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フリー・ソウルの選曲にあるものとないものの境界線

――選曲の基準に話を戻すと、例えば橋本さんはコモンの“The Light”が好きですよね。でも、サンプリング元のボビー・コールドウェル“Open Your Eyes”はそうでもないという。

「“Open Your Eyes”は“The Light”でのJ・ディラによるサンプリングワークはもちろん大好きだし、プラチナム・パイド・パイパーズとか、ネオソウルやアンダーグラウンドヒップホップのリメイクは大好き。でもオリジナルは、ラブソングとして歌詞は大好きだし、嫌いというわけではないけれど、ギターソロがちょっと苦手で。自分はAORやフュージョンの時代にパンク/ニューウェーブを大切に聴いていた人間で、学生の頃はAORやフュージョン、ディスコは仮想敵の音楽だったから(笑)」

――そういう境界線を外さずに引けるところが、フリー・ソウルが支持されてきた理由だと思うんです。

「自分のフィルターを一旦通すってことだよね。それは自分の感覚に正直にやっているだけなんだけど。

例えば妻はレイド・バックの“Sunshine Reggae”が好きで、フリー・ソウルのパーティーでもよくかかっていた曲だけど、僕はコンピCDには入れてこなかったのね。絶対に胸がキュンとするメロディーだし、海辺で聴いたらグッとくる歌詞だけど、サウンドが80sっぽすぎるから。昔は打ち込みのデジタルな音がとにかく苦手で、80年代に対する抵抗感が意外と強く自分の中に残っていたんだよね。でもこの前ようやく自分の納得のいくスティールパン入りのラヴァーズ・カバーを『Seaside Chillout Breeze』というコンピに入れることができて、夫婦円満になったというか(笑)。

そういう自分の感覚はリスナーからしたら不要なこだわりかもしれないけど、僕は大事にしてきたことなんだよね。バレアリックとかオブスキュアとか、価値観を広げてくれたパースペクティブとの出会いで、80年代的な音でOKなものも増えてはきたんだけど」

――あと、ジミヘン的な音楽もフリー・ソウルにはあまりない印象があります。

「サテライト・ラヴァーズもカバーした“Crosstown Traffic”は好きだけどね。ギターソロでなぜか積極的に好きなのはフランク・ザッパと直枝さん(カーネーションの直枝政広)ぐらいかな、なんて(笑)。サイケがかっていたりドライブ感があったりするといいんだけど、指の動きを感じさせちゃうのはダメなんだよね。僕はリズムギター、カッティングギターが好きな人間だから」

――サザンソウルのような土臭い音楽もフリー・ソウルにはないですよね。

「フリー・ソウルがカウンター的に機能するように、父権的・権威主義的なサザンソウル信仰へのアンチテーゼ的なイメージを作らせてもらったところはあるかな。90年代は特にそういう振る舞いをしていたところはあるかもね。

実際はディープソウル的なものや、オーティス・レディングもサム・クックもアレサ・フランクリンも大好きだけど、フリー・ソウルでかけるアレサの曲を聴いた人からは〈こういうアレサもあるんですね〉って言われたな。イメージ的にはメロウな“Day Dreaming”なんだろうけど、DJでよくかけたのは“It Only Happens (When I Look At You)”で、いちばん好きなのは『Aretha In Paris』に入っている“Don’t Let Me Lose This Dream”の短いバージョン。同じくらい素晴らしいダスティ・スプリングフィールドのバージョンもよくかけていたね。ダスティだったらセイント・エティエンヌがサンプリングした“I Can’t Wait Until I See My Baby’s Face”が渋谷系的には人気かもしれないけど、フリー・ソウル的には“Don’t Let Me Lose This Dream”が大好きすぎて」

――ヒップホップなどでよくサンプリングされていて人気だけど、フリー・ソウルではあまり選ばなかったアーティストはいますか?

