英ロンドンのキーボーディストでエズラ・コレクティヴのメンバーとしても知られるジョー・アーモン・ジョーンズが、2024年11月にトリオ編成のジャパンツアーを実施し、熱い演奏で各地を沸かせた。そしてその後、12月6日にはダブ作品シリーズのニューEP『Sorrow』を発表したばかりだ。
今回はそんなジョーへ、来日時にインタビューをおこなった。タワーレコード渋谷店のアナログレコードフロア〈TOWER VINYL SHIBUYA〉で5枚を選盤してもらい、それらの作品について語ってもらうなかで、彼のルーツや美学、現代の音楽に対する思いなどが明かされた。 *Mikiki編集部
ジャー・シャカが僕のダブプレートをかけたのは最高の成果
――まずは最初の1枚。アイジャーマンの『Haile I Hymn (Chapter One)』(1978年)。UKのルーツレゲエですね。
「彼の音楽についてはそんなに深くは知らないんだけどね。僕が知ってるのは、このなかの1曲“I’m A Levi”だけ。それもYouTubeで、つい2ヶ月くらい前に見つけた。
ただ、この曲を聴いたことは前にもあったんだ。以前にジャー・シャカがサウンドシステムでこの曲をかけていた。だけど、そのときは彼のオリジナル曲だと思っていたんだ。
すごい曲だよね。イントロからして変わってるし引き込まれる。長いイントロで、1分くらいしてからようやく歌が始まる感じ。そこからがまたすごくかっこいい。
このレコードを他の店で売ってるのは見たことがないな。この取材が終わったら買いたいと思ってる」
――2023年に亡くなったジャー・シャカへのリスペクトを来日公演でも表明していましたね。
「昨日(11月20日)のライブでも、彼の曲“Deliverance Dub”をカバーした。ジャー・シャカ自身が書いた曲のなかでも僕のフェイバリットのひとつ。
彼はサウンドシステムの使い手で、彼がプレイしたことで有名になった曲はたくさんある。彼が書いた曲でなくても、彼のサウンドシステムを通じてダブワイズされることで、オリジナルを超えてしまうんだ。彼はよくターンテーブルをいじってレコードの回転を早めるから、あとでオリジナルを聴いたら、もっとスローだし、キーもちょっと低く感じるんだよね。まあ、それもクールだし、面白い体験なんだけど。
彼は自分の信念に忠実に半世紀以上もプレイを続けた。彼が用いたサウンドシステムによって、彼にしか作れないサウンドが生まれる。だから、みんな彼がプレイしたいと思えるようなレコードを作るようになっていったんだ。つまり、彼の存在がこのジャンルに大きな影響力を与えたと言える。彼がある曲をプレイしたら、みんなその曲を知り、レコードを欲しいと思う。だからミュージシャンたちは彼のためにダブプレート(DJプレイ用に1枚だけプレスしたレコード)を作った。ひとつのジャンルに対してそんなインパクトを持つ存在になれるなんて稀なことだよ。
世界中で彼の名と仕事は知られているのに、インタビューの類はほとんど残されていない。人物像はミステリーそのものなんだ。だけど、僕はラッキーなことに彼の家があるサウス・ロンドンのストリート沿いに住んでいたから、スーパーでオレンジを買っている場面とかにばったり出くわしたりしていた。奇妙な体験だよね。深夜のクラブイベントで憧れていた存在に、近所のスーパーで会うなんて(笑)。
あるとき、勇気を振り絞って彼に声をかけた。〈あなたの作る音楽、やってることが大好きです〉ってね。僕が作ったダブプレートを彼に渡したこともある。それは“Wrong Side Of Town”って曲で、シングルとしてリリースしたのは今年(2024年)の初めだけど、彼にダブプレートを渡したのはそれよりずっと前のこと。そのバージョンでは、ヌバイア・ガルシアにサックスを吹いてもらっていた。渡したといっても、実際は、彼の家のドアの前に置いてきたんだけどね。道で会ったとき、〈渡したいレコードがあるんだけど、持っていってもいい?〉と前もって話してはいたんだ。彼は〈どうぞ〉って感じだったから家まで行ったんだけど、たまたま彼はいなかった。
それから4ヶ月くらいして、バーミンガムでおこなわれた彼のショーに行ったら、なんとあのダブプレートがプレイされた。呆然としたよ。あれは人生最大の衝撃で、なんなら僕が音楽で成し遂げた最高の成果かもしれない。だって、彼は自分がかけたいと思う曲しかプレイしないんだから。外からの要請なんてまるで気にしない。この曲は人気があるからとか、ドレイクをかけなきゃいけないとか、多くのDJたちが感じているようなプレッシャーが皆無。ジャー・シャカみたいな人たちが、自分のかけたい曲をかけて音楽を作り上げていくことは、とても大事なんだ」