ワーナーミュージックの洋楽名盤シリーズ〈FOREVER YOUNG〉と連動した定番リイシュー作品を紹介する連載! 今回は歴史的な名バンドの20タイトル!

 洋楽名盤をリイシューするワーナーミュージック発の〈フォーエヴァー・ヤング〉シリーズが装いも新たに再始動!ということで、そのカタログを定期的に紹介していく連載。第2回目は、この9月に来日公演を開催したばかりの名バンド、シカゴが60~00年代にリリースした合計20タイトルをご紹介します。

 このバンドが結成されたのはもちろんイリノイ州シカゴ。67年にウォルター・パラゼイダー(木管楽器)、ロバート・ラム(キーボード/ヴォーカル)、テリー・キャス(ギター/ヴォーカル)、ジェイムズ・パンコウ(トロンボーン)、リー・ロックネイン(トランペット)、ダニー・セラフィン(ドラムス)によってビッグ・シングとして結成。同年中に加入したピーター・セテラ(ベース/ヴォーカル)も含む以上の7名がクラシック・ラインナップとされています。ブラッド・スウェット&ティアーズらを手掛けるジェイムズ・ウィリアム・ガルシオの導きでコロムビアと契約した彼らは、シカゴ・トランジット・オーソリティの名で69年にデビュー。が、本物のシカゴ交通局からクレームが入って改名を余儀なくされ、翌年にはシカゴに改名。当初はホーン隊を前に出した〈ブラス・ロック〉のスタイルで社会情勢を映すメッセージ性を前面に掲げていたものの、70年代半ばにはアダルト・コンテンポラリー路線へと移行。メンバーの出入りを経た70年代末には失速するも、80年代に入ってデヴィッド・フォスターと組んだバラード路線によって商業的には最大の成功を記録しました。

 現在はラム、ロックネイン、パンコウというオリジナル・メンバー3名が指揮を執り、シチュエーションごとにサポート演奏陣を迎える柔軟な体制で活動中。最新オリジナル作『Chicago XXXVIII: Born For This Moment』(2022年)に至るまで続く作品のナンバリングもまだまだ続いていきそうです。

このたびリイシューされた、シカゴの72年のライヴ盤『Live In Japan』(Rhino/ワーナー)

 

CHICAGO 『Chicago Transit Authority』 Columbia/Rhino/ワーナー(1969)

作品ナンバー〈1〉にあたるシカゴ・トランジット・オーソリティ名義でのデビュー・アルバム。アルバムの大作志向が強まっていた当時の風潮もあってかいきなりLP2枚組で、ロバート・ラムとテリー・キャス、ピーター・セテラがヴォーカルを分け合っている。なかでもラムは“Questions 67 And 68”を筆頭に作曲面でも核を担い、メッセージ色の強いブラス・ロックというバンド・スタイルを確立した。次作のブレイク後に“Does Anybody Really Know What Time It Is?”と“Beginnings”がヒット。

 

CHICAGO 『Chicago II』 Columbia/Rhino/ワーナー(1970)

バンド名をシカゴに改めて臨んだ2作目にして、全米4位まで上昇して彼らの名を広く知らしめた出世作。ジェイムズ・パンコウ作でキャスの歌うダイナミックな“Make Me Smile”が初のTOP10ヒットとなったほか、セテラがリード歌唱するラム作の“25 Or 6 To 4”は全米4位に輝いて彼らのイメージを象徴する代表曲となった。引き続きLP2枚組の尺でジャズ・ロック的なバンド・サウンドのスケールを拡大し、パンコウ主導の組曲も圧巻だ。セテラが初めて書いて歌った“Where Do We Go from Here?”も収録。

 

CHICAGO 『Chicago III』 Columbia/Rhino/ワーナー(1971)

このサード・アルバムから作品のナンバリングが正式に開始。またまたLP2枚組で、B~D面それぞれに配置された組曲も含めてカントリーやフォーク、即興演奏によるインスト、ミュージック・コンクレート的な実験曲も試行され、幅広いアレンジがバランス良く収まっている。キャス作のファンキーで威勢のいい“Free”、セテラとダニー・セラフィンが共作した“Lowdown”がシングル・ヒットし、アルバムも全米2位を記録。ボロボロの星条旗をあしらったジャケはベトナム戦争中という時代背景を窺わせる。

