前編では、額田大志が主宰する演劇カンパニー・ヌトミックの公演「彼方の島たちの話」(2025年11月22日(土)~30日(日)/三軒茶屋シアタートラムにて上演)について、同作の舞台で生演奏を披露する細井徳太郎と、作・演出の額田大志の対談をお届けした。主に演劇と音楽の違いについて話が膨らんだが、後編ではそれを踏まえた上で、それぞれの創作に対するスタンスが浮き彫りになったクロストークが展開された。果たして「彼方の島たちの話」の着地点とは!? そのヒントも散りばめられた対談後編である。
音楽という個人表現、演劇というフィクション
――音楽と演劇というジャンルの違いについて話してもらいましたけど、他にも色々ありそうですね。自由に疑問や質問をお互いに投げて頂けると。
細井徳太郎「音楽について言うと、作っていけば作っていくほど自分の奥に入り込んでいくみたいな感覚があって、これはどのクリエーションにおいても言えるかもしれないし、演劇も多分一緒な部分があると思うんだけど……。
ただ音楽は語る対象がその人(アーティスト)自身であって、お客さんが見る対象もその人、ということがある程度ついて回るから、その点で恩恵も受けてるな〜と思う一方で、息苦しさを感じる時もある」
額田大志「それ、ほんとにそうだと思う。音楽って、歌詞に書いてあることが本人の心情だと思われちゃうのが結構大変だなと思って。音楽だと言葉の持つ力が作詞者の考えと直結しちゃうけど、演劇は役というフィルターを通すことで、分散される。だから、言葉=作者の考えていること、ってなりづらいと思うんだよね。
あと、やはり悪い人が実は良い人で、やっぱり悪人で、みたいな反転ができるのが演劇だから、今回の台本でもそうだけど、ちょっとネガティブに捉えられがちな台詞があっても、それを発する状況や前後の展開でいかようにでも投げかけられる。でも、歌だとやりづらいと思う。まあまあその反面、演劇で何を言っても嘘に見えちゃうみたいな面もあるわけだけど。
音楽だったら韓国のシンガーソングライターのイ・ランさんとか、あと大森靖子さんなんかもそうだけど、ある種の個人の強い内面性が出せるよね」
細井「確かに。でもさ……、うーんと、急にパーソナルな話しても大丈夫ですか」
額田「うん、なに(笑)?」
細井「結構さ、俺、嘘つくのが好きじゃん。ふざけて嘘つくのが。ああいうことがさ、音楽をやるってなった時にちょっとクソ真面目さが出ちゃってさ。狂ったようにまっすぐになっちゃうんだよね」
額田「そうだね。非常にまっすぐだよね(笑)」
細井「そうなんだよ。だからもうちょっとさ、自分のそういう一面も反映させて、なんかくっだらない嘘とかたまにはつきたいなと思うんだよね。演奏でも。以上です(笑)」
――ライブでラップトップをいじってるんだけど、1回か2回しか音を出さないっていう人がいて、あとで聞いたらパソコンでチェスをやってたということがありましたけど。
細井「アハハ。でもそれはいいなあ」
――でも、お話をうかがっていると、音楽と演劇の断層は意外と深いのかもしれないですね。おふたりはその接点を探り探り模索している感じがしますけど。かなり繊細な問題だと思いました。演奏を当てる作業も繊細さを必要とするだろうし。
額田「そういうところはありますね。以前、音楽のライブならではのお祭り感みたいなものを演劇に持ち込んだりしようと頑張ったこともあるけど、やっぱり難しかった。多分逆もそうで、音楽のライブにフィクションを持ち込むのは難しい部分があるなと思ったりする。だから、音楽と演劇をうまく結びつけるのって結構大変だな、ということを思いましたね。なので、ヌトミックも演劇だと意図的に言い切っていて。 やってることはそこそこライブっぽいし、1月の公演(『何時までも果てしなく続く冒険』)を見た人のお客さんの感想でも〈ライブだと思いました〉っていうのがあるけど……」