河合奈保子『9 1/2 NINE HALF』がリリ-ス40周年を迎えた。河合にとって米LAでレコーディングした2作目のアルバムである本作は、TOTOやエアプレイのメンバーなど凄腕スタジオミュージシャンが多数参加しており、アイドルポップを超えたAORの名盤として聴ける。そんな『9 1/2 NINE HALF』について音楽評論家の原田和典に論じてもらった。 *Mikiki編集部

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河合奈保子 『9 1/2 NINE HALF』 コロムビア(1985)

 

昭和・平成・令和を横断するタワレコ企画〈NO MUSIC, NO IDOL?〉

タワーレコードの名物企画〈NO MUSIC, NO IDOL?〉にはアイドルであれば昭和も平成も令和もすべてまとめて吞み込んでしまおう、という豪胆さが感じられる。

そしてVOL. 324のコラボアーティストには、デビュー45周年を迎えた河合奈保子が選ばれた。Blu-ray BOX「NAOKO ANTHOLOGY SONGS」の発売を記念してのことであるという。昭和アイドルではキャンディーズ、ピンク・レディーなどの大レジェンドから、菊池桃子、柏原芳恵、小泉今日子、松本伊代、中山美穂、斉藤由貴なども選ばれた〈NO MUSIC, NO IDOL?〉シリーズだが、河合奈保子のポートレイトで飾られるのは5年ぶり2回目となる。

ちなみにVOL. 323に選ばれたのは、現行グループアイドルの高嶺のなでしこ。その年代差にクラクラさせられるが、つまり、約半世紀前と現在を行ったり来たりしながらアイドルポップスの厚みを実感できる幸せが我々にはあるのだ。

 

〈80年組〉が迎えたアイドル激動期の85年

今回取り上げる作品『9 1/2 NINE HALF』(ナイン・ハーフ)は、1985年12月12日に発表された河合奈保子のオリジナルスタジオアルバム第12弾。デビューから本作までの間にライブアルバム3枚、ミニアルバム1枚も出しているので、それらを足して計16枚目のアルバムとカウントすることもできる。加えてコンスタントなシングル盤リリースもあったのだから、トップアイドルならではの高い需要に応えた結果であろうとはいえ、すさまじい多作ぶりではないか。

彼女がシングル“大きな森の小さなお家”でデビューしたのは1980年6月1日、つまり『9 1/2 NINE HALF』が出たときは活動6年目の締めくくりに入った頃だった(活動歴は満5年半)。有為転変のアイドルシーンの中で、当時、5年も6年も人気をキープできた存在は明らかに希少だ。

河合奈保子と同じく〈80年組〉である松田聖子も、この1985年6月24日に結婚式を挙げ、休業に入っている。〈82年組〉の中森明菜や小泉今日子がヒットを連発し、〈84年組〉の菊池桃子や岡田有希子(河合奈保子をリスペクトしていた)も躍進して、1985年の上半期には斉藤由貴が登場、下半期になると〈おニャン子クラブ旋風〉が吹き始める――まさに激動の1985年であるが、動じることなく、より深みを加えた音楽世界を繰り広げ、さらに支持されることになったのがこの時期の河合奈保子であると断言しても間違いではないはずだ。

6月12日発売のシングル『デビュー/MANHATTAN JOKE』が初めてチャート1位に輝き、誕生日の7月24日に発売されたベストアルバム『NAOKO22』収録の楽曲“夢かさねて”で作詞・作曲家としての(レコード上での)第一歩を記し、君島一郎のファッションショーではゲストモデルを務め、映画「ルパン三世 バビロンの黄金伝説」では声優にも取り組んだ。また、9月には約2週間アメリカに滞在し、ロサンゼルス、デンバー、ダラス、ヒューストン、ニューオーリンズ、ワシントンD.C.、ニューヨークなどの空気を吸った。目的は写真集や映像作品の制作、レコーディング(ロサンゼルス)。そのプロジェクトの一環というべき産物が、『9 1/2 NINE HALF』ということになる。