 

CHICAGO 『Chicago V』 Columbia/Rhino/ワーナー(1972)

〈4〉にあたるLP4枚組のライヴ盤『Chicago At Carnegie Hall』(71年)を経て、通算5作目にして初めて1LP仕様となったアルバム。必然的にソング・オリエンテッドで簡潔な楽曲な集まった明快な作りも奏功してか、初の全米No.1を記録した。ソウル寄りの“All Is Well”やジャジーに洗練された“Goodbye”など10曲中8曲がラム主導で書かれている。なかでも全米3位のヒットとなった“Saturday In The Park”は現在も広く親しまれる代表曲だろう。キャスとセテラの掛け合う2部構成の“Dialogue”も聴きもの。

 

CHICAGO 『Chicago VI』 Columbia/Rhino/ワーナー(1973)

プロデューサーのガルシオがコロラドに設立し、以降の拠点となるカリブー・スタジオで初録音された6作目で、前作同様に全米1位を記録。ラムも半数の曲を書き上げているが、徐々にテンポを上げる展開がアンセミックな“Feelin’ Stronger Every Day”とソフト路線の“Just You ‘N’ Me”というセテラの歌った2つのTOP10シングルがパンコウの作である点からも、このバンドのソングライター集団としての層の厚さが感じられる。この後に正式加入するラウジール・ジ・オリヴェイラ(パーカッション)が演奏に初参加。

 

CHICAGO 『Chicago VII 』 Columbia/Rhino/ワーナー(1974)

ツアーを通じて再燃したインスト演奏への欲求と、方向転換へのリスク管理も踏まえてLP2枚組に膨れ上がった7作目。B面の途中までジャズを基調にしたインスト曲が続く大胆な構成で、担当楽器がいつもと違ったり、初めてメンバー全員がそれぞれ作曲にタッチした野心作でもある。リー・ロックネインが初めて作曲した“Call On Me”が全米6位のヒット。ビーチ・ボーイズの面々がコーラスで参加したクリアなバラード“Wishing You Were Here”はセテラの歌い口が80年代の姿を予見させる。全米1位を獲得。

 

CHICAGO 『Chicago VIII』 Columbia/Rhino/ワーナー(1975)

オリヴェイラの正式加入によってバンド創設以来の7人編成から8人編成へと発展し、4作連続となる全米チャート首位をマークした8作目。ラム作/歌唱の人懐っこい“Harry Truman”など多彩なアレンジが用意されつつ、パンコウ作のヒット・シングル“Old Days”やギター主導の“Hideaway”のように全体的にはロック色に揺り戻したアグレッシヴな雰囲気の曲が目立つ。パンコウの作ではキャスとセテラがリードを分け合ったジャズ・バラード“Brand New Love Affair, Part I & II”も出色だ。

 

CHICAGO 『Chicago X』 Columbia/Rhino/ワーナー(1976)

ベスト盤『Chicago IX: Chicago’s Greatest Hits』(75年)を間に挿んでリフレッシュした通算10作目。セテラ作/歌唱のラヴ・バラードで初の全米No.1シングルとなった“If You Leave Me Now”で知られるように、洗練されたポップセンスを凝縮したような内容になっている。一方、ラム作で軽やかなカリブ作法の“Another Rainy Day In New York City”や、パンコウが初めてリード歌唱したサンバ風味の“You Are On My Mind”、全員でチャント的に声を上げる賑やかな“You Get It Up”などの新味も楽しい。

 

CHICAGO 『Chicago XI』 Columbia/Rhino/ワーナー(1977)

