シーナ&ロケッツのオフィシャルサイトより

鮎川誠が死去したと、本日1月30日にシーナ&ロケッツのオフィシャルサイトで発表された

鮎川誠は2023年1月29日5時47分、膵臓がんのために死去。74歳だった。

鮎川は1948年生まれ、福岡・久留米出身。66年に初ステージを飾り、70~78年にブルースロックバンド、サンハウスのギタリスト/作曲家として活動した。

サンハウスの解散後、78年に上京し、妻のシーナをボーカリストとしてシーナ&ザ・ロケッツ(現シーナ&ロケッツ)を結成。同年、シングル“涙のハイウェイ”でエルボンからデビューし、ファーストアルバム『#1』をリリースした。

その後、79年にアルファに移籍し、セカンドアルバム『真空パック』をリリース。細野晴臣がプロデュース、YMOのメンバーが参加した同作からは、シングル“ユー・メイ・ドリーム”がJALのCMに使用されてヒットした。また、鮎川は、YMOの『SOLID STATE SURVIVOR』(79年)とツアーにも参加している。

81年、シーナ&ロケッツは米A&Mからアルバム『SHEENA & THE ROKKETS』をリリース。さらに82年、鮎川はファーストソロアルバム『クール・ソロ』を発表している。また、この時期のシーナ&ロケッツの人気曲“レモンティー”は、2018年に7インチシングル化されるなど、いまでも聴き継がれている名曲だ。

歩みを止めることなく活動を続けていたシーナ&ロケッツだったが、2015年、シーナが子宮頸がんによって61歳で逝去。その後も鮎川は、シーナの遺志を継いでシーナ&ロケッツでの活動を続けていた(2016年には、シーナのことを語ったインタビュー書「シーナの夢 若松,博多,東京,HAPPY HOUSE」が刊行された)。近年は友部正人、三宅伸治とのユニット、3KINGSとしても活動し、2019年にアルバム『王様のノイズ』を発表した。

音楽活動以外では、俳優としてTVドラマや映画に多数出演。TV CMへの出演などを含めて、お茶の間でも愛された存在だった。

所属事務所のロケットダクションによると、鮎川は、2022年5月に膵臓がんが発覚し、医師から余命5か月ほどという宣告を受けた。しかし、それを公表せず、治療を続けながらツアーを続行。〈自分が死ぬまでの間に1本でも多くシーナ&ロケッツのライブをやりたい〉との思いから、ライブを行なっていたそうだ。年末には腹痛で一時入院、この1か月は復帰に向けて自宅で治療と回復に努めており、亡くなる直前まで次作の選曲を考えるなど、制作を行っていたという。

通夜と葬儀は、鮎川が長年暮らした東京・下北沢の森巌寺 開山堂にてシーナと同じ〈ロック葬〉で、長女の鮎川陽子を喪主にして行われる。通夜式は、2月4日(土)の17:00~20:00に行われる。

福岡時代は博多の〈めんたいロック〉の草分けとして活躍し、シーナ&ロケッツでは日本のパンクやニューウェーブを牽引、YMOファミリーとしても数々の名演を遺したギタリスト/シンガーソングライターの鮎川誠。活動を始めてから57年間を駆け抜け、最期までロックンローラーとしての矜持を貫いた音楽家だった。

 


INFORMATION
鮎川誠〈ロック葬〉
2023年2月4日(土)東京・下北沢 森巌寺 開山堂
通夜式:17:00~20:00
https://sheena.cc/kyoka/