
絶頂、そして活動休止
〈スロウのジョデシィ〉というイメージは、『Uptown MTV Unplugged』(93年)で披露したスティーヴィー・ワンダー“Lately”のカヴァーが大ヒットしたことでも増長される。そして、セカンド・アルバム『Diary Of A Mad Band』(93年)から先行シングルになったのも、スロウ・バラードの“Cry For You”だった。アルバムのジャケで仁王立ちする彼らの〈腰パン〉な衣装は漁師の仕事着とされ、となると兄弟で闘いに挑む彼らはまるで鳥羽一郎“兄弟船”の世界そのものだが、漁師もとい黒人コミュニティーに訴えかける姿勢は、ファンクネスを秘めたロウなサウンドとメランコリックな曲調でK-Ciのヴォーカルを際立たせた楽曲からビンビンに伝わってきたものだ。制作/演奏面では、前作でのアルB・シュア!と入れ替わるように、当初はルックス担当とも言われたダルヴィンがディヴァンテのサポートを開始。まだ無名だったティンバランドや(当時シスタにいた)ミッシー・エリオットがラップで参加し、彼らをスウィング・モブというコレクティヴで囲い込んでいたディヴァンテは、この後、外部プロデューサーとしても手腕を発揮していく。
ただ、アップタウンがアルバムのプロモーションに力を入れなかったこともあり、サントラ『Murder Was The Case』(94年)収録の“Come Up To My Room”でドッグ・パウンドと共演した彼らは、やがてデス・ロウの総帥シュグ・ナイトと親密に。これが後の2パックとのコラボに繋がっていくのだが、こうしてサグなモードを強めていくなかで制作されたのが、Gファンク調の“Bring On Da Funk”を含むサード・アルバム『The Show, The After Party, The Hotel』(95年)だった。なかでも“Freak'n You”は90年代を代表するスロウ・ジャムとして語り継がれるほどの人気曲となるが、諸々の要因が重なってジョデシィは活動を休止してしまう。その後、ディヴァンテの弟子にあたるティンバランドがジニュワインやアリーヤのプロデュースで成功を収めたことは多くの人が知るところだろう。