
経験したことのない戸惑いから視点を転じ、原点に立ち返ることで生まれた普遍的な歌。 時代のマインドを聴き手と共有しながら、彼女はふたたびダンスフロアへと目を向ける――
広く聴かれる曲を
昨年3月の前作アルバム『Sparkle』において、明るく弾けるような音/言葉と共にキャリアの転機を迎えたiri。溢れるような冒険心と自己表現に対する自信がポジティヴに打ち出された作品を経て、5月には全国ツアーを予定していたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、全公演が中止となってしまった。
「前作『Sparkle』は、いろんなことにチャレンジして、自分の好きなものがより鮮明に見えてきたし、その自分らしさを深く理解して、具現化してくれる方々と一緒に作品を作ることができたアルバム。いま振り返っても満足のいく作品ですね。だからこそ、私が感じた大きな手応えをアルバム・ツアーで皆さんと共有できなかったことは本当に残念でした。ずっと続いていた活動が一回止まった時、もちろん悔しくもあったんですけど、〈このタイミングで一度、肩の力を抜いてみよう。自分と向き合ってみよう〉と気を取り直して、新たな曲作りに取り掛かって。でも、そこからどんどんダウナーになってしまったんですよね。仕事をしていない、人と会えないことがどんな意味を持つのか。私にとって、音楽を作ること、ライヴでお客さんと会うことは、生きた心地がする瞬間、心の支えになっていた時間だったんだなって。うん、だから、落ち込みましたね」。
ある日突然、平穏な日々が損なわれる理不尽さ、怒りや悲しみ。そうした感情すら共有することが困難な社会の分断は、しかし、すべての人間に等しく降り注ぎ、〈分断〉や〈孤立〉を共有せざるを得ない奇妙な時代を迎えることとなった。
「自分と向き合うのも、その時間があまりに長くなるとメンタルに響いてしまうし、音楽を聴いたり、TVを観る時間もグッと減って、唯一テンションが合ったのは、ネイチャー系のドキュメンタリーと、リフレッシュがてらに近所にある海を散歩することくらい。そんな状況下で5月くらいからいつもより時間をかけてゆっくり曲作りをしていくなかで、春っぽい卒業ソングをイメージして、今回のタイトル曲“はじまりの日”に取り掛かりました。でも、別れが頭から離れないというか、どうしても前を向いた曲にはならなかった、というか、いまの私には無理だなって。そう思いつつも、自分がローなテンションということは、世の中の人も同じようなマインドなのかもしれないと思ったんです」。

経験したことのない戸惑いを感じながらも視点を変えたことによって、新たなインスピレーションを得た彼女は、スマートフォンやパソコンに曲や歌詞のアイデアを残しながらの曲作りから、手書きのノートとギターの弾き語りによる創作活動の原点に回帰した。
「いままでは、R&Bやヒップホップとか、ジャジーなテイスト、ハウスっぽいトラックがあったりで、特定の音楽性に向かっていくと、そこに深く共感してくれる人が増える一方で、場合によっては聴く人の幅を狭めてしまったりもする。そういう意味で、広く聴かれる曲をいつか作りたいなとは思っていたんですけど、“はじまりの日”は、誰もが共通して感じられるであろう思いが歌詞にできたし、自分の音楽の原点である弾き語りのスタイルを起点に、いらないものを省いて、普遍的な曲に昇華できたのは、このタイミングだったからということが大きかったと思います」。
ウィズコロナの風景
胸が引き裂かれるような感情さえも温もりで抱擁する優しい歌声と、TAARやペトロールズの三浦淳悟らがバンド形態で紡ぐ柔らかくメランコリックな楽曲によって、〈ウィズコロナ〉の時代の日常、そこで広がる心象風景を描き出したiri。さらには、宇多田ヒカルやFriday Night Plansらの作品を手掛けるTepppei、クラムボンのミトという新たなコラボレーターと共に、日常化した非日常的な時代のムードと人の営み、そこで生まれるさまざまな思いを楽曲に投影している。