翌年に不慮の事故で他界するキャスの遺作となった通算11作目。そのキャスは冒頭から“Mississippi Delta City Blues”を披露し、ラムもロックネインもパンコウも自作曲を自分で歌唱するなど、全体的にちょっとした〈ホワイト・アルバム〉感もある。セラフィンはルーファスのホーク・ウォリンスキーと3曲を書き、そのうち“Take Me Back To Chicago”にはチャカ・カーンがゲスト参加。構成的に珍しくセテラが1曲しか歌っていないが、そのバラード“Baby, What A Big Surprise”が全米4位のヒットを記録した。

 

CHICAGO 『Hot Streets』 Columbia/Rhino/ワーナー(1978)

この時代らしいノーマン・シーフ撮影のジャケも、数字のないアルバム名も変化への意識は明らかだろう。キャスの後任にドニー・デイカス(ギター/ヴォーカル)が加入し、搾取を理由に後見人のガルシオを解雇してフィル・ラモーンにプロデューサーが交代するなど、大きな転機に生まれた通算12枚目。ビー・ジーズとの仕事に触発されたラム作のファンキーな“Alive Again”をはじめ、ディスコ時代の空気を吸収した小気味良いアレンジが際立っている。“Little Miss Lovin’”にはそのビー・ジーズも参加。

 

CHICAGO 『Chicago 13』 Columbia/Rhino/ワーナー(1979)

ふたたびナンバリング式に戻ったシカゴなりの〈ディスコ・アルバム〉。引き続きフィル・ラモーンが制作し、先にルーファスが発表したセラフィン&ウォリンスキー作の“Street Player”など、トレンド意識と彼ららしい洗練が共存する。メイナード・ファーガソンやアイアート・モレイラも演奏に加わり、オリヴェイラがマルコス・ヴァーリと共作したメロウ・グルーヴ系の“Life Is What It Is”などいまこそ聴かれたい曲も多い。先行シングル“Must Have Been Crazy”を書いて歌ったデイカスは本作を最後に早くも脱退。

 

CHICAGO 『Chicago XIV』 Columbia/Rhino/ワーナー(1980)

商業的に完全に失速したなかで、新たにトム・ダウドをプロデューサーに迎えたコロムビア在籍時で最後のオリジナル作。前作のリズム志向から従来のスタイルに揺り戻し、豪快なホーンを擁したラム作の冒頭曲“Manipulation”や土曜日マナーの“Thunder And Lightning”で気を吐く。一方で歌とソングライトの両面で主導権を握ったセテラは自作のバラード“Where Did The Lovin’ Go”などを伸びやかに披露。ラテン/ジャズ要素が減退していったこともあり、オリヴェイラは本作を最後に脱退することに。

 

CHICAGO 『Chicago 16』 Full Moon/Warner Bros./Rhino/ワーナー(1982)

デヴィッド・フォスターがプロデュースする形で新生し、全米9位を記録したレーベル移籍作。前年にソロ・デビューしたセテラがほぼ全編でリード歌唱を担当し、全米1位を記録したバラード“Hard To Say I’m Sorry”や“Love Me Tomorrow”などで〈70年代の大物〉的なイメージをアダルト・コンテンポラリー方向へ一新した。新加入したビル・チャンプリン(キーボード/ヴォーカル)やTOTOの面々らフォスター軍団の活躍が目立つ一方、ラムのリード歌唱曲が初めて収録されていないのは象徴的だ。

 

CHICAGO 『Chicago 17』 Full Moon/Warner Bros./Rhino/ワーナー(1984)

フォスターにグラミーの年間最優秀プロデューサーを授け、バンドにキャリア最大のセールスをもたらした、セテラ在籍時の最後のアルバム。ラムの歌うデジタルなアップ“We Can Stop The Hurtin’”やチャンプリンとライオネル・リッチー共作の“Please Hold On”などで幅を出しつつ、前作の成功を踏襲したプログラミング主体のパワー・バラードが満載で、セテラ作の“You’re The Inspiration”と外部作家のスティーヴ・キプナーによる“Hard Habit To Break”がいずれも全米3位を記録している。

 

CHICAGO 『Chicago 18』 Full Moon/Warner Bros./Rhino/ワーナー(1986)

