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小澤征爾が88歳で死去 〈世界のオザワ〉として活躍、クラシック界を牽引した指揮者

©Shintaro Shiratori

小澤征爾が2024年2月6日に死去したと、複数のメディアが報じている。

朝日新聞デジタルによると、小澤征爾は心不全で死去した。88歳だった。

小澤は1935年、中国のシャンヤン(旧・奉天)生まれ。ユニバーサルソニーのプロフィールを参照すると、幼い頃からピアノを習い、高校時代に作曲家の山本直純に、桐朋学園短期大学でチェロ奏者/指揮者の齋藤秀雄に指揮を学んだ。

1959年にフランスへ渡り、ブザンソン国際青年指揮者コンクールで1位を獲得、翌1960年にクーセヴィツキー賞を受賞した。ドイツの西ベルリンでヘルベルト・フォン・カラヤンに師事したあと、1961~1962年のシーズンにレナード・バーンスタインのもとで米ニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者を務め、サンフランシスコ交響楽団も指揮した。

1964年から5年間、夏期にシカゴ交響楽団のラヴィニア・フェスティバルの、また4シーズンにわたってトロント交響楽団の音楽監督を務め、1970年から4年間、ボストン交響楽団をタングルウッド音楽祭で指揮した。1970年にはタングルウッド音楽祭の芸術監督に、サンフランシスコ交響楽団の指揮者・音楽監督にも就任。1973年にはボストン交響楽団の音楽監督に、1976~1977年のシーズンにサンフランシスコ交響楽団の音楽アドバイザーに就いた。その後2002~2010年には、ウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた。

いっぽう日本では1984年に恩師・齋藤を偲んで、サイトウ・キネン・オーケストラを秋山和慶と組織し、1992年にサイトウ・キネン・フェスティバル松本へと発展させた。また新日本フィルハーモニー交響楽団も指揮し、1991年の秋から名誉芸術監督の任に就いている。1998年には、長野冬季オリンピックの開会式でベートーヴェンの“交響曲第9番”を演奏した。そして2013年、初代館長・吉田秀和のあとを継ぎ、水戸芸術館館長に就任。同時に水戸室内管弦楽団の総監督の任に就き、運営にあたっていた。

総監督を務めたサイトウ・キネン・フェスは2015年にセイジ・オザワ松本フェスティバルと改められたほか、2000年からは若い音楽家の教育を主な目的とした小澤征爾音楽塾を開催。2005年にはヨーロッパにおける音楽学生を対象にしたSeiji Ozawa International Academy Switzerlandをスイスで設立、2011年にはアジアの優秀な学生に門戸を広げるためにNPO法人小澤国際室内楽アカデミー奥志賀を設立するなど、後進の育成や教育に力を注いだ。

そして2008年に文化勲章を受章、2010年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団から名誉団員の称号を授与され、2011年に第23回高松宮殿下記念世界文化賞を受賞した。栄誉ある賞を多数受けている。

ヨーロッパでの評価と人気の高さには定評があり、オペラや現代音楽(武満徹、メシアンなど)の指揮でも活躍したほか、ドイツ・グラモフォンを中心に50作以上を録音した。その中でボストン交響楽団とのマーラーの交響曲全集を完結させ、サイトウ・キネン・オーケストラとベートーヴェンの交響曲全集の録音にも取り組んでいた。

〈世界のオザワ〉としてグローバルに活躍し、クラシック界を牽引した指揮者の死去に、哀悼の意を表する。

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