
シュガー・ベイブ初ライブのセットリスト
北爪「そのデビューコンサートのときには『SONGS』(1975年)に入る曲はほとんど出来てたんですか?」
村松「いや、まだまだだったね」
長門「カバーをしてたよね。デル・バイキングスの“Come Go With Me”とか」
村松「ジョー・サウスの“Devil May Care”もやったかな」
長門「あと小宮くんと僕が書いた“想い”って曲もやったんだよね」
谷口「“想い”は『SONGS』の30周年記念盤にライブバージョンが入ってますよね」
村松「そういえば、そのデビューライブの最中に山下くんが〈今年出た洋楽ワースト3〉とか発表したんだよ(笑)」
谷口「え、なんだったんだろう? 気になる!」
村松「言えないけど、有名な曲(笑)」
北爪「あ、いま気付いたけどファーストコンサートのポスターもそこに貼ってありますね(壁面を指して)」
長門「そうそう、これ唯一残っているシルクスクリーンの試し刷りなんだよね。裁断もまだしてないから」
谷口「すごい、世界で1枚だけかもしれない」
伝説のワンステップ・フェスティバル出演秘話
村松「シュガー・ベイブは学祭でよくライブをしたよね」
長門「大学祭は有名無名関係ないから、学校の実行委員会と直接交渉してね」
村松「あの頃は僕の車に機材積んで行ってたから大変だった。道もわからないしさ」
長門「大宮の女子高だったかな、あのときは迷ったねえ。途中で〈間に合わない〉って電話して、出番を一番最後にしてもらったんだよ」
北爪「当時の学生たちの反応はどうだったんですか?」
村松「一応チューニングが合ってて音もデカければ誰も文句言わなかったね、山下くんの声も大きかったし(笑)」
長門「よく喋るしね(笑)」
北爪「1974年には郡山のワンステップ・フェスティバルにも出演してますよね」
長門「あのフェスはウラワ・ロックンロール・センター(浦和で活動を行っていた音楽プロデュース集団)が協力してたんだけど、メンバーの滝口くんたちを学生の頃から知っていたので、そのツテで出して貰ったんだよね」
村松「ああ、そうだったんだ」
長門「出演日も宿舎もセンチ(メンタル・シティ・ロマンス)と一緒だったんだよね。あの宿でみんなで記念写真を撮ったんだけど、いまだに見たことないんだよ」
谷口「え、シュガーとセンチで? それは貴重!」
長門「写真があるよって聞いてからもう30、40年経ってるからねぇ」
北爪「色々なバンドが出ていたフェスですけど、アメリカンポップス志向のシュガー・ベイブやセンチはちょっと異色だったんじゃないですか?」
村松「異色というか、浮いてたよね。好意的に見てくれる人もいたけど、そういう人は少数派だから影が薄かった(笑)」
長門「でも野外のお祭りだから何でもいいって雰囲気はあったよね。海外からもオノ・ヨーコさんとかクリス・クリストファーソンなんかが出演していたし」
谷口「ステージに立った印象はどうでした?」
村松「ワンステップはステージが広くてね。大変だったのは、普通はどんなに広くてもPAの音が跳ね返りってあるじゃない、壁に当たって。あれがなかったの」
谷口「あ、野外だから音がそのまま飛んで行っちゃう」
村松「だから異様に小さいというかスカスカで寂しい感じになっちゃったのは憶えてる」
長門「ワンステップはCDボックスも出てるんだけど、シュガーは収録されてないんだよね。でも音源はちょっとだけTVのニュースで流れたことがあるんだよ」
村松「それは知らないですねえ」
長門「会場で大きな着ぐるみみたいなのが動いているバックで、シュガーの演奏する音だけ流れたの」
谷口「着ぐるみって、なんか最近のフェスでもありそうな光景ですね」