
ませがきが見た、リアルタイムの高倉健
高倉健さんが亡くなった。友人の誰かが言っていたが「死なないと思い込んでいた」。日本の俳優のなかでやはり別格といえる「スター」だったのではないか。スターのひとり、ではなく。こういってもいい。高倉健的なイメージはあったが、ほんとうに高倉健という個人は人間はいたんだろうか。そういった意味でのスターである。だから、本稿も追悼でありながらも、徹頭徹尾、高倉健というイメージを通してのものでしかない。ある種、不思議な追悼というべきだろうか。
さて、私自身は、率直にいって、上の世代のファンの方々のような強烈な思い入れはないのだが、かといって、某ニュース番組が追悼コーナーのなかで、左派学生運動の人たちが高倉健に強烈な思い入れがあったことを紹介しただけで、とんちんかんな反応をしてしまうほど無知ではいられないぐらいの中途半端に遅れてきた世代だ。
私が1964年生まれ、健在でいてくれている母が1933年生まれ。高倉健は1931年生まれだ。ちょうど親の世代にあたる。自分でいうのもなんだが、ませていたから、中学生ぐらいからひとりで映画を観に行くようになり、学校をさぼってよくいった。今回、高倉健のフィルモグラフィを見ていて、あらためて気づかされるが、いうまでもなく、やくざ映画の高倉健は既に伝説になったあと、「その後」の健さんをスクリーンで見はじめたことになる。一番初めはなんだったのだろう? 『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)だと話が出来すぎてしまうが、そうだったかもしれない。この作品は、テレビドラマの『男たちの旅路』(山田太一脚本、1976~1982年)と並べて考えるのがいいかもしれない。一方の主演は鶴田浩二。高倉よりやや先輩の戦争の生き残り世代だ。この作品での鶴田の役柄はそのまま鶴田浩二のイメージだ。そして、高倉健は、先行する自らの作品群でのイメージをそのままに、その作品群のなかで生き残ってしまった男という像を役柄にあてているといっていい。それぞれに、彼らの生きて来た日々や経験を知らない若い世代と衝突しながら交流を深めていく話で、どっちの世代の観客も、この作品を通して、未知の他世代を知ることになる。さらにいえば、マセガキの私などは、上の両世代を知ることになるのだが。
その頃から1980年を挟んでの出演作の数々は、だいたい劇場で見ている。並べてみる。『ザ・ヤクザ』(1974年)、『八甲田山』(1977年)、『野性の証明』(1978年)、『動乱』(1980年)…。『君よ憤怒の河を渉れ』(1976年)は、つい最近、たまたま見直す機会があったのだが、こんなにおもしろい映画だったかと思ってしまうほど、ギラギラと危険な作品だった。ほぼ同時期に、東北独立を描いた『蒼茫の大地滅ぶ』も書いている、しかし今は忘れられた小説家になっている西村寿行の怨念がこもった原作の力もあるのかもしれないが、ぎとぎととあぶない空気感が横溢するこの映画のなかでも、高倉健は作品自体を異化するかのような不思議な主役であり続けている。ここでの高倉健はしばらく後に『ブラック・レイン』(1989年)でパワーアップして再登場してくることになると考えるべきだろうが、この二作(と『野性の証明』)は、やくざ映画以後の高倉健のフィルモグラフィではむしろ異色かもしれない。
ただ、正直、この無骨さ、かなわんなあというか、オレには無理だなというのが、リアルタイムでやくざ映画の高倉健を知らないませがきが見た、1970~80年代の高倉健のイメージだったことは明かしておきたい。憧れようにも、無理すぎるのだ。そのイメージを高倉健自身はずっと演じ続けたことはみなさんご存知だろう。
剥き出しと鞘のあいだ
その後に、私自身が20~30歳代になって、ようやく、やくざ映画の高倉健に出会うことになる。『網走番外地』『昭和残侠伝』のシリーズなど、その多くの出演作品のうち、どれぐらい見たかはちょっとわからないが、やはり、この時期の高倉健を見ていないと、「その後」の味わいもなかなかにわかりにくいのではないか。映画史的にも、高倉健はこの時代を生き残ってしまったひとなのだ。
なかでも、今回一挙にDVD化される『日本侠客伝』(1964年)、続いてシリーズ化されての「浪花篇」(1965年)、「関東篇」(1965年)、「血斗神田祭り」(1966年)、「雷門の決斗」(1966年)、「白刃の盃」(1967年)、は、名匠・マキノ雅弘監督による1964年からのシリーズであり1971年まで続いた全11作品のうちの6作品だ。『仁義なき戦い』(1973年)を生むことになる笠原和夫の他、のちに『トラック野郎』シリーズ(1975~1979年)を監督する鈴木則文、『日本暗殺秘録』(1969年)などの中島貞夫などが各作品の脚本を書いている。
