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HISTORY BEGINS
軌跡を辿るほどに物語は厚みを増していく――ジャクソン5でのブレイクを起点に、社会現象を巻き起こすまでに進化を遂げたマイケル・ジャクソンの歴史

 〈史上もっとも成功したエンターテイナー〉としてギネス世界記録に認定されてもいるマイケル・ジャクソン。その功績は説明不要でもありつつ、今回の映画「Michael/マイケル」をきっかけに彼の音楽に触れる人のためにも、ここではジャクソン5から始まった彼の足跡を簡単に振り返っていきたい。


 

すべての山に登れ

 58年8月29日、米インディアナ州ゲイリーの貧しい家庭で、本名マイケル・ジョセフ・ジャクソンは生まれている。父のジョセフと母のキャサリンが授かった10人きょうだいの8番目で、結果的には(生後すぐに早逝した兄ブランドンを除く)9人全員が表舞台で活躍する芸能一家となるが、それもすべてジャクソン5の成功から始まったのだ。

 父のジョセフは鉄工所で働くクレーン操縦士だったが、もともとはプロボクサーをめざし、弟と組んだファルコンズというバンドで成功する夢も抱いていた野心家。強権的で支配的な父親だったことは知られているが、彼の影響で子どもたちが音楽に親しんで育ったのは確かだろう。母のキャサリンも音楽好きで、TVが壊れてからは母の指揮で合唱するのが家族の習慣だったそうだが、そのなかでマイケルは何と1歳の頃に歌いはじめたというから驚かされる。

 そんななか、こっそり父のギターを弾いていた次兄のティト(53年生)が弦を切ってしまったことをきっかけに、60年からジョセフは息子たちを音楽グループとして指導しはじめる。長兄のジャッキー(51年生)、ギタリストのティト、ベーシストのジャーメイン(54年生)の3人に近所の若者を加えてジャクソン・ブラザーズを名乗ったグループは、リード・ヴォーカルのジャーメインを中心に地元で演奏活動をスタートした。63年にはマーロン(57年生)とマイケルがタンバリンとボンゴ担当として加入。同じ年にマイケルが幼稚園で披露した“Climb Ev’ry Mountain”は会場の涙を誘うほどのものだったそうで(これが初めて人前で歌った経験だという)、母の推薦もあってリード・ヴォーカルはマイケルが務めることになった。その後ジャクソン5に改名したグループは人気を拡大し、66年に地元の大規模なタレントショウで優勝して以降、活動の場を広げた5兄弟は黒人クラブを中心にサーキットしながらプロのミュージシャンとして連日ステージに立つことになる。フルタイムのマネージャーとなっていた父から叩き込まれた意識や規範、この時期の下積みの泥臭い経験が後のマイケル・ジャクソンを生み出したのは言うまでもないが、良くも悪くも物心がつく前から舞台に立っていたマイケルに選択肢はなかったのだ。

 67年にシカゴのワン・ダフル!というレーベルでのデビュー話が頓挫するも、68年1月にはスティールタウンという地元のレーベルからデビュー・シングル“Big Boy”を発表し、局地的に1万枚以上のセールスを記録した。当時のマイケルは9歳。初めてラジオから自分たちの歌が流れた時のことを、後年〈家族全員が笑って抱き合った。ついに成功したと感じた〉と回顧している。

 

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モータウンとの契約

 この68年はジャクソン5にとって大きな転機の年となった。7月にシカゴのリーガル・シアターでモータウンに所属するボビー・テイラー&ザ・バンクーヴァーズの前座を務めた際、少年たちのステージに感銘を受けたボビー・テイラーからモータウンへの紹介を約束される(実際はそれに先駆けてグラディス・ナイトが最初にジャクソン5を見い出し、モータウン社長のベリー・ゴーディJrに推薦していたのだが、その時点でベリーは契約を見送っていた)。その月のうちにジャクソン5はテイラーに導かれてデトロイトのモータウンへ赴き、スタッフのスザンヌ・デ・パッセの前でオーディションを受ける。ここで披露されたジェイムズ・ブラウン“I Got The Feelin'”のパフォーマンス録画を観たベリー・ゴーディは態度を一変、すぐにモータウンへ迎え入れることを決定した。まだスティールタウンとの契約期間ではあったものの、11月にはゴーディ邸でのパーティーで来客たちにジャクソン5の顔見せが行われている。

 69年3月にはスティールタウンでの契約を買い取る形でモータウンとの契約が完了。ボビー・テイラーの指揮によってヒッツヴィルUSAでの最初のレコーディングが行われた。グループのポテンシャルに魅了されていたボビーは特にマイケルの貴重な時間を瑞々しく記録するかのように、ミラクルズ“Who’s Lovin’ You”などのモータウン・ヒットやスライ&ザ・ファミリー・ストーンの“Stand!”、アイズレー・ブラザーズ“It’s Your Thing”など新旧のソウル・ナンバーを20曲以上も歌わせている。そのようないわゆる〈大人顔負け〉系の楽曲の多くは初期のアルバムにおいてマイケルの表現力を伝えることになるが、より深く関わることを決めたベリーは8月にグループをカリフォルニアに転居させ、5人は教育係を務めたスザンヌの指導で全国区デビューに向けたファッションや振る舞いを学ばせていく。同時に、自身を含む制作チーム=コーポレーションによって、少年たちの少年らしさをより屈託なく引き出すようなポップな楽曲を練り上げた。そうやって69年10月に発表されたデビュー・シングル“I Want You Back”は、翌70年1月に全米総合チャート/ソウル・チャートの両方で首位を獲得。人種を選ばずアイドル的な人気を集めた彼らの明るい姿は、ベリーがモータウンに掲げた〈Sound Of Young America〉の理想を体現するものだったのかもしれない。ともかく、レーベルが総力を上げたグループとマイケルの鮮やかな快進撃はここから始まった。【次号へ続く】

5月20日にリリースされる日本独自ベスト盤『Michael Jackson & Jackson 5 -The Best-』(ユニバーサル)

5月20日にSHM-CDで、6月10日にLPでリイシューされるジャクソン5の作品。
左から、69年作『Diana Ross Presents The Jackson 5』、70年作『ABC』『Third Album』、71年作『Maybe Tomorrow』(すべてMotown/ユニバーサル)

5月20日にSHM-CDで、6月10日にLPでリイシューされるマイケル・ジャクソンの作品。
左から、72年作『Got To Be There』『Ben』、73年作『Music & Me』、75年作『Forever, Michael』(すべてMotown/ユニバーサル)