生成する光と音とイメージがつくりだすアンビエンス
〈BRAIN ENO AMBIENTKYOTO〉
〈アンビエント・ミュージック〉の創始者として音楽史にその名をとどめるブライアン・イーノが美術ことにインスタレーションへひとかたならぬ情熱をいだいていそうなのには2006年のラフォーレ原宿に足を運んだ方はおそらくまざまざと実感されたことであろう。原宿の一角の会場の一隅には「77 Million Paintings」と題した光と音からなる作品を設置してあり〈Visual Music〉を自称するこれらの作品では大小さまざまな方形を格子とする抽象的な絵柄が時間の経過とともにじょじょに融解するように変化する、題名の7700万にはシステムが原理的に生成する組み合わせの実数をさし、有限数ながら気の遠くなるほどの数値には、やはり自動的に生成する音楽とともに、いちど出来した状態は二度とふたたびおとずれない――そのような含意をもつ作品が16年の歳月を経た2022年6月、ふたたびわが国にあらわれる。
一度目は東京に、二度目となる今回は築90年を数える京都中央信用金庫の旧厚生センターの空間そのものを作品のいちぶとして再帰する。展覧会の題名を〈BRIAN ENO AMBIENT KYOTO〉といい、上にあげた「77 Million Paintings」のほか3作品で構成する本展ではあまりに巨大な名声ゆえ、ややもすると音楽に従属するとみなされがちなイーノのアートの自律的、統覚的な側面をとらえる、本邦におけるはじめての展覧会といえるであろう。今回一堂に介した作品は制作時期も形態も形式もことなるだけあってまず目につくのは多様性だが、さらに目を凝らすと浮かびあがるのは作品のパースペクティブをなすイーノの思考の体系である。
体系の構造化において重要な働きをするのが〈生成〉すなわち〈generative(ジェネレイティブ)〉の概念である。イーノは90年代に音楽の自動生成ソフトの開発にとりくみはじめ、SSEYOと協働でKoanなるソフトウェアを開発、これを介して自動生成する12曲をフロッピーディスクにおさめ『Generative Music 1』と題して世におくりだしている。イーノのいう〈生成音楽〉とは再生ごとに変化する音楽の謂で聴取者はおなじ音楽を二度と耳にすることはない。録音物でありながら非固定的な音楽のあり方は作品の同定をはばむようにも演奏者による再現性の差異を彷彿するかにもみえるが、それ以前に奏でるごとにたちあらわれる音楽への根源的な問いでなくてなんであろう。もっとも生成音楽には演奏者はタッチしない。特定のルールに則ったシステムが自走し、入力にたいする出力を変化させる。ここに仮に作曲の概念をあてはめるならルールの考案がそれにあたる。もっとも結果の予期不能性は1950年代以降の実験音楽がくりかえしとりくんできた課題でもある。イーノ自身、ケージやカーデューら多くの作曲の影響を公言しているのだから彼らの知見を無視するわけにもいくまい。いなむしろ先達のつよい影響化に身を置きながらその批判的のりこえをはかったのがイーノだったというべきであろう。そのうえで〈生成〉の語が2022年のいまなまなましく響くのはAIやディープラーニングなどのテクノロジーがその概念を現実に実装しはじめているからではないか。