、雪だるまを転がすときの最初の小さな球がグンと大きくなる感じは想像できていなくて。その小さい小さい雪球がコロコロっと転がりだしたから、〈うわー、行ったー!〉みたいな感じでした」

――その勢いで翌月の7月にはセカンド・シングル“Take a chance on yourself”を配信リリースしました。

TAKKI「“Take a chance on yourself”も、自主制作したEPに入ってる曲をリアレンジしたものなんですけど、自分たちのデモにはこの手の曲調が多いんです。なので、“Take a chance on yourself”が響いてくれたら嬉しいなという気持ちはありました」

――SOMETIME'Sのメインストリームにあるのは“Take a chance on yourself”の方向性ということですか?

TAKKI「そう。これが響くんだったら、アレもできるし、コレもできるし、ヴィジョンがすごく広がるなって」

――逆にいえば、腕試しとして、自分たちとしての直球を二球目に投げてみたところもある?

TAKKI「“Honeys”は俺らの中ではちょっと違うカタチの武器なんです。これを毎回求められたらちょっと厳しくなるなとは思ってましたね。アッパーで踊れる音楽をずっとやりたいわけじゃなかったから。そしたらそれがちゃんと届いたっていう実感があったし、個人的に自信が付きました」

――この曲がSOMETIME'Sの直球だと言う理由は他にありますか?

SOTA「単純に曲が明るいので。僕らってアーティスト写真はクールな感じですけど、ライブではファニーというか、温かい感じの雰囲気が出ちゃうんです。その実像を見てもらったときに、この曲の感じがいちばん嘘がない」

――ハッピーでカジュアルな雰囲気っていう。

SOTA「そう。あとはドライヴ・ミュージック感というか。ドライヴはドライヴでも高速道路とかじゃなくて街乗り系。歌詞もそういう感じになってるし」

――歌詞でテーマにしたことは?

TAKKI「日常の良さをポジティヴな言葉を集めて表現できないかなと考えたんです」

――タイトルにある〈Take a chance〉は、〈チャンスをつかめ〉という意味の他に、〈一か八か掛けてみろ〉みたいな意味も持つフレーズですよね。

TAKKI「それを〈頑張れ!〉みたいなニュアンスにしたくなかったんです。〈お前ならやれるぞ、応援するぞ〉っていう感じにしたくなくて。普通に生きていく中でもチャンスは転がっているから。だから、ありのままの等身大でいいんだよっていう感じを出したかったんです」

――そして、その2曲とはガラッと趣向を変えたバラード曲“I Still”を8月に配信リリースしました。これはどのように作った曲なんですか?

SOTA「とにかくファルセットでサビを押し切りたいっていうアイデアが先にあって。最初は幻覚を見てるようなふわふわした感じをファルセットで歌うっていうイメージから作ったんです。あと、僕たちは基本的に、僕が歌うデタラメ英語をTAKKIが空耳して歌詞にしていくのが基本なんですけど、この曲に関してはTAKKIに書きたい題材があったから、それに合わせてメロディーも調整して作って行きました」

――その題材とは?

TAKKI「SOTAの友達に遠距離恋愛をしている女性がいて。好きな人が遠くに行っちゃうだけでめっちゃ痩せちゃうみたいな人らしくて。自分が無理してでも相手に合わせて気持ちが苦しくなっていく、みたいな。そういう感情は最近自分の中になかったんで、その女性から話を聞かせてもらって、純な愛を思い出しながら書きました」

――〈愛してたんだよ〉という過去形から始まりますが、失恋ソングじゃないんですね。

TAKKI「そう。むしろ、あなたしかいないんだって思い詰めていくようなラヴソングなんです。自分が苦しくなるのはわかっているのに離れるという結論が出せないっていう」

――ファルセット全開のヴォーカルがその切なさを助長しています。

SOTA「これだけファルセットで押していって、最後の最後だけ地声で歌う。その一節を際立たせるためにファルセットでずっと伏線を張っててるんです」