フィラデルフィア・ソウルにおける一時代を盛り上げた立役者の一人にして、凄腕の鍵盤奏者としてレア・グルーヴ人気も誇ったデクスター・ワンセル。何度となくリサイクルされる彼の音楽の、その魅力の本質を探ってみよう!

 ギャンブル&ハフの側近としてフィリー・ソウルを支えたレジェンド、デクスター・ワンセルが亡くなった。享年75。訃報をSNSで伝えたのは、現行R&B/ポップスのクリエイターとして活躍する息子、ポップ・ワンセルことアンドリューだ。そこには〈スペースマンは5月31日早朝、ついに火星に到着した〉とあった。ワンセルが76年にフィラデルフィア・インターナショナル・レコーズ(PIR)から発表した初ソロ作『Life On Mars』にかけた言葉だろう。

 シンセサイザーの巧みな使い手だった彼は、宇宙開発への関心が高まった70年代に、アフロ・フューチャリズム的な世界観をコズミックな音で描いた。同時に、70年代中期以降のPIR〈第2幕〉を担うプロデューサー/アレンジャーとしてジャクソンズなどの作品に参加。MFSBの中心人物としても、フィリー・ソウルをストリングス主体のゴージャスなものからキーボード主体のメロウなものへ変えていった。

 

宇宙的なサウンドメイカー

 1950年フィラデルフィア生まれで、本名はデクスター・ギルマン・ワンセル。音楽業界との関わりは、義理の叔父で地元のラジオDJだったジョージー・ウッズのつてで、アップタウン・シアターでの職を得たティーンの頃に始まる。仕事は、シュープリームスのために食事を用意し、ジェイムズ・ブラウンがステージで投げるタオルを受け止めるなどの雑用。それが音楽の道を志すきっかけになったという。

 ジョン・コルトレーンなどを好んで聴き、中学時代にはフルートやチェロを習得。高校時代には、後に名ベーシストとなるスタンリー・クラークと組んだグループでピアノを弾いた。米陸軍を経て、70年にはシンセサイザーを扱える人材としてシグマ・サウンド・スタジオのセッションに参加。やがてカールとローランドのチェンバース兄弟らが組んだイエロー・サンシャインに加入し、ギャンブル発のアルバム『Yellow Sunshine』(73年)では後の作風に繋がるジャズ・ファンク風の曲を披露した。こうしてギャンブル&ハフと繋がったワンセルは、紆余曲折を経てPIRと専属契約を結び、75年頃から同社の音楽ブレーンとなる。PIRで最初に採用された曲はビリー・ポールの“Billy’s Back Home”だったという。プロデューサー/アレンジャーとしてはMFSBの『Philadelphia Freedom』(75年)に始まり、ジャクソンズ、ジーン・カーン、ルー・ロウルズらの楽曲を手掛けていく。バニー・シグラーに誘われてインスタント・ファンクとも行動を共にした。

 同時に、ソロ・アーティストとしても活動を開始。そこでまず放ったのが、天文学者を志したこともある彼らしい火星への想いを、ARPシンセなどを使って幻想的なサウンドで表現した『Life On Mars』だ。このスペイシーなジャズ・ファンク作はNASAの関心も引き、表題曲はバイキング探査機の火星着陸を謳うイメージソングとして使われたという。後年にはレア・グルーヴとしても再評価され、ジャミロクワイのジェイ・ケイは同曲を聴いてジャズとファンクにのめり込んだ。キング・ブリットのようなDJに与えた影響も大きく、2022年にはオポロポによる公式リミックスも登場。また、“Theme From The Planets”のドラム・ビートはヒップホップのサンプリング・ソースとしても定番化している。

 77年のセカンド・アルバム『What The World Is Coming To』では、ジャマイカの緊迫した国内情勢をテーマにしたレゲエ・チューンを収めるなど、貧困や人種的不平等を含む社会問題にも斬り込んだ。続く78年作『Voyager』では、前年に打ち上げられた無人宇宙探査機・ヴォイジャーをテーマに、ファンクの強度をさらに高めていく。Pファンクに憧れていたワンセルは、ジョージ・クリントンに断りを入れてバーニー・ウォーレルのシンセを意識したパーラメント風の曲も作り、PIRでの最終アルバム『Time Is Slipping Away』(79年)に収録した。