『+』で始まった数学記号シリーズもいよいよ『−』で完結――パーソナルな哀しみにも目を向けて、シンガー・ソングライターとしての原点に立ち返った2年ぶりのエド・シーランは、己のもっとも弱い部分を率直に歌う!

職業、ストリート・シンガー

 2011年のメジャー・デビュー以来、グラミー賞で16部門ノミネートを受けて4部門を受賞。ブリット・アワードでは24部門ノミネートを受けて5部門を受賞。これまでに発表してきた5枚のフル・アルバムは、すべて本国UKのチャートで1位を記録。アメリカでも近作4つがすべて全米1位をゲット。もはやアスリートかオリンピック選手かというほど記録ずくめのキャリアをハイペースで押し進めてきたエド・シーラン。自身の才能や名声、成功に溺れていたら、こんなに長続きしなかっただろうし、一過性のヒット・ワンダーで終わっていたかもしれない。だが彼は常に地に足の着いた活動を繰り広げ、ジャンルを超えた音楽性を追求し、恵まれた人との出会いを大切にしてきた。

 父親の影響で幼い頃からボブ・ディランやヴァン・モリソン、ビートルズなどを聴いて育ったエド。ギターに興味を持ったのはエリック・クラプトンの“Layla”のライヴ・ビデオを観て以来だという。ミュージシャンになろうと決心したのは、11歳の時にダミアン・ライスのアコギの弾き語りライヴを体験したのがきっかけだ。ダミアンとは終演後に言葉を交わし、以来自分で曲を作りはじめて、3年後には早くもレコーディングした作品を発表している。音楽学校に通ったり、同年代のさまざまなミュージシャンと交流を重ねたり、数えきれないほど路上ライヴも行った。自主制作EPを多数発表していく中で、路上の娼婦について歌った“The A Team”(邦題は〈Aチーム~飛べない天使たち〉)が大手レーベルの耳に留まり、メジャー・デビューを飾ることに。2011年、同曲がいきなり全英3位、全米16位のヒットを記録する。同曲も収録されたファースト・アルバム『+(プラス)』の日本盤CD(2012年)には〈住所不定。職業、ストリート・シンガー〉と書かれた帯が付けられた。そのアルバムは結果的に全英1位、全米5位を記録。一躍時の人となり、“You Need Me, Don’t Need You”(全英4位)、“Lego House”(全英5位)、“Drunk”(全英9位)などのヒットが続いた。

 2012年3月には初来日、東京・代官山UNITで単独ライヴを開催した。アコギを抱えてひとりステージに立ち、ギターを弾いたり、時に叩いたり、ヴォーカルを重ねて、ループを作ってオーディエンスを巻き込んでいく。まさしくストリート・ミュージシャンといった出立ちだった。10代半ばから活動を始めて、いわゆる下積み生活が長かったせいか、〈どんな観客を前にしても自分の音楽で立ち止まらせ、聴き入らせるぞ〉という自信とヴァイタリティーが漲っていた。

 そんな彼のアーティストとしての才能とポテンシャルにいち早く気づいたのが、あのエルトン・ジョンだった。賞賛の声を上げたエルトンはみずから彼に手を差し伸べ、自身のマネージメント会社に招き入れる。一方、アメリカでは、やはりテイラー・スウィフトとの友情効果が絶大だった。テイラーはエドに直接コンタクトを取って、2012年の彼女の5枚目のアルバム『Red』に収録の“Everything Has Changed”を共作・共演。さらに2013年の北米ツアーではオープニング・アクトにも起用して、毎夜2人でデュエットを披露。彼女のファンがエドに夢中になるのは時間の問題だった。エドは当時人気絶頂のワン・ダイレクションにも“Moments”や“Little Things”といった楽曲を提供。彼らのファンからも一目置かれる存在となっていく。