ディアンジェロが死去した。

ディアンジェロが亡くなったことをアメリカの各紙が報じている。TMZによると、彼の遺族や元マネージャーのケダー・マッセンバーグとの繋がりから訃報が届いたという。ディアンジェロはNYCのホスピスにいたといい、米時間の10月14日に亡くなった。51歳だった。

死因は膵臓癌によるものだったことをピープル誌が報じている。近年は表立った活動はしていなかったが、ディアンジェロは数か月にわたって入院し、闘病したのち、ホスピスに移って2週間過ごしていたそうだ。

遺族の声明では、〈私たち家族の輝かしい星が、この世での光を失いました。長く勇敢な癌との闘いののち、世界中のファンからディアンジェロとして知られているマイケル・ディアンジェロ・アーチャーは天に召され、本日10月14日にこの世を去ったことを、胸が張り裂ける思いでお知らせいたします。彼の大切な思い出を遺せるのは家族だけだという事実は悲しいことですが、彼が遺した並外れて感動的な音楽という遺産に永遠に感謝を捧げます。この困難な時期に私たちのプライバシーを尊重していただくようお願い申し上げます。そしてみなさまとともに彼の死を悼み、同時に彼が世界に遺した歌という贈り物を称えましょう〉と綴られている。

ディアンジェロことマイケル・ユージーン・アーチャーは、1974年2月11日に米バージニア州リッチモンドで生まれた音楽家。父はペンテコステ派の牧師で、3歳の頃にはすでに家でピアノを弾いていたという。

ディアンジェロは10代で地元にてバンドを組み、1991年にアポロ・シアターで開催されたアマチュア大会で演奏して成功を掴んだ。そして18歳で高校を中退し、音楽キャリアを追求するためにニューヨークに移り住んでいる。

ディアンジェロは、17歳のときに〈アフロパンク・フェスティバル〉のパートナーを務めていたジョセリン・クーパーと出会ったことで音楽の道を切り拓いていく。ディアンジェロがプロデュースとラップを担当したヒップホップ・グループI.D.U.(Intelligent, Deadly but Unique)のデモを聴いたクーパーは、ディアンジェロをユニバーサル傘下の音楽出版社ミッドナイト・ソングスと契約させたのだ。その後、ディアンジェロは、ソングライターとしてラファエル・サディーク(トニー・トニー・トニー)やアリ・シャヒード・ムハンマド(ア・トライブ・コールド・クエスト)、アンジー・ストーンといったミュージシャンと仕事をしていく。

1993年にEMIのオーディションを受け、ディアンジェロはレコーディング契約を獲得。また1994年、ディアンジェロが作曲したブラック・メン・ユナイテッド(B.M.U.、ブライアン・マックナイトやアッシャー、R. ケリー、ボーイズIIメン、ラファエル・サディーク、ジェラルド・レヴァートらのスーパーグループ)の“U Will Know”がヒットし、音楽界で頭角を現した。

翌1995年には、デビューアルバム『Brown Sugar』を発表。同作およびシングル“Brown Sugar”“Cruisin’”“Lady”がヒットしたことにより、ディアンジェロはR&B界の新たなムーブメント、ネオソウルの旗手として評価を受け、ソロアーティストとしてのキャリアを邁進していく。

『Brown Sugar』がヒットし、2年にも及ぶツアーをおこなった一方、ディアンジェロはスランプに陥り、活動は散発的になっていった。ローリン・ヒルの1998年のアルバム『The Miseducation Of Lauryn Hill』への参加などを挟み、2ndアルバム『Voodoo』をリリースしたのは前作の発表から5年後の2000年。同作はビルボード200で1位に輝き、前作以上の成功を収めるとともに、メディアや評論家から非常に高い評価を得た。さらにアルバムからはシングル“Untitled (How Does It Feel)”がビルボードホット100で25位にまで達し、セクシーなミュージックビデオの話題とともに広がっていった。

しかし『Voodoo』のツアーではパフォーマンスにも影響を及ぼすほどのプレッシャーや個人的な問題を抱え、ツアーの終了後は自宅に引きこもってしまい、公衆の前から姿を消してしまう。2000年代はJ・ディラ、スヌープ・ドッグ、コモン、Q・ティップといったヒップホップアーティストの作品への客演はあったものの、飲酒運転と薬物所持の容疑で逮捕されたり、リハビリ施設に入所したりとアルコール中毒や薬物依存の問題が深刻化していった。

『Voodoo』のツアー後に一人でニューアルバムの制作を進めていたというディアンジェロは、2012年に12年ぶりのツアーを開催、ステージでは新曲を初披露した。3rdアルバム『Black Messiah』はその後、2014年についにリリースされた。同作は元々2015年にリリースされる予定で、米国内での人種差別に反対するブラック・ライヴズ・マター運動に反応して発表が早められた。翌2015年のツアーでは、日本でも3公演を開催。第58回グラミー賞では同作が最優秀R&Bアルバム賞を、アルバム収録曲“Really Love”が最優秀R&Bソング賞を受賞するなど、高い評価を受けている。

ディアンジェロは『Black Messiah』の姉妹作の制作に取り組んでいると報じられていたものの、ニューアルバムが発表されることはなかった。2018年にゲーム「レッド・デッド・リデンプション2」のサウンドトラックに“Unshaken”を提供し、2021年にアポロ・シアターで単独公演をおこなったほか目立った活動はなく、最期の作品は映画「The Book Of Clarence」に提供した2024年の“I Want You Forever”になった。

1990年代にネオソウルを象徴するシンガーとしてソウル/R&B界を席巻し、歴史的な傑作『Voodoo』でヨレたビート&グルーヴと独自のハーモニー、そして何よりも歌によって一つのジャンル/スタイルを築き上げたディアンジェロ。ロバート・グラスパーをはじめ、『Voodoo』が影響を及ぼしたアーティストはジャンルや国境を超えて無数に存在しており、彼が尊敬するプリンスのように遺されたレコードは今後も聴き継がれていくにちがいない。

エリカ・バドゥ、ビラル、コモン、ロイ・ハーグローヴ、タリブ・クウェリ、モス・デフ(ヤシーン・ベイ)、ピノ・パラディーノ、ジェイムズ・ポイザー、Q・ティップ、クエストラヴ、そしてDからなるゆるいコレクティブ、ソウルクエリアンズは、2000年前後に活動し、ジミ・ヘンドリックスのレガシーであるエレクトリック・レディ・スタジオで数々の傑作を制作している。その筆頭に挙げられるのが『Voodoo』であり、同作に刻まれたリズムとハーモニーは未来永劫、多くの音楽家をインスパイアしつづけていくだろう。

偉大な、あまりにも巨大すぎるD。非常に寡作で活動が散発的であるがゆえに神格化されたところもあり、またそのために一つ一つの作品が重みを持っていた。彼のあまりにも早すぎる死を今すぐに受け入れることは困難で、未だに信じがたい。今日はDの歌に浸って過ごすしかなさそうだ。