「ジェームス・ブラウンはそうかもね。JBファミリーでよくかかったのは今回7インチにもなるスウィート・チャールズの“Yes It’s You”だけど、あれはJBって感じでもないから。あの曲は80年代後半、ダイアナ・ブラウン&ザ・ブラザーズがカバーしたことからイギリスのレアグルーヴの流れで知って、オリジナル盤はレアだったから、アーバンからリイシューされたのが嬉しかった。あとはリン・コリンズの“Fly Me To The Moon”は、一時期よくDJでプレイしていて、燃えましたね(笑)。

実はイギリスからレアグルーヴの概念が入ってくるまで、JBは“Please Please Please”から始まるような年代順のベスト盤しかなくて、あまり馴染めなかったんだよね。それが、クリフ・ホワイトが編集した『In The Jungle Groove』が出て、アーバンからJB関連の12インチが出るようになって、JBズの作品が日本で再発され、という流れがあって好きになった感じかな」

――JB系の音楽があまり入っていないのは、フリー・ソウルの特徴の一つかもしれないですね。

「典型的なブラックミュージックのファンと比べると、フリー・ソウルの場合はコード感やメロディーを重要視しているからかな。それは僕以上に、フリー・ソウルのリスナーがそうじゃないかなと思っていて、だから僕は〈ネオアコ好きが好きなソウルミュージック〉って言ったりするんだけど(笑)」

――ヒップホップについても同じ感覚ですよね。

「90年代当時からフリー・ソウルのパーティーでかかるヒップホップはKRS・ワンより断然Q・ティップだったから。ジャズやソウルとの接点を感じさせるヒップホップが僕らは特に好きだったんだよね」

――JB以外でフリー・ソウルに入れなかったものって他にもありますか?

「何だろう? ニューソウル以前のソウルレジェンドの曲は嫌いなわけではないけど、あまり入れていないね。オーティスだったら“Hard To Handle”とかは、現場でも人気があった曲だから入れたけど。

そういう意味では、僕はデ・ラ・ソウルの“Eye Know”が理想的だと思っていたのかもな。スティーリー・ダンのギターをループしてオーティスの口笛が入ってきて、フレッシュなヒップホップになってるっていう、ああいう感覚でフリー・ソウルはやりたかったんです。アーティストや音楽を権威付けしたり点数付けしたりするんじゃなくて、どのアーティストの曲でもどのジャンルの曲でも自分たちの好きな部分、好きなテイストを抽出して楽しみたかった。

90年代って、そういう若い人たちや現場の感覚が、それまで音楽メディアでオーソリティーだった学術派のマニアや評論家、コレクターたちの意見を凌駕しちゃった時代だったんじゃないかな。ある意味で民主主義的な無血革命というか」

――なるほど。あと、フリー・ソウルではUKのジャズDJがかけていた〈フォー・ダンサーズ〉的なアフロキューバンや高速ジャズサンバは選んでないですよね。同じようにモッズが好んだアッパーなジャズやソウルも選んでなかった。

「クラブジャズにはジャズダンサー、モッズにはノーザンソウルの流れがあるけど、それも民主主義的に日本では普通の民衆には求められていなかったのかな(笑)。

フリー・ソウルのパーティーにはアクロバティックなダンスをしたがるような人はいなかったし、ヒップホップのブレイキンをする連中も少なかった。DJが彼らに気に入ってもらうためにセレクトすることもなかったしね。当時のクラブにはまだ荒っぽい連中や血の気が多い人も多かったけど、フリー・ソウルはもっと〈普通〉の学生っぽさやアマチュアっぽさがあったんだと思う。それが東京的だったというか。もちろん、そこには功罪あると思うけど」

――フリー・ソウルは、〈これだったらできる〉〈この雰囲気だったらこの場に自分がいてもいいかも〉と思える人を増やしたんでしょうね。その〈普通〉もしくは〈日常のBGMの延長〉的な感覚が、色んなものとバッティングせずに独自の領域を作り上げたという。

「自然とね」