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NPGの理想

 プリンスはなぜ彼らを起用し、なぜこの形態を選んだのか。抜擢されたメンバーは即戦力のロージーを除けば基本は同じミネアポリス拠点の面々で、地元シーンで際立っていた腕利きプレイヤーをフックアップしていた様子が窺える。また、ダンサー/ラッパーやソウルフルな女性ヴォーカルの導入は、R&Bやヒップホップが時代の先端となっていく時代に対するアーティストとしての自然な欲求や興味の推移という他ないだろう。

 思えば、最初のライヴ・バンドからレヴォリューションに至るまで、プリンスは人種や性別が混合されたラインナップを希望していたとされ、それはユートピア的な発想も含めて先達のスライ&ザ・ファミリー・ストーンに倣ったものでもあった。それに対して初期NPGが志向したのは、ファンクを下地によりブラックネスや地元意識を強調して新しい表現を作り出した、デジタル・アンダーグラウンドやパブリック・エナミーのような新しい力の世代による一体感のあるユニットの姿だ。

 そして、それをミュージシャンシップの面も含めて突き詰めれば、Pファンク・オールスターズのような集団の姿が浮かんでくる。Pファンク総帥のジョージ・クリントンは当時プリンス主宰のペイズリー・パークに在籍し、先述の『Graffiti Bridge』にも客演していた。同作には、こちらもペイズリー・パークに招いたソウル・レジェンドのメイヴィス・ステイプルズや地元ラッパーのTCエリス、旧友のザ・タイムも結集。そう考えれば、『Graffiti Bridge』という作品全体の雰囲気をひとつのバンドに集約した形こそがNPGであるようにも思えてはこないだろうか。

 恐らく当時は〈ラップの導入〉や〈ヒップホップやハウスへの接近〉といったトピックのイメージが先行した部分もあっただろう。ただ、NPGメンバーたちの創造的なインプットを得たこの時期のプリンスは、時代の流れに逆行してバンド演奏でレコーディングに臨んでいる。ロージーのソウルフルな歌声とロマンティックに掛け合う表題曲や、マイケル&ソニーならではのヘヴィー・ファンク“Gett Off”などを聴けば、このハイブリッドな布陣の狙いは明白だろう。他にも“Jughead”や“Push”ではトニー主導のラップが躍動し、ハウシーな“Daddy Pop”や軽やかなブギー・ポップ“Cream”、古風なスウィングの“Strollin'”、ゴスペルの“Willing And Able”など耀きに溢れた楽曲の振り幅は実に多彩。天啓のように勇ましいオープニングの“Thunder”やセンシュアルなスロウ“Insatiable”のようにプリンス独力での録音も気合いが入っている。

 一方で、貧困問題や反戦を淡々と歌うメッセージ・ソング“Money Don't Matter 2 Night”やイラクのクウェート侵攻に触発されて作ったという終曲“Live 4 Love”で社会派な側面も見せているのが印象的だ。結果的に『Diamonds And Pearls』は久しぶりに本国でR&Bチャート首位を記録。つまりはモダンな(いわゆる)ブラック・ミュージックのリスナーからも支持されたわけで、時代の変わり目においてその狙いは正しかった。

 そんなプリンスがこの時期のNPGに見た理想の結実は、今回のSDEに音源と映像が収められたグラム・スラムでの濃密なパフォーマンスに見ることができる。スティールズのコーラスやホーン隊も交えた拡張版NPGが集結して各人がワサワサと歌唱やラップを披露し、『Diamonds And Pearls』収録曲を中心に、昂揚感に溢れた“The Sacrifice Of Victor”や圧倒的なラップ・チューン“Sexy M.F.”などの新曲も投入。ただ、そこでダンサーとして初舞台を踏んだマイテの存在もあって、プリンスのヴィジョンやNPGの在り方も変わっていくことになるのだった。

上から、ロージー・ゲインズの85年作『Caring』(Epic)、ソニー・トンプソンが在籍していたルイス・コネクションの79年作『The Lewis Connection』(P.A./Pヴァイン)