格式ある料理店を無国籍な空間に
北爪「会場の演出についても3人で考えたのでしょうか?」
長門「そうですね。アイデアのきっかけになったのは、1975年にヴァン・ダイク・パークスがハリウッドで行ったカリビアンショーの話でした。僕がそのショーを実際に見たわけではないけれど、頭の中でなんとなくイメージを膨らませていった感じですね。
会場の同發新館は横浜中華街のなかでも格式ある料理店でしたが、そのままの内装では『トロピカル・ダンディー』や『泰安洋行』の世界観と違う。だから、中国でも日本でもない、どこの国か分からないような無国籍の空間を作ろうと思ったんです。観葉植物を大量に配置し、壁面は映画撮影所から借りたよしず※で覆いました。とにかく、お客さんが入った瞬間に〈いつもの中華街とは違う〉と感じてもらいたかったんです」
※編集部注 映画やドラマの撮影時に使われる日よけのこと
北爪「演出は視覚だけではなかったそうですね」
長門「“北京ダック”では赤い照明やサイレンの効果音を使い、“ハリケーン・ドロシー”ではテレビ局から借りてきた大型送風機で風を起こしてね。さらに香水を送風機で飛ばして、香りまで演出に取り入れました。音だけではなく、照明、風、香りを含めて、その世界に入ってもらうことを考えたんです」
北爪「まさに五感で体験するイベントだったわけですね」
長門「そう。細野さんの音楽を〈聴く〉だけではなく〈体験〉してもらいたかった。料理、空間、照明、演出、その全部を含めて細野さんの音楽世界を伝える。それまでにない時間を作りたかったんです」
北爪「その場に集まった人たちは、コンセプトを理解していたのでしょうか?」
長門「最初から全員が理解していたわけではないでしょうね。先ほど話したように〈細野さん、どうしちゃったの?〉という反応が当時はまだありましたから。だからこそ音楽ジャーナリストやレコード店の方、文化人などに来てもらったんです。
谷川俊太郎さんや三枝成彰さんには招待状を持って直接説明に行ったし、加藤和彦さんや安井かずみさんにも来ていただいた。このイベントは単なるライブではなく、細野さんが新しく向かっている音楽を体験してもらうためのコンベンションだったわけです」
大学院生だった坂本龍一など歴史的ライブを支えたミュージシャンたち
北爪「続いて、出演したミュージシャンについて伺いたいと思います。この時のメンバーを見ると、『トロピカル・ダンディー』や『泰安洋行』のレコーディングに参加したミュージシャンが中心になっていますね」
長門「基本的にはその時期に細野さんのレコーディングに関わっていたミュージシャンを中心に集めました。当時レコーディングメンバーを手配する場合は、ミュージシャンの斡旋を専門にしていたインペク屋さんを通すことが一般的でした。でも細野さんやティン・パンの仕事では、できるだけ僕が直接ブッキングしていたんです。普段から付き合いのある人たちばかりだったので」
北爪「中華街ライブの出演者も、長門さんが1人ずつ声をかけていった?」
長門「そう。リズムセクションだけじゃなく、村岡建さんをはじめホーンセクションの人たちにも直接お願いしましたね」
北爪「結果的に、このライブの出演メンバーを見ると豪華な顔ぶれですよね。鈴木茂さん、林立夫さん、田中章弘さん、矢野顕子さん、浜口茂外也さん、そして坂本龍一さんも参加されていますが、まだYMO結成前ですよね」
長門「坂本さんが一般的にはまだあまり知られていなかった時期ですが、僕は荻窪ロフトでブッキングをやっていた頃から彼とは付き合いがあったので。当時はまだ大学院生でしたが、その頃から独特の音楽性を持った人でした」
北爪「坂本さんの参加が決まったのは、かなり直前だったそうですね」
長門「もともとキーボードは佐藤博さんを予定していたけれど都合が付かなくて。急遽坂本さんにお願いしたのはリハーサル開始の10日くらい前だったと思います。でも彼はすぐ対応してくれたし、細野さんの音楽への理解も早かった」
北爪「振り返ると、その後のYMO結成に繋がる重要な場だったようにも思えますね」
長門「そうかもしれないですが、でも当時は歴史を作ろうなんて考えていたわけじゃないですから。細野さんがやろうとしている音楽を形にするために必要な人たちを集めただけ、という感じでした」