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路上文化の象徴

 もともとハードコア・パンクからヒップホップのスタイルに転じたビースティ・ボーイズだが、〈やんちゃ〉〈悪ガキ〉というパブリックイメージを体現していたのはだいたいファースト・アルバム『Licensed To Ill』(86年)が大ヒットしていた前後の話で、あるいはMVも含めた“Fight For Your Right”の振りまくイメージを真正面から受け取ったままの人も多かったのかもしれない。商業的に失敗するも高い評価を獲得した2作目『Paul's Boutique』(89年)の制作を機にLAに移り、ふたたび楽器を手にして臨んだ『Check Your Head』(92年)がグランジ/オルタナ時代の気風にもマッチしてメインストリームに返り咲いて以降の彼らは、マリオ・カルダートJrやマニー・マーク、エリック・ボボらのブレーンと共に、何をやっても粋に見られる域に突入した。新旧さまざまな音楽や映画へのマニアックな造詣の深さ、知性と俗悪さのバランス、MVなどのダサかっこいいヴィジュアル表現、レーベル運営や雑誌の発行など、サブカルチャー的な目配せの巧さも手伝って、いま改めて振り返ってみなくても、彼らこそが広い意味で90年代の米国ストリート・カルチャーを象徴する存在だったのは言うまでもないだろう。同時に、『Ill Communication』で全米No.1に返り咲いた94年には〈ロラパルーザ〉でヘッドライナーを務め、続く『Hello Nasty』(98年)はUKやオーストラリアなど世界各国でチャート首位に輝くなど、そのスタンスがメインストリームでも絶大な支持を得ていたことは忘れてはならない。

 そんな状態を維持しながら2000年代を迎えたビースティ・ボーイズは、『Hello Nasty』にまつわるツアーを終えると、しばらくはグループの動きを緩やかにするつもりでいたようだ。同作は80年代末に拠点を置いていたLAと地元のNYで制作されたものだったが、彼らは2000年から2001年にかけてNYで過ごしていたという。そのなかで徐々にレコーディングへと気持ちが向きはじめた彼らは、やがてカナルストリートのスタジオに入るようになった。そのスタジオの窓からはワールド・トレード・センターのビルが見えていたという。そして彼らは〈9.11〉に直面することになった。