〈無声映画+音響/音楽〉
その最新形態との遭遇
無声映画は、欧米では1920年代の末から、日本でも1930年代の前半には、評論家や熱心な好事家はともかく巷の映画観客からは〈オワコン〉と見なされ退場していった。だが世界の主要な映画製作国で、映画のアーカイブやシネマテークなる組織が生まれたのはそこからだ。無声映画こそ私たちがいま知っている映画の文法、語りの基礎であり、幾多の傑作を送り出した映画芸術の青春期である。遅ればせながら無声映画は保護の対象となったが、それでも歳月を経るにつれ映画のアーカイブはその魅力を新たにプロデュースする必要に迫られた。
そこで大きな武器となったのが音楽の伴奏だった。元来、無声映画の上映には音楽がないわけではない。規模の大小はあれ必ずオーケストラや楽隊がいたし、さらに日本の場合は活動写真弁士による映画説明が不可欠だった。ただ、1980年代になって当時の音楽を再現することは難しいし、かりに再現できても、学術的な意義こそあるが新世代の観客にはそれほど響かない。そこで映画アーカイブ界が編み出したのが、即興によるピアノ伴奏である。ヨーロッパを中心に少数ながら無声映画の伴奏を職業とするピアニストが誕生することになる。その舞台は映画アーカイブや映画祭だが、まずは演奏能力の高さ、そしてモチーフの豊かな引き出し、映画という芸術様式へのリスペクト、そしていま自分が弾いている映画作品への理解と分析がないとできない仕事だ。それとは別に大がかりなフィルムコンサートもたびたび開催されてきたが、1984年、フリッツ・ラングの「メトロポリス」(1927年)を自身の音楽本位で再編集し、決定版を名乗って世界に広めたジョルジオ・モロダーにまでなるとちょっとやりすぎの感もあった。
とはいえ、例外的なポリシーを主張する国もあった。フランスである。パリにある映画の殿堂シネマテーク・フランセーズは近年まで〈無声映画は無声のまま上映するのが正統〉とし、時代を下った音楽家が新しい曲をその場で付すことを邪道だと見なした。だが現在のフランスがもうそんなに頑固ではないことは、この度東京文化会館で催される日本のアヴァンギャルド映画の先駆「狂った一頁」(1926年)の上映が雄弁に示すだろう。
当時気鋭の若手監督だった衣笠貞之助が、ドイツ表現主義の影響を受けて印象的な陰翳表現に訴えながら、無声映画のストーリーテリングの核心である挿入字幕(インタータイトル)を廃し、映画文体の革新を志した「狂った一頁」は日本映画史全体においても特異な地位を築いている。もともと無声映画の時代は画面が物語を運ぶ話術を洗練させる過程であったため、同時代の伴奏音楽はどうしても説明的になりがちだった。その一方、「狂った一頁」はその優れた抽象性ゆえ、現存する日本の無声作品の中でも懐が深く、現代でも音楽家を刺激するのは極めて自然に思われる。1926年の公開時、弁士を務めたという徳川夢声は知性派ゆえこの作品の美学を理解しようと努めたはずだが、伴奏は恐らく通俗的なものだったろう。また、1971年に衣笠の自宅で発掘されたフィルムに、衣笠の監修で新しい音楽を付して岩波ホールで上映された「ニューサウンド版」は、筆者は未聴だが、監督本人には決定版であり当時の観客からも一定の評価を得ている。そして筆者の勤務する国立映画アーカイブ(当時は東京国立近代美術館フィルムセンター)も、2007年に高橋悠治によるピアノ演奏を付した同作品の上映を主催した。そして今回フランスと日本共同の音楽プロジェクトが企画し、日本の作曲家平野真由が音楽を付したこのバージョンも「狂った一頁」伴奏史の中で新しい〈一頁〉を開くだろう。今や音楽の方が映画史を発見する時代が訪れたのだ。
今回の上映での音は、いわゆる〈伴奏〉とは異なる実験に彩られている。旋律の流れよりも音響に重きを置き、映画に内在するリズムを音楽が尊重しつつも、音の方が幾度となく画面へのチャレンジを仕掛けている。深みを帯びた冷涼な電子音や尖ったピアノ音は、牢の中で踊り狂う女や幽閉された患者の男たちが高める画面の強度と拮抗し、激しい雨の音や鳥のさえずりも、いわゆる効果音にはない緊張感を発散している。映像と音響の鋭い相互干渉が、かつてない映画体験を創り出すことを大いに期待している。
MOVIE INFORMATION
[フェスティヴァル・ランタンポレル]
IRCAMシネマ「狂った一頁」~ポンピドゥー・センターと歴史的無声映画のコラボレーション~
2024年11月29日(金)東京文化会館 小ホール
開演:15:00/19:00〈上映時間70分〉
★17:30からトークイベントを行います。各回のチケットを持っている方が入場可能です。
上映映画:「狂った一頁」(1926年)
監督:衣笠貞之助
原作:川端康成
脚本:川端康成/衣笠貞之助/犬塚稔/沢田晩紅
作曲:平野真由(2021年IRCAM、ポンピドゥー・センター委嘱作品)
コンピュータ・ミュージック・デザイン(IRCAM):ディオニシオス・パパニコラウ
制作:IRCAM/ポンピドゥー・センター(2021)
※フィルムはポンピドゥー・センター日本友の会より寄贈
【トークイベント出演】
平野真由(作曲家)
モデレーター:沼野雄司(音楽学者)