©2014 Alain Sarde - Wild Buch

彷徨う犬=愛を見つめるための3DによるJLG新作!

 この短い文章を書くために、僕は本作を二回見た。自らの職業的な勤勉さを喧伝したいわけではない。むしろ職業上の無力さをさらけ出すようなもので、一回目は、ただただ圧倒されるばかりで言葉を失ってしまったのだ。いつもの習慣で何の前知識もなしに試写に臨んだことも理由の一つかと思い、さすがに二回目はもらった資料を事前に隅々まで読んだ。おかげで書き始めることができたわけだが、できれば、あなたにもこの映画を二回かそれ以上は見てもらいたい。一回目は僕のように呆然自失の経験をしてもらうために。だとすれば、別にネタバレなど関係ないはずだが、いったんこの文章を読むのをやめるべきかもしれない。

©2014 Alain Sarde - Wild Buch

 なぜ一回では言語化できなかったのか。テクノロジー方面に疎い僕でも3D映像が二台のカメラで撮影されることくらいは知っている。考えてみれば不思議なことに、僕らはいつも二つの目で世界を見ているというのに、通常の映画は一台のカメラで撮られる。ゴダールによる最初の(そして最後の?)3D映画は、二台のカメラで撮影されたがゆえに、少なくとも二回は見なくてはならないのだ。そんな意味でもシネコンで垂れ流しにされるハリウッド大作とは別物であると考えたほうがいい(それらは何台のカメラで撮られようが一回見れば十分である)。手持ちの撮影で生じるブレが僕らの視線を攪乱し、二台のカメラがそれぞれ別のものを映すショットさえある。当然そこは3Dではなくなるし、船酔いめいた感覚に陥る。二つの目を持つことだけを根拠に、僕らが一台のカメラよりも正確かつ緻密に世界を見ているとは断言できないようだ。

©2014 Alain Sarde - Wild Buch

 僕らの二つの目がカメラの一つの目に劣るかもしれないと認めるとして、犬の二つの目に対してはどうか。ずっと以前にD・W・グリフィスが残した、〈映画に必要なのは、女と銃だ〉との名言を踏まえ、 男と女そして一台の自動車さえあれば映画を撮ることができる……とかつてゴダールはロベルト・ロッセリーニの「イタリア旅行」をめぐり語った。本作で彼は新たな組み合わせによる映画の定義を発明する。男と女そして一匹の犬さえいれば映画は成立するのだ。つねにいがみ合う男女のあいだを犬が彷徨うことで、かろうじて絆が生じる。ダーウィンの言葉として引用されるように、犬は自分より人間を愛する唯一の動物であるということなのか。しかし僕らは、犬が人間を愛するほどには人間を愛することができないのかもしれず、犬によって見られる世界がいかなるものかを知らずにいる。ウェルシュ・シープドッグのつぶらな瞳がいまこの瞬間も僕の脳裏をかすめる。犬の目は世界に開かれている。しかし、僕らの二つの目はいま何を見ようとしているのか。とりあえずは、「さらば、愛の言葉よ」を見つめ、言葉を失うことから始めねばならない。

 


MOVIE INFORMATION
映画「さらば、愛の言葉よ」
監督・編集・脚本:ジャン=リュック・ゴダール
撮影:ファブリス・アラーニョ 
出演:エロイーズ・ゴデ/カメル・アブデリ/リシャール・シュヴァリエ/ゾエ・ブリュノー/ジェシカ・エリクソン/クリスチャン・グレゴーリ/with ロクシー・ミエヴィル(アンヌ=マリー&ゴダールの愛犬)
配給:コムストック・グループ
(2014年 フランス 69分)
2015年1月、シネスイッチ銀座ほか全国ロードショー!
http://godard3d.com/