©野坂昭如/新潮社、1988

兵庫出身の声優・速水奨&石川由依、ステージでオーケストラと共演
音楽詩の演奏形式(オーケストラ演奏&朗読)での公演が神戸で開催

 映画と音楽と結びつく時、映像はより雄弁になる。視覚と聴覚が同期して、頭の中で記憶として固着化する。スタジオジブリが制作し、1988年に同時公開した「火垂るの墓」と「となりのトトロ」。言わずもがな日本アニメーションの二大巨匠、高畑勲と宮崎駿両監督の代表作もその例に漏れない。ただ、音楽への意識の向き方は異なる。

 主従関係で語るのは適切さを欠くが、久石譲が音楽を担当した「となりのトトロ」は、音楽が〈絵〉に対して従、対峙、時には主となって、映像のメッセージを強化、さらにはリードする。映像が頭でイメージできる音楽作品になっている。だからこそ久石譲の作品としてコンサートやサウンドトラックができる。

 一方「火垂るの墓」の音楽は、「となりのトトロ」とちょっと異なる。映像から作曲家の〈顔〉が完全には見えてない。純粋に映像とストーリーが重く心に迫る。音楽は〈絵〉の重さを支えるプラットフォームとなっている印象だ。ゆえに、音楽が日本作曲家界の大御所、間宮芳生が担っていると言われて、初めて気が付く人が多いのも、そういった理由からだろう。

 1929年生まれの間宮芳生、作曲家が塊のように生まれた日本作曲家黄金世代に属する。同世代の作曲家は濃淡あるにせよ、戦争・終戦がその後の人生を決める重要な契機であったことは間違いない。

 間宮は1950年代から70年代の多作期に“ヴァイオリン、ピアノ、打楽器とコントラバスのためのソナタ”や“弦楽四重奏曲第1番”といった室内楽、1990年代前後にはマーチ“カタロニアの栄光”など全日本吹奏楽コンクール史に残る課題曲の名曲を生み出す。また数々の合唱曲、オペラ“鳴神”など、コンセプトにあわせて様々な音楽言語を取り入れて作品を世に送り出した。それらはいずれも、コンセプトと創作が上手く合致して、時に色気として遊び心を漂わせる仕事ぶり。普遍度と抽象性を上げて設定されたテーマに、主観のフレーバー――それが作品の色気に通じていくのだが――を効かせる仕事、そこに我々は間宮のプロフェッショナルな仕事を見る。

 間宮が音楽を担った映画「火垂るの墓」。不朽の名作となった作品の原作者、野坂昭如も忘れてはいけない。原作となった短編小説は、映画へと反映されたように重く、苦さが漂う。野坂が戦争で受けた傷、そして戦争を経て、なおも自分は生きている後ろめたい思い。さらには戦後生きて感じた、戦争の実体感の受け継がれにくさ。原作のエッセンスと絵を見事に統合させる高畑勲監督の手腕で、充満した複雑な思いが映画「火垂るの墓」を通じて我々に問いを突き付ける。

 さて、我々は彼らからの問いをどのように受け止めるか。今や多くの人が野坂、高畑、間宮の戦争体験を知らない。しかし、体験のマグニチュードは想像力を働かせることができる。ただ戦争を知らない世代が太宗になった今、思い起こさせる仕掛けがなければ、想像力は通常の生活を送る中ではなかなか効かせられない。本公演は想像力を働かせるきっかけとなる。

 加えてオーケストラ&朗読という形式に着目すれば本公演は、今まで映画「火垂るの墓」において間宮音楽にあまり意識を向けてなかった人に間宮のプロフェッショナルな仕事が再確認できる機会だ。

 本公演はストーリー、映像、音楽、いずれの起点であっても、名作となりえている理由、当時のこと、映像と音楽、物語の結びつきなどに自然と、かつ、気軽に思いを巡らせられる仕掛けが多々ある。その仕掛けを楽しみたい。

 


LIVE INFORMATION
原作:野坂昭如「火垂るの墓」(新潮文庫刊「アメリカひじき・火垂るの墓」所収)
音楽詩 火垂るの墓

2023年9月17日(日)兵庫県・兵庫県立芸術文化センター KOBELCO 大ホール
開場/開演:15:15/16:00
原作:野坂昭如
作曲:間宮芳生
編曲&指揮:山下康介
演出・構成:上海太郎
演奏作品:音楽詩・「火垂るの墓」 他
演奏:兵庫芸術文化センター管弦楽団
出演:速水奨(ステージ上朗読・清太役)/石川由依(ステージ上朗読・節子役) 他
https://classics-festival.com/rc/performance/hotaruno_haka_2023/