圧倒的スピードと暴力性――現代的ビーフの在り方
この展開のスピード感は、過去のビーフに比べて非常に現代的とも言えるような情報量と流動性に溢れている。まさに言葉の暴力とも言うべきか、ケンドリックとドレイクのラインは両者ともに非常に過激で、お互いの子供など家族やゴシップにまで言及し、ブレーキの効いていない状況であり、ケンドリックのリリシズムが損なわれたと評するものもあれば、ケンドリックの圧勝だと勝敗の判定をするものもいる。さらにドレイクが誤った情報をケンドリックに流し、ケンドリックがそれに踊らされたことを笑う、といった情報戦の様相も呈してきた。
そんな中、ドレイクの家の周辺で5月7日に起こった銃撃事件に、冷や汗をかいたものも少なくないだろう。ドレイクの自宅の警備員が撃たれて重症を負ったこの事件の真相は定かではなく、今回のビーフに関係しているものか、現時点で明らかにはなっていないが、本件が、今回のビーフに対する何かしらのブレーキになることは、十分にありえるだろう。
ビーフの勝敗には複数のレイヤーが存在するだろう。商業的な勝敗、お互いの放つラインの強さと出来、もしくは倫理的な線を超えてしまったかどうか。個人的には、今回のビーフでどちらに勝敗があるか、ということ自体よりも、結果的に優れた音楽家2人が異例のペースで作品を出し続け、それらが曲としてある程度のクオリティに達していた(それでもあくまで、ディスを目的とした、彼らからしたら片手間の音楽作品とは思うが)ことの方に興味を惹かれている。そういった楽曲が矢継ぎ早にリリースされ、ものによっては消去されるような、展開の速さは、90年代やゼロ年代とはまた違う、極めて現代的なビーフの在り方であると思っている。
“Not Like Us”は、ストリーミングサービスにおけるヒップホップソングの1日あたりの再生回数記録を更新しヒット中だ。今回のビーフが、今後も語り継がれることは間違いないだろう。一方でヴィンス・ステイプルズやクエスト・ラヴなど、今回のビーフそのものを批判するような声も、アーティストから上がっている。筆者自身も、お互いのゴシップ、暴露合戦と化し、いわば言葉の暴力に発展している現状を見ると、どちらかといえば彼らの言っていることに大きく頷きたいが、いずれにしても、今後のビーフの動向は、注視せざるをえないだろう。決してフィジカルな方向での暴力に発展しないことを祈って。