ヴォーカル・グループの隆盛

出嶌「遅れてきたNJSというか、今回のリフとかも時代の変わり目を感じます」

「それで言うとブリック・シティの“Say U Like”はいまだとシングルが何万もするぐらい人気ですけど、94年当時は遅れてきたNJSって感じでした。これを手掛けたテディ・ライリー一派のJ・ディブスは今回リイシューされるジョーの初作でも“I’m In Luv”を手掛けていて、NJSブームを絶やさないというくらいの気概を感じましたね」

出嶌「ただ、ボーイズIIメンの『II』と同じ年でもありますからね」

「彼らの影響は本当に大きかった。ブリック・シティも他の曲は“Old Fashion Love”とかバラードなので、恐らくボーイズIIメン路線で売り出そうとしたんでしょう。ただ、94年にはモータウンのトップがジェリル・バズビーからアップタウン創業者のアンドレ・ハレルに交代する前後のゴタゴタがあって、あまりプロモーションされなかったのかもしれない」

出嶌「そうでなくてもモータウン自体がオールド・ファッションな印象を脱却できなかったのかもしれません。同時期のフォー・ラヴァーズ・オンリーとか、その後のマインド・ボディ&ソウルとか、不幸な作品が多い時期に思えます」

「ソウルトリーとかもいましたね。で、今回のラインナップでいうと、BBOTI(バッド・ボーイズ・オブ・ジ・インダストリー)も〈音楽業界の悪童〉みたいな雰囲気のグループ名ですけど、このネーミングってボーイズIIメンに対抗するっていう意識があったんじゃないかな。このBOYZのスペルもそうだし、しかも彼らのアルバムの前年にはボーイズIIメンがベイビーフェイス作の“End Of The Road”(92年)で大ブレイクしてるんですよね。それもあってBBOTIもベイビーフェイスの“Where Will You Go”をカヴァーしてたり。いかにいろんなグループがボーイズIIメンを意識してたかも感じられますね」

出嶌「まあ、〈悪童〉路線の筆頭にはジョデシィがいて、他にもシルクやシャイ、イントロもチャートで成功していて、単純に男性グループがめちゃくちゃブームだった時期ですよね。R・ケリーがグループの体裁でデビューしたみたいに、そっちのほうが需要があったというか」

「エディFとアンタッチャブルズの『Let’s Get It On: The Album』(94年)に収録されているポーシェもそうですね。この後にラフェイスからデビューするドネル・ジョーンズが組んでいたグループで」

出嶌「エディFはヘヴィ・D&ザ・ボーイズの一員としてアップタウンに在籍しているのに、 この時点でリーダー作をモータウンに残しているのというのが、さっきのジェリル・バズビーの話にも繋がりますね」

「そう、正式にハレルが就任するのは95年末ですけど、94年の時点で前任のバズビーと交代劇があったという話をちょっと読んだんで、まさに体制が切り替わる時だったのかもしれないですね」

出嶌「逆に当時のアップタウンはメアリーの『My Life』がバッド・ボーイ体制の作りだし、ジョデシィはデス・ロウに接近してて」

「そう、ソウル・フォー・リアルもヘヴィ・Dが後見したグループで、アップタウンとはいえちょっと違うじゃないですか。もともとのアップタウン人脈はこの後モータウンに合流していくんですね」

出嶌「エディFもアルB・シュア!もモータウンに移って、ヒップホップ・ソウルど真ん中なホレース・ブラウンやラデイを手掛けたりしていく」

「でも、ジェフ・レッドとかもそうなんですけど、アンタッチャブルズ周辺の連中はやっぱり地元愛が強いんだなって思いますね。ヘヴィ・Dもピート・ロックもNYのマウントヴァーノン出身でまさに〈アップタウン〉なんですけど、その勢力が本当に強かったんだなって」

出嶌「アンタッチャブルズの面々はこの時代に欠かせない名前でしたね。なかでもデイヴ・ホールはマライア・キャリーやマドンナのヒップホップ・ソウル路線を推進して」