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矢野顕子と佐藤博の新作も取り上げた〈パラダイス・ツアー〉

北爪「中華街ライブの後、6月24日から〈パラダイス・ツアー〉が始まります。このツアーは『泰安洋行』の発売へ向けたプロモーションという位置付けだったのでしょうか?」

長門「そうですね。アルバムの発売は7月25日ですが、その頃にはもう『泰安洋行』へ向かう流れはできていましたから。だから〈パラダイス・ツアー〉はその新しい音楽を広く知ってもらうためのものでした」

北爪「ただ、細野さん1人を前面に押し出す形ではなかったのですね」

長門「そう。ちょうど佐藤博さんの『Super Market』も発売されたばかりだったし、矢野顕子さんのデビューアルバム『JAPANESE GIRL』もリリース直前でした。だから、この3人の作品をまとめて紹介できるような構成にしようと考えたんです」

北爪「それぞれのアルバムを同時にアピールする場でもあったわけですね」

長門「矢野さんも佐藤さんも、単にバックミュージシャンとして演奏してもらうだけじゃなくて、それぞれの見せ場をちゃんと用意しました。その上で細野さんの新しいトロピカル路線を見せる、そんな構成でした」

佐藤博 『Super Market』 コロムビア/Tower To The People(1976)

矢野顕子 『JAPANESE GIRL』 日本フォノグラム(1976)

北爪「当時のフライヤーを見ると、ティン・パン・アレーでも細野さん単独名義でもないですものね」

長門「細野さんを中心にしながらも、〈ティン・パン・ファミリー〉みたいな感覚でしたね」

 

『泰安洋行』のリリースとトロピカル路線に影響を与えた人物

北爪「そして7月25日に『泰安洋行』が発売されます。タイトルは長崎にあった雑貨店から取られたことで知られています。細野さんは当時のインタビューでも長崎の街が好きだと話されていますが、そのあたりは長崎市出身の長門さんの影響もあったのでしょうか?」

長門「多少はあるかもしれませんね。最初ははっぴいえんどを長崎に呼んでコンサートを開催したんです。その後、細野さんと一緒に仕事をするようになってからティン・パンの〈ファースト&ラスト・コンサート・ツアー〉で改めて長崎や佐世保へ行きました。そのとき初めて街をじっくり見たんじゃないかな。少なくとも僕が長崎へ連れて行かなければ、『泰安洋行』というタイトルにはなっていなかったでしょうね」

細野晴臣 『泰安洋行』 PANAM(1976)

北爪「アルバムのクレジットには長門さんのお名前が〈アシスト〉とあります。これは実際にはどんな役割だったのでしょう?」

長門「副プロデューサーのような感じですね。当時は日本では〈コ・プロデューサー〉という言葉があまり一般的じゃなかったから、クラウンがそういう表記にしたんじゃないかと。参加ミュージシャンのブッキングは基本的には僕が行っていました」

北爪「この頃の細野さんが影響を受けた人物として挙げられるのが、のちの東京ロッカーズの中心人物でもあるS-KENこと田中唯士さんですよね」

長門「そう。田中さんは細野さんと同い年なんですが、世界中を旅してジャマイカなどカリブの音楽を持ち帰ってきていました。彼は細野さんにそうした音楽のカセットテープを渡していて、僕も車の中でよく聴かせてもらいましたね。もちろんマーティン・デニーなんかは細野さん自身も知っていたけど、田中さんが持ってきた音楽や情報は、あの頃のトロピカル路線に影響を与えたと思います」

北爪「『トロピカル・ダンディー』ではA面だけだった異国趣味が、『泰安洋行』でアルバム全体へ広がっていったわけですね。当時としてはかなり風変わりなアルバムだったと思いますが、周りの反応はいかがでしたか」

長門「もちろん異色ではあったけれど、まったく売れなかったわけじゃないんですよ。当時の売上メモが残っているんですが、鈴木茂さんの『BAND WAGON』、細野さんの『トロピカル・ダンディー』、ティン・パン・アレーの『キャラメル・ママ』はどれも2万枚前後売れていたので、『泰安洋行』もそれに近い枚数じゃなかったかなと思います。当時としては健闘していた数字ですが、前年の全国ツアーと〈パラダイス・ツアー〉の影響もあったと思いますね」