「“room”はソーシャル・ディスタンスということで、みんながお家で過ごしていた時間をイメージして。そこではネット上で誰かと繋がっていた人──私も含め、それによって救われた人も多かったと思うし、そんな景色を踏まえて書いた曲なんですね。今回、初顔合わせとなるTepppeiくんは、程良いテンションのR&B感、ローファイな質感によってインドアなムードを汲み取って、ミックス段階では〈歌を聴かせたいから、もうちょっとバスドラムのキックを下げたほうがよくない?〉って言ってくれたり。私の歌も無理がないというか、いまのテンションが表れていると思います。
“回る”のほうも、自粛期間中、人はどこから来て、死んだらどこに行くんだろうと延々と考えていた、一番ディープだった時期の心境と日々の生活がリンクしたものですね。曲が持っているテンションと合うかもしれないと思って、大学時代によく聴いていたクラムボンのミトさんに初めてプロデュースをお願いしました。生音主体で、懐かしいサウンドをイメージしていたんですけど、イマっぽいトラックが上がってきて、いい意味での驚きがありましたね」。
〈抜けた!〉と思えた瞬間
答えも行く先も見い出せず、漂泊する思いを抱えつつも、iriの音楽探究はもちろん終わらない。ジャンルに囚われない普遍性を求めた“はじまりの日”から“room”、“回る”の繊細な余韻を活かしたアンビエントなタッチ。そして、作品を締め括る2ステップのダンス・トラック“doyu”と、フランスのレーベル、キツネに所属するバンクーバー出身のプロデューサー、パット・ロックによる“言えない”のリミックスでは、ダンスフロアや躍動するグルーヴへの渇望感が押し止めようもなく溢れ、零れ落ちている。
「曲を作りながら、とりとめのないことを考えながら、でも、最後は踊れる曲を作ろうと奮起して、感じるままに作ったのが“doyu”。MJコールを聴き返したりしていたTAARくんが2ステップをやりたいと言い出したところから始まって、深いメッセージ性があるわけではないんだけど、自分のなかで何か爆発させたかったし、実際、〈抜けた!〉と思える瞬間があった曲ですね。そして、去年の年末に配信で発表した“言えない”のパット・ロックのリミックスは、もともとオリジナルでやりたかったこと──〈伝えられない思いを抱えながら、踊れる曲にしたい〉という当初のアイデアを形にしてもらったもの。ゆったりメロウなタッチのオリジナルも、それはそれで気に入っているんですけど、“doyu”と同じく気分をアゲてもらいたかったんです。だから、作品を通して聴いた時に後半2曲のテンションの違いにみんな驚くかもしれないですけど、誰にも会わず、家に籠もって、ふつふつとしていたら、バーンと弾けたくなるという気持ちもわかってもらえるかなって。まぁ、これがいまの私ということで、自分のなかで納得しているんですけどね」。
分断や孤立を前提とすることから始まる新たな時代の新たなうた。昨年9月と12月にはライヴ配信を行うなど、リアルタイムで変化を続ける音楽の躍動感を届けるべく試行錯誤を続けてきたiriだが、本作『はじまりの日』を携え、4月からいよいよ全国8か所を回る〈iri Spring Tour 2021〉が始まる。
「まだ、はっきりとは言えないんですけど、昨年末の〈Five Zepp Tour〉とは違ったアプローチのライヴになりそうです。作品にも同じことが言えるんですけど、ライヴもその時々の自分がやりたいことをやれるようにするにはどうすればいいか。現状に満足せず、というか満足することはないんですけど、引き続き模索していけたらいいなと思ってます」。
『はじまりの日』に参加したアーティストの関連作品。
左から、YOSA & TAARの2019年作『MODERN DISCO TOURS』(OMAKE CLUB/PARK/bpm tokyo)、ペトロールズの2020年のライヴ盤『SUPER EXCITED』(ENNDISC)、クラムボンの2015年作『triology』(コロムビア)、パット・ロックの2019年作『Corazon』(Kitsune)
iriの作品。
左から、2016年作『Groove it』、2018年作『Juice』、2019年作『Shade』、2020年作『Sparkle』(すべてColourful)