WILL YOU BE THERE
ファミリーの輪を離れて、次なる挑戦が始まった――規格外のスケールに成長したマイケルは前人未到の道で新しい音楽を創造し続けていくことになる!
76年、ジャクソン5というグループ名と三兄ジャーメインをモータウンに置いていった彼らは、代わりに末弟のランディを加え、新たにジャクソンズへと改名した。姉妹のリビー、ラトーヤ、ジャネットも含む一家でのCBS系列のバラエティ番組「The Jacksons」にてTVデビューを飾ったのに続き、ジャクソンズはフィラデルフィア・インターナショナルを主宰する熟練のヒットメイカー、ギャンブル&ハフのプロデュースでファースト・アルバム『The Jacksons』をリリースした。ここで彼らはモータウン時代から強く望んできた自作曲の収録を初めて許可される。マイケル自作の佳曲“Blues Away”と、マイケル&ティト作となる“Style Of Life”である(メンバーの演奏への参加も叶った)。
ただ、それで喜べるはずもなかったのは事実で、さらにアルバムがゴールド・ヒットに輝いてもモータウン時代ほどの収入には至らなかったそうだ。翌77年の『Goin’ Places』はアルバム自体が不発に終わってしまった。ここでマイケルらはエピックとの契約を更新すると同時に、次のアルバムでのクリエイティヴ・コントロールを許されることになった。78年末にリリースされたサード・アルバム『Destiny』は100万枚以上のセールスを記録し、ジャクソン兄弟のイメージを一気に現代へと引き戻す効果を果たした。なかでもマイケルとランディが書いた“Shake Your Body (Down To The Ground)”が広く支持を集めたことは、マイケルにとっても大きな自信に繋がったことだろう。
より大きいインパクト
それから遡った77年、マイケルはシドニー・ルメット監督のミュージカル映画「ウィズ」に出演するため、姉のラトーヤを伴ってNYに滞在する生活を送っていた。旧知のダイアナ・ロスが主演を務めたこの映画は興行的に失敗に終わったものの、NYでの滞在期間は伝説的なクラブ〈スタジオ54〉によく通い、初期のヒップホップなど刺激的なダンス・ミュージックに触れていたという。この時の経験が自作曲でのパーカッシヴなビートボックスなどに影響を与えたのだという。また、それ以上に、映画の音楽を担当していた大御所プロデューサーのクインシー・ジョーンズに出会ったことが大きかったのは言うまでもない。
そうやって誕生したのが、マイケルにとって通算5作目にして真のソロ・スタートともいえる金字塔『Off The Wall』(79年)である。ここで彼がみずから作り上げた楽曲や選んだスタイルは、往時のバブルガムの延長となる横並びのグループ・パフォーマンスではないソロ・パフォーマーとしての自身を確立させるものとなった。このアルバムからは、光が走るような自作の“Don’t Stop 'Til You Get Enough”と、クインシー御用達の名ソングライターであるロッド・テンパートン作の“Rock With You”が全米1位を獲得。さらには表題曲と“She’s Out Of My Life”の2曲もTOP 10入りを記録。他にもスティーヴィー・ワンダー作のメロウ・クラシック“I Can’t Help It”、ポール・マッカートニーやキャロル・ベイヤー・セイガーらの楽曲を取り上げたアルバムは全米3位まで上昇。グラミーでは“Don’t Stop ’Til You Get Enough”にて〈最優秀男性R&Bヴォーカル・パフォーマンス〉部門を受賞した。ただ、他のアワードも含めて受賞/ノミネートとなるのはソウル/R&B系列の部門ばかり。マイケルはより大きなインパクトを音楽シーンに与えられなかったことを悔しく感じていたそうで、次の機会にはその期待を超えようと誓ったはずだ。
そしてグループがハリウッドのウォーク・オブ・フェイムに星を授与された80年、マイケルはクインシーから得た知識なども活かしてジャクソンズの『Triumph』をリリースする。ここからも多くのヒットが生まれたが、特に重要なのはマイケルが単独で書いて歌った“This Place Hotel”だろう。謂れのない汚名を着せられて愛を失うという内容のこの曲は、その後の“Billie Jean”のアイデアンにも直接的にリンクするものだろう。ヒットした同作のリリース後には北米を〈Triumph Tour〉で回り、そこから生まれたライヴ盤もゴールド・ヒットとなっている。
なお、ジャクソン5〜ジャクソンズの活動を通じては映画ではマイケルにとっての足枷になったような部分が強調して描かれているため、特にジャクソンズについてはグループ時代の作品を軽んじる向きも出てきそうだが、そういう単純な話でもなく、それぞれの作品も素晴らしいし(特に『Destiny』と『Triumph』については傑作である)、マイケルも含むメンバー個々のグループならではの働きも楽しめる。ただ、リード・ヴォーカリストでメイン・ソングライターで歌にもダンス・パフォーマンスにも秀でたマイケルがズバ抜けて実力も人気も圧倒的だったということだ。
世界最高の作品
そして音楽史に残る規模で世界に広がったのが、続く通算6枚目のアルバムとして82年11月にリリースされた『Thriller』だ。引き続きクインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎えたマイケルは、自身のペンによる4曲では共同プロデューサーのクレジットも獲得――オープニングを飾る原始的で未来的なダンス・チューン“Wanna Be Startin’ Somethin’”、ポール・マッカートニーをデュエット相手に迎えて微笑ましい恋の鞘当てを見せる“The Girl Is Mine”、ロック・ビートに乗せて激しいヴォーカリゼーションを聴かせる“Beat It”、そして絶妙に惹かれるシンセ・ワークに導かれた“Billie Jean”、である。これらの楽曲ではヴォーカル・アレンジのみならずホーンやリズムのアレンジまでマイケルが関わっていて、緻密なデモを自身で作り上げていたのであろうことも想像ができる。そんな4曲があったうえで、ロッド・テンパートンによる“Thriller”や、TOTOのメンバーによる美しい万華鏡のような“Human Nature”があり、それぞれが別々のベクトルで最高値を示しているのだから、そんなアルバムが凄まじくないはずがないのだ。
