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音楽に表れた葛藤と克服

 そして、理想の音楽に向けた試行錯誤は、2019年のサード・アルバム『Shade』において、アップリフティングな『Juice』の対極にある美しく切ない心の陰りを描き出した。

 「エネルギーに溢れた『Juice』に対して、『Shade』は内省的なアルバムですね。トラックがバキバキだとテンションもどうしてもアグレッシヴになってしまうのですが、タイトル曲の“Shade”も、プロデューサーが大沢伸一さんということで緊張もしたし、当初はバキバキなアプローチを想定していたら、逆に音を引き算するミニマルなアプローチを提案してくれたんです。それが新たな気付きとなって、音数を減らすことで歌を聴いてもらいたいし、メッセージを聴いてもらいたいと思ったんですよね」。

 メロウなグルーヴと共に何気ない日常の風景が甘美に響く、アルバムからのリカット・シングル“Wonderland”に続き、2017年の『life ep』収録のフォーキー・ソウル“会いたいわ”がTikTokをきっかけにバイラル・ヒットを記録。この予想外のヒットは、彼女が自然体での楽曲制作に確信を深めるきっかけとなった。

 「“会いたいわ”はリスナーをまったく意識せず、録音したボイスメモをもとに作ったもので、自分の感情がいちばん露になったリアルな曲なんです。“Wonderland”も力を抜いてラフに書いた曲なので、そういう2曲が自分の想像を超えて、多くの人に聴いてもらえたことで、自然に生まれたもの、その時の自分がいいと思ったものを残しておけば、ちゃんと届くんだなって」。

 2020年の4枚目のアルバム『Sparkle』は、リスナーのリアクションと制作陣との関係の深まりに後押しされ、自身を解放した作品。メロウな作風を得意とするKan Sanoとあえてアップテンポなエレクトリック・ファンクに挑んだ“Sparkle”や、ゴスペルの昂揚感に満ちた“24-25”など、サウンドとリリックが放つ輝きのなかで、その作品世界は一つの完成形へと昇華された。

 「TAARくん、Yaffleくんもそうだし、ペトロールズの三浦淳悟さんをはじめとするプレイヤーたちもそうなんですけど、私のことを理解してくれてる人たちが集った『Sparkle』は制作も楽しかったですし、実験的なことも上手く形になって、アルバム・タイトル通り、自分のなかで一つ抜けた作品になりました。ネガティヴなこと、過去の後悔や自分のダメなところ、人とズレてるところも前向きに考えられるようになりましたね」。

 他のアーティストに提供した“make me bright”のセルフ・カヴァーや、『井上陽水トリビュート』に収録された“東へ西へ”のカヴァーに加え、本作にはエイミー・ワインハウスの歌唱で知られる“Valerie”のカヴァーも収録。デビュー前にアルバイト先のジャズ・バーでよく歌っていたというこの曲は、過去に立ち返り、ここから前に進もうという彼女の意志の表れでもある。

 「エイミーが27歳で亡くなってから10年が経ち、今年でデビュー5周年を迎えた私も同じ27歳になったということもあって、今回カヴァー曲に“Valerie”を選びました。エイミーに対するリスペクトを込めながら、ジャズ・クラブでセッションをやっているようなアレンジにしたかったのは、私がどういうところから音楽を始めたのかを伝えたかったから。iriというアーティストにここで初めて興味を持ち、今回のベスト・アルバムを手に取ってくれた人には、私のキャリアはジャズ・クラブで歌うところから始まり、原点である“Rhythm”から5年に渡って歩んできた自分のミュージシャン人生における、その時々の葛藤とそれを克服した瞬間、感情の変遷を感じてもらいたいですね。そして、すでにiriのことを知ってくれている人には、曲にまつわるそれぞれの思い出と私の5年間の歩みをリンクさせて楽しんでもらえたら嬉しいです」。

左から、“Valerie”が収録されたエイミー・ワインハウスの2006年作のデラックス版『Back To Black: Deluxe Edition』(Island)、2019年のコンピ『井上陽水トリビュート』(ユニバーサル)