クインシー・ジョーンズが91歳で死去した。
ジョーンズの代理人を務めるアーノルド・ロビンソンがVarietyなどに寄せた声明によれば、彼は11月3日の夜、カリフォルニア州ベルエアの自宅で亡くなったという。なお、ジョーンズの死因は明らかにされていない。
クインシー・ジョーンズは、1933年3月14日にアメリカはイリノイ州で誕生。少年時代にトランペットを学んでいたジョーンズは、シアトルのガーフィールド高校に進学してレイ・チャールズと出会う。1951年にはバークリー音楽大学に入学し、ライオネル・ハンプトン楽団に参加。トランぺット奏者として活躍しながら、アレンジャーの腕も同時に磨いていく。
フランク・シナトラ、カウント・ベイシー、デューク・エリントン、エラ・フィッツジェラルドといったビッグネームたちの編曲を手がけ、1960年代にはプロデューサーとしても活躍。プロデュースを手掛けたレスリー・ゴーアの“It’s My Party”(邦題“涙のバースデイ・パーティ”)は、アメリカのビルボードチャートで1位を獲得した。
また「夜の大捜査線」(1967年)や「ミニミニ大作戦」(1969年)、「ゲッタウェイ」(1972年)など映画やドラマのサウンドトラックも手がける傍ら、『The Quintessence』(1961年)、『Sounds...And Stuff Like That!!』(1978年)など自身の名を掲げたリーダー作も多数リリースした。
1978年、映画「ウィズ」の撮影現場でマイケル・ジャクソンと出会ったジョーンズは、翌年リリースのマイケルのアルバム『Off The Wall』をプロデュース。続く『Thriller』(1982年)でもプロデューサーを務めたジョーンズは、マイケルとのタッグでポピュラーミュージックのシーンにおいても不動の地位を築いていく。
『Off The Wall』と『Thriller』の間にリリースしたリーダー作『The Dude』(1981年、邦題『愛のコリーダ』)が大ヒットを記録。収録曲であるチャズ・ジャンケルのカバー“Ai No Corrida”を筆頭に、出自でもあったジャズやフュージョンといったフィールドから飛び出し、ディスコ、ファンク、ブラジル音楽などを取り込んだ作品として高く評価された。
1985年、ジョーンズはアフリカの飢餓と貧困を救済する目的で制作されたチャリティーソング“We Are The World”でプロデュースと指揮を担当。同楽曲にはマイケルをはじめライオネル・リッチー、シンディ・ローパー、スティーヴィー・ワンダーらスターたちが集結した。2024年には“We Are The World”のレコーディングの様子などを捉えた新たなドキュメンタリー「ポップスが最高に輝いた夜」がNetflixで配信され、大きな話題となった。
1987年、マイケルのアルバム『Bad』をプロデュース。1990年代に突入すると“The Secret Garden (Sweet Seduction Suite)”(1989年作『Back On The Block』収録)がヒットしたほか、1997年公開の映画「オースティン・パワーズ」のテーマ曲として“Soul Bossa Nova”(1962年作『Big Band Bossa Nova』収録)が起用されるなど、過去の楽曲や作品が再評価されはじめる。
2003年、生誕70周年を記念したベストアルバム『Q』をリリース。近年は2022年にザ・ウィークエンドのアルバム『Dawn FM』に参加したことで大きな話題を呼んだ。
グラミー賞の公式サイトによれば、ジョーンズはこれまでに同アワードにおいて80回ノミネートされ、そのうち28回も受賞しているという。そうした輝かしい功績以上に、現在まで続くポピュラー音楽の発展に大きく貢献したクインシー・ジョーンズ。彼の訃報についてはただ悲しむことしかできないが、その偉大なるキャリアのなかで生まれた名作の数々に、これからも耳を傾け続けていきたい。