安室奈美恵が2005年7月13日にリリースした7作目『Queen of Hip-Pop』。“GIRL TALK”“WANT ME, WANT ME”といった華々しいシングルを収録し、オリコン週間アルバムランキングで2位、売上はダブルプラチナ(50万枚)を記録した当時のヒット作だ。しかしそれ以上に注目したいのは、その音楽性。本作は、転機となった『STYLE』(2003年)に続いて海外の最新R&B/ヒップホップサウンドを果敢に取り入れた時期の集大成的な名盤である。そんなアルバムについて、Kotetsu Shoichiroに解説してもらった。 *Mikiki編集部
R&B路線の中期を象徴するアルバム
たびたび噂される復帰説、MISAMOのカバーなど、引退後も忘れ去られることのない稀代の歌手、安室奈美恵。
その輝かしいキャリアを、年代と作風によって前・中・後期と分けてみるならば……SUPER MONKEY’Sとしてデビューし、小室哲哉との一連のヒット作で世間を賑わせた1990年代。海外プロデューサーや若手アーティストとともに、ヒップホップやR&Bアーティストとしての存在感をアピールした2000年代。更にワールドワイドなダンスミュージックに挑戦しながらも、潔く引退を選んだ2010年代――と、このようにまとめられるだろう。
そして、2005年にリリースされた7枚目のソロアルバム『Queen of Hip-Pop』は、まさにそんな中期を象徴する一枚だ。
このアルバムに至るまでの経緯――90年代を駆け抜けた安室奈美恵は、世紀の変わり目とともに、新たな〈安室奈美恵〉像を模索し始めた。
安室は、シングル“SOMETHING ’BOUT THE KISS”(1999年)を皮切りに、TLCやモニカのプロデューサーとして知られるダラス・オースティンと出会う。小室哲哉とのコンビネーションに限定されないディレクションが、この時期から始まる。
そして、VERBALやAIといった若手アーティストたちの作品に刺激を受け――AIの作品は安室自らがCDショップで買い、好んで聴いていたという――彼ら/彼女らに安室側からコンタクトを取り、数々のフレッシュなコラボレーションを果たす。
これらの動きは、安室奈美恵という看板からも自由になったプロジェクトSUITE CHICに結実する。この名義では、ZeebraやMICHICOといった、本場アメリカのヒップホップ~R&Bのフィーリングを同時代的に日本にも違和感なく持ち込むことに成功したアーティストたちがサポートを固め、和製R&Bの傑作アルバム『WHEN POP HITS THE FAN』(2003年)をリリース。
そして満を持して、これらの〈R&B期〉の総決算として、『Queen of Hip-Pop』が登場するのだ。