セテラの後任に元キーンのジェイソン・シェフ(ベース/ヴォーカル)が加入、ボビー・コールドウェルら外部作家も交えて引き続きフォスター体制で作られた18作目。シェフがセテラ風に熱唱したバラード“Will You Still Love Me?”が全米3位を記録し、ラムがスティーヴ・ルカサーと共作して歌ったアリーナ・ロック“Over And Over”、チャンプリン作/歌唱のロマンティックな“I Believe”など、各人の80年代らしい情熱が渦巻く。シェフの歌唱とデジタルなアレンジで新録された“25 Or 6 To 4”も収録。

 

CHICAGO 『Chicago 19』 Full Moon/Reprise/Rhino/ワーナー(1988)

制作陣はロン・ネヴィソンらに変わるも、バンド感の希薄なバラード&アリーナ・ロック路線は継続。ダイアン・ウォーレン作の“Look Away”が全米1位を記録。同じく“I Don’t Wanna Live Without Your Love”(全米3位)やジム・スコット作の“You’re Not Alone”(同10位)というチャンプリンの歌唱曲に加え、ボビー・コールドウェルと共作したシェフ歌唱の“What Kind Of Man Would I Be?”(同5位)も含めて全米TOP10ヒットを4つも輩出した。なお、本作からドウェイン・ベイリー(ギター)が加入。

 

CHICAGO 『Twenty 1』 Full Moon/Rhino(1991)

前年にオリジナル・メンバーのセラフィンが解雇され、トリス・インボーデン(ドラムス)が加入するという変動を経た21作目。レーベルの要請もあってシングル“Chasin’ The Wind”などを書いたダイアン・ウォーレンら外部ソングライターの参加は引き続き多く、プロダクション主導の音作りがチャンプリンやシェフのソロ曲っぽく響く瞬間もあるが、ラム主導の2曲では久々にホーンズを擁したシカゴらしいバンド・サウンドへの回帰も窺わせる。結果的には90年代で唯一のオリジナル作となった。

 

CHICAGO 『Night & Day: Big Band』 Chicago/Giant/Rhino/ワーナー(1995)

リプリーズ離脱と自主レーベルの設立を経て完成した通算22作目は、彼ら流のビッグバンド・ジャズ作品。全編がデューク・エリントンやコール・ポーターら往年のスタンダード・ナンバーで固められていて、冒頭の“Chicago”を歌うラムを筆頭に、ホーン・アレンジも手掛けたオリジナル・メンバーたちのカラーでゴージャスに聴かせる。プロデュースはブルース・フェアバーンで、ジプシー・キングス、女性R&Bグループのジェイド、ジョー・ペリー(エアロスミス)も客演。原点回帰のリフレッシュ作品といった一枚だ。

 

CHICAGO 『Chicago XXX』 Rhino/ワーナー(2006)

ベストやクリスマス盤、ライヴ盤、ラヴソング集などの並んだ23~29作目を経て、約15年ぶりのオリジナル・アルバムとなった通算30作目。当時ラスカル・フラッツで活躍していたジェイ・デマーカスがシェフとの縁からプロデュースを担当し、コンテンポラリーなカントリー~ロック色でじっくり聴かせる。ラスカル・フラッツ参加の“Love Will Come Back”のほか、シェリー・フェアチャイルドとの男女デュエット・バラード“Why Can’t We”も聴かせたチャンプリンにとっては最後のシカゴ作品となった。

 

CHICAGO 『Chicago XXXII: Stone Of Sisyphus』 Rhino/ワーナー(2008)

93年にピーター・ウルフ制作で録音するもレーベル内のゴタゴタからお蔵入りしていた幻の〈22〉が、15年の時を経て通算32作目として蔵出しされたもの。ラムやチャンプリンのソロ作などで一部披露されていた曲も含むが、もともとレーベルから創造的主権を取り戻すために作っていた作品とあって、豪快にスウィングする表題曲やラップに取り組んだ曲などやりたいことを自由に試した感もある。エルヴィス・プレスリーのベース奏者だった父にシェフが捧げたパーソナルなバラード“Bigger Than Elvis”もいい。