物語が連続したシリーズではなく、各作品、舞台を変えながら一話完結の連作ものといった趣きだが、各作品の完成度は非常に高い。このシリーズ自体が、時代の変わり目、映画を取り巻く環境の変わり目のなかで生みだされたといえるが、シリーズに共通した背景は、近代化が進む日本各地で、変化していくやくざの地図のなかでの人びとの生と死を描いているのだ。善悪が、はっきりと前近代と近代、こういってよければ、悪ははっきりと資本とそこに癒着する新興やくざというふうに描かれていることにも驚いた記憶がある。
そういう意味では、やくざを美化してきたともいえる様式的なやくざ映画から、はっきりとした「実録」路線を打ち出した『仁義なき戦い』の胎動を感じさせてくれる作品群といってもいいのではないかと思うのだ。まさに過渡期のやくざ映画シリーズのひとつだろう。ここでの高倉健は、前近代の善の方で常に表れる。勝利する、あるいは、敗北するにしろ「仁義」の側だ。『仁義なき戦い』は、こうした高倉健を回避することで可能になるシリーズであり、高倉健後の俳優たちがキャスティングされたことは、いくつもの層の物語の継続を表わしているといえるだろう。そして、実録路線終焉後(あるいは五社協定終焉後)、生き残っていた高倉健的人物を、高倉健はもう一度演じようとする。どっこい生きている仁義であると同時に、若き日のあやまちを抱え込んだ人間像として。
そして、やはり、高倉健的人間像を味わうのは、やはり『緋牡丹博徒』(1968~1972年)シリーズを見るべきだろう。いわずとしれた藤純子の女性侠客シリーズだが、ここで、高倉健は池部良とともに、あるいは単独で、藤純子を活かし、お竜さんを生かすために、最後まで助け死んでいく男の役を演じている。「花札勝負」(監督・加藤泰)は、高倉健のイメージを知るうえでの決定的な一作だと思う。
「いい刀はな、鞘に入っているものなんだよ」とは、『椿三十郎』(監督・黒澤明、1962年)のなかでの、三船敏郎のなかでの名セリフだが、この時期の高倉健は、剥き出しのまま、自らの激情を、義理や意志でなんとか押さえ込み包み込んでいるかのような存在感がある。鞘に入っているいい刀ではない。下手をすると既に血糊のまみれて刃こぼれしているようなまま剥き出しの刃。しかし、それをまた自らの力で押さえ込み続けている。高倉健の魅力としてよく語られる「耐えて耐えて…」のあとの暴発の力とは、鞘ではないもので押さえ込んだ剥き出しの何かのテンションなのだ。
高倉健(たかくら・けん) [1931-2014]
日本を代表する映画スター。1955年、東映ニューフェイス第2期生として東映へ入社。1956年には映画『電光空手打ち』の主役としてデビューを果たす。以降『網走番外地シリーズ』『日本侠客伝シリーズ』『昭和残侠伝シリーズ』などの任侠映画に主演し、東映の看板スターとなる。『八甲田山』『南極物語』『ブラック・レイン』『鉄道員(ぽっぽや)』『あなたへ』など多数の名作、ヒット作に出演。1978年『幸福の黄色いハンカチ』で第1回日本アカデミー賞で最優秀主演男優賞、2013年に文化勲章を受賞。享年83歳。実直な人柄とひたむきに演技と向き合う姿は、日本だけに限らず世界中の映画ファンを魅了している。
寄稿者プロフィール
東琢磨(ひがし・たくま)
1964年広島県生まれ。音楽・文化批評家。広島市在住。著書として『ヒロシマ・ノワール』(インパクト出版会、2014年)、『ヒロシマ独立論』(青土社、2007年)、『違和感感受装置』(冬弓社、2004年)、『全-世界音楽論』(青土社、2003年)など多数。

「網走番外地」(1965年) の復刻シングルCD。当時のオリジナル音源を収録し2種類のオリジナルジャケットデザインで復刻。

「高倉健~任侠の世界~」(1974年)の復刻盤。『昭和残任侠伝・死んで貰います』『網走番外地』『日本侠客伝昇り龍』『望郷子守唄』計4編から実際の音声を抽出し、高倉健の歌と芥川隆行氏によるナレーションを織り交ぜながら構成した永久保存盤。
▼このたびDVDでリイシューされた作品
左から、『博奕打ち外伝』、『日本侠客伝 浪花篇』、『日本侠客伝 雷門の決斗』、『日本侠客伝 白刃の盃』 、『日本侠客伝 血斗神田祭り』 、『日本侠客伝 関東篇』 、『日本侠客伝』(すべて東映ビデオ)
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▼関連作品
左から、『君よ憤怒の河を渉れ』(KADOKAWA)、『緋牡丹博徒 花札勝負』(東映ビデオ)、『野性の証明 デジタル・リマスター版』(KADOKAWA)、『ブラック・レイン デジタル・リマスター版 ジャパン・スペシャル・コレクターズ・エディション』(パラマウント・ジャパン)
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