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そして伝説へ

 そのような成功を謳歌しながらも、続いてマイケルを待っていたのは、ジャーメインのモータウン離脱によって可能になったジャクソンズ6人兄弟でのリユニオン作品のレコーディングだった。こうして完成した『Victory』ではあったものの、兄弟が基本的には個別に作る形式となったアルバムは、これまでのグループ作品と比べても不十分なアルバムとなった。何しろ、そこから生まれたジャクソンズ最後のTOP 10シングル“State Of Shock”はマイケルとミック・ジャガーのデュエットだったのだ(マーロンとジャッキーはバック・ヴォーカルに参加)。そうした状況のなかでツアーのスポンサーとなるペプシのCM撮影に参加した際に、マイケルは花火で頭皮に火傷を負うことになる。このあたりの流れは映画にもある通りなのだろうが、ドン・キングが持ち込んだ混乱やメンバー間の摩擦もその過程で強まっていき、最終的にマイケルは同年12月のドジャースタジアム公演後にグループ脱退を発表している。

 こうして本当の意味で完全に独り立ちしたマイケルは、クインシーらが指揮したUSA・フォー・アフリカの“We Are The World”にも楽曲提供者としてシンボリックに参加していく。そのあたりから次なるアルバムへ向けて動いていたはずだが、それと並行して有名税というにはあまりにも異常すぎるほどのゴシップやタブロイド記事などがマイケルを茶化す対象として扱いはじめるようになった。アクセス数稼ぎならぬ部数稼ぎといったところなのだろうが、人気者として勝手に憶測や偏見で語られる状況が顕在化した結果、ますますマイケル本人は世間やメディアに対して心を閉ざしていったのだろう。このあたりは映画でも仄めかされているところだが、そうした無作法な世間の距離感がマイケルを追い詰めていったのだ。

 最終的に7枚目のアルバム『Bad』が届いたのは87年8月のこと。初登場で全米1位を獲得して6週間その座をキープした同作は、5曲のシングルが全米1位を獲得した初のアルバムとなっている。サイーダ・ギャレットとのデュエット“I Just Can’t Stop Loving You”をはじめ、説明不要の“Bad”、キャッチーなウォーキングテンポの“The Way You Make Me Feel”、そのサイーダのペンによる名曲“Man In The Mirror”、スティーヴ・スティーヴンスを迎えたロック・チューン“Dirty Diana”である。他にもMVが有名な“Smooth Criminal”や数々のゴシップにアンサーを返す“Leave Me Alone”など多彩な曲が収録されていた。

 そして、このアルバムを引っ提げて87年9月から89年1月まで行われたのが彼にとって念願の初ソロ・ツアーとなった〈Bad Tour〉だ。日本だけでも14公演で57万人を動員したこのツアーとアルバムの成功は、マイケルの音楽界における圧倒的な地位を確固たるものにした。そして……である。

 映画は以降のマイケルを見舞った理不尽な出来事や謂れのないトラブル、その経緯などについては描いていないし、ここでそれを詳述する意味があるとも思わない。もし噂されているように映画に続きがあるならまたの機会に90年代以降についても触れてみたいが、仮にそうでなくても、今回の映画を入口として、彼の音楽がどれだけ素晴らしいか多くの人が(改めて)知る機会を得たはずだ。あとはそれぞれの皆さんにいろいろ聴いていただくだけです。

マイケルが参加した作品を一部紹介。
左から、ブラザーズ・ジョンソンの80年作『Light Up The Night』、クインシー・ジョーンズの81年作『The Dude』(共にA&M)、キャロル・ベイヤー・セイガーの81年作『Sometimes Late At Night』(Boardwalk)、ビル・ウルファーの82年作『Wolf』(Constellation)、ダイアナ・ロスの82年作『Silk Electric』(EMI)、ドナ・サマーの82年作『Donna Summer』(Geffen)、ポール・マッカートニーの83年作『Pipes Of Peace』(Parlophone)、ジャネット・ジャクソンの84年作『Dream Street』(A&M)、ジャーメイン・ジャクソンの84年作『Jermaine Jackson』(Arista)、ロックウェルの84年作『Somebody’s Watching Me』(Motown)