最終的に〈世界最高のセールスを上げたアルバム〉となる『Thriller』は全米チャートで37週間1位を獲得し、7曲のTOP10シングルを生み出した初めてのアルバムとなった(シングル盤でリリースしないとシングル・チャートには入らない時代の話である!)。そのなかからは“Billie Jean”と“Beat It”がNo. 1を記録している。しかも7枚目のシングルとなる“Thriller”がUSでシングル・カットされたのは84年に入ってからということだから、実に足掛け3年もの間、このアルバムは幅広い層のリスナーたちに強烈に作用し続けていたのだ。
そうして、懸案のグラミー賞に『Thriller』を引っ提げて乗り込んだマイケルは当時最多となる12部門にノミネート。そのうち年間最優秀アルバム賞を含む8部門で受賞して当時の最多受賞記録を更新した(ブルース・スウェディンの〈最優秀エンジニアリング録音〉部門を含む)。ここで〈史上最高の作品〉を作るという目標は、ある意味では達成されてしまったのかもしれない。
そして伝説へ
そのような成功を謳歌しながらも、続いてマイケルを待っていたのは、ジャーメインのモータウン離脱によって可能になったジャクソンズ6人兄弟でのリユニオン作品のレコーディングだった。こうして完成した『Victory』ではあったものの、兄弟が基本的には個別に作る形式となったアルバムは、これまでのグループ作品と比べても不十分なアルバムとなった。何しろ、そこから生まれたジャクソンズ最後のTOP 10シングル“State Of Shock”はマイケルとミック・ジャガーのデュエットだったのだ(マーロンとジャッキーはバック・ヴォーカルに参加)。そうした状況のなかでツアーのスポンサーとなるペプシのCM撮影に参加した際に、マイケルは花火で頭皮に火傷を負うことになる。このあたりの流れは映画にもある通りなのだろうが、ドン・キングが持ち込んだ混乱やメンバー間の摩擦もその過程で強まっていき、最終的にマイケルは同年12月のドジャースタジアム公演後にグループ脱退を発表している。
こうして本当の意味で完全に独り立ちしたマイケルは、クインシーらが指揮したUSA・フォー・アフリカの“We Are The World”にも楽曲提供者としてシンボリックに参加していく。そのあたりから次なるアルバムへ向けて動いていたはずだが、それと並行して有名税というにはあまりにも異常すぎるほどのゴシップやタブロイド記事などがマイケルを茶化す対象として扱いはじめるようになった。アクセス数稼ぎならぬ部数稼ぎといったところなのだろうが、人気者として勝手に憶測や偏見で語られる状況が顕在化した結果、ますますマイケル本人は世間やメディアに対して心を閉ざしていったのだろう。このあたりは映画でも仄めかされているところだが、そうした無作法な世間の距離感がマイケルを追い詰めていったのだ。
最終的に7枚目のアルバム『Bad』が届いたのは87年8月のこと。初登場で全米1位を獲得して6週間その座をキープした同作は、5曲のシングルが全米1位を獲得した初のアルバムとなっている。サイーダ・ギャレットとのデュエット“I Just Can’t Stop Loving You”をはじめ、説明不要の“Bad”、キャッチーなウォーキングテンポの“The Way You Make Me Feel”、そのサイーダのペンによる名曲“Man In The Mirror”、スティーヴ・スティーヴンスを迎えたロック・チューン“Dirty Diana”である。他にもMVが有名な“Smooth Criminal”や数々のゴシップにアンサーを返す“Leave Me Alone”など多彩な曲が収録されていた。
そして、このアルバムを引っ提げて87年9月から89年1月まで行われたのが彼にとって念願の初ソロ・ツアーとなった〈Bad Tour〉だ。日本だけでも14公演で57万人を動員したこのツアーとアルバムの成功は、マイケルの音楽界における圧倒的な地位を確固たるものにした。そして……である。
映画は以降のマイケルを見舞った理不尽な出来事や謂れのないトラブル、その経緯などについては描いていないし、ここでそれを詳述する意味があるとも思わない。もし噂されているように映画に続きがあるならまたの機会に90年代以降についても触れてみたいが、仮にそうでなくても、今回の映画を入口として、彼の音楽がどれだけ素晴らしいか多くの人が(改めて)知る機会を得たはずだ。あとはそれぞれの皆さんにいろいろ聴いていただくだけです。
マイケルが参加した作品を一部紹介。
左から、ブラザーズ・ジョンソンの80年作『Light Up The Night』、クインシー・ジョーンズの81年作『The Dude』(共にA&M)、キャロル・ベイヤー・セイガーの81年作『Sometimes Late At Night』(Boardwalk)、ビル・ウルファーの82年作『Wolf』(Constellation)、ダイアナ・ロスの82年作『Silk Electric』(EMI)、ドナ・サマーの82年作『Donna Summer』(Geffen)、ポール・マッカートニーの83年作『Pipes Of Peace』(Parlophone)、ジャネット・ジャクソンの84年作『Dream Street』(A&M)、ジャーメイン・ジャクソンの84年作『Jermaine Jackson』(Arista)、ロックウェルの84年作『Somebody’s Watching Me』(Motown)