タワーレコードの〈NO MUSIC, NO LIFE.〉サイトで連載中の〈ポップの羅針盤〉。ポップミュージックがはらむ〈予感〉について、社会の〈羅針盤〉になり得る可能性について、音楽評論家/ジャーナリストの柴那典さんがその時代性を読み解く連載です。最新の第24回からMikikiにも掲載していきます。今回のテーマはジャスティン・ビーバーとYe。 *Mikiki編集部


 

トップアーティストにとって、ステージは〈神話〉を見せる場所になりつつある。

 2026年のコーチェラ・フェスティバルを見て、そう感じた。コーチェラはいまや単なるフェスではなく、YouTubeの映像配信も含めた〈世界最大のプレゼンテーション・プラットフォーム〉になってきている。特にヘッドライナーにとってはそうだ。音楽を奏でて歌うだけではない。趣向を凝らした演出でそのアーティスト自身が〈何を背負っているのか〉を見せる、物語性の強いパフォーマンスを繰り広げるようになっている。

 おそらく起点は伝説となった2018年の〈ビーチェラ〉だろう。そしてそれを加速させたのは、オペラハウスを模した壮麗な舞台とゴシックな世界観をもとに全5幕の完璧なショーを見せた2025年のレディー・ガガだ。そこで号砲が鳴った。楽曲の強さだけでなく、〈何をどう見せるか〉という発想力が競われる場になった。建築、映像、ダンス、ファッション、あらゆる要素を取り込んだ総合芸術としてのステージが構築されるようになった。

 コーチェラだけではない。トップアーティストのモニュメンタルなライブにおいては〈勝負をかけた最初の絵面〉が重要な役割を果たす。バッド・バニーのスーパーボウルでは、サトウキビ畑の中から登場することでプエルトリコの歴史と伝統を背負った自らのアイデンティティを示した。BTSの復活ライブでは、ソウルの光化門広場の空撮で〈韓国という国家の正面玄関〉を背負うようになったグループの現在地を見せた。

 今年のコーチェラでヘッドライナーを務めたのは、サブリナ・カーペンター、ジャスティン・ビーバー、カロルG。それぞれ全く異なる方向性の意味合いを持つライブだった。数々のレジェンドを招き〈ラテンの祝祭〉を形にしたカロルGのパフォーマンスも記憶に残るものだったが、何より印象的だったのはサブリナ・カーペンターとジャスティン・ビーバーの対照的なステージだった。

 サブリナ・カーペンターが見せたのは〈オールド・ハリウッドの夢〉だった。華やかできらびやかなセットを組み上げ、名優たちをゲストに招いたショーを展開した。ヒッチコック的な白黒映画のオープニングムービーに始まり、「オズの魔法使」風のテクニカラーに転じるオープニング、ウォーク・オブ・フェイムの花道、かつてのレコーディングスタジオを模したボーカルブース。ステージには〈SABRINAWOOD〉のサインがそびえ立つ。しかし、華やかであればあるほど、それは同時に強烈な空虚さを感じさせた。そこにあったのは過去への憧憬だった。〈かつてそうした夢が存在した〉という記憶だった。

 もちろんサブリナはそのことに自覚的だ。ショーの物語性の中に〈全てが終わってしまった未来〉から現在を回想する視点が織り込まれていた。そのことが〈年老いた未来のサブリナ〉を演じる中盤のスーザン・サランドン(2週目はジーナ・デイヴィス)の長い独白で明らかになるという構成だった。

 サブリナが見せたのは、かつて栄華を誇った〈ハリウッド的スターシステム〉の輝きを、それが黄昏を迎えていることも自覚しつつ背負う覚悟だった。だからこそ2週目にサプライズで登場したマドンナが〈20年前と同じ衣装で登場した〉演出にも大きな意味があった。サブリナが示したのは〈再演〉としてのアイデンティティだった。