1986年、ロシアの映画作家アンドレイ・タルコフスキーは、54歳の若さでヨーロッパの地において肺ガンのため客死、7本という、決して多くはない数の長篇映画が僕らのもとに残された。そのなかで今回ブルーレイ・ディスク化される晩年の3作は、いま、どのように見直されるべきなのか。  

アンドレイ・タルコフスキー,アレクサンドル・カイダノフスキ ストーカー キング(2015)

(C)1979 MOSFILM

 

 まずは、主題や製作にまつわる背景、撮影地などを念頭に、それらの映画を〈亡命3部作〉とすることができる。タルコフスキーが祖国で撮った最後の映画『ストーカー』(79年)は、ロシアを代表するSF作家ストルガツキー兄弟の原作に基づき、〈亡命〉の主題が前面化するわけではないものの、物語のほとんどの部分が、ロシアであってロシアではない、治外法権の無人地帯=ゾーンで展開される。どんな願いでも叶えられるというゾーン内の〈部屋〉に赴くことを表向きの目的に、それぞれに事情を抱える3人の男が立ち入りを厳重に禁止されたその謎めいた空間に潜入するが、実のところ彼らに願いなどなく、ただただ自分の居場所からの脱出と何ら希望を見出せないままでの彷徨いが望まれるかのようだ。つづく『ノスタルジア』(82年)は、最も明白に〈亡命〉を主題に据えた映画である。ミケランジェロ・アントニオーニ作品で知られるトニーノ・グエッラと共同で脚本が執筆された同作では、イタリアを彷徨うロシアの知識人が祖国への消し去り難い想い(ノスタルジー)に押し潰され、タルコスキー自身、同作完成後の84年に実質上の亡命宣言を行う。冒頭で“ロシアの映画作家”としたが、彼が生きたのはソヴィエト時代のロシアであり、その独創的な仕事ぶりが体制側との度重なる対立を招き、今後の創作活動に展望が見出せないなかでの苦渋の決断だった。こうして短い生涯の終わりに名実ともに亡命者とならざるを得なかった映画作家の遺作はスウェーデンで撮影された『サクリファイス』(86年)であり、タルコフスキーへの共感の念を公にしていた同国の偉大な映画作家イングマル・ベルイマンの撮影監督であるスヴェン・ニクヴィストや常連俳優のエルランド・ヨセフソンが参加している。 

アンドレイ・タルコフスキー,エルランド・ヨセフソン サクリファイス キング(2015)

 

 (C)1986 SVENSKA FILMINSTITUTET

 

 ロシアからイタリア、そしてスウェーデンへ……。移動の過程で撮られた3部作を見るうえでの最大の喜びは、異なる風土や光のもと、それぞれの国の一流スタッフとの仕事で達成された映画的技法の数々を味わうことにある。とりわけ『ノスタルジア』は、イタリア的な陽光と遊び心めいたものがシリアスかつ禁欲的と思われがちなタルコフスキーの作風に及ぼす刺激的な化学反応が見どころの傑作である。さらにはタルコフスキーにとっての〈亡命〉が、政治的、物理的問題に収斂されるわけではない点も強調しておきたい。彼の映画では、何の変哲もない扉や窓の向う側に未知の異次元空間が待ち受け、映画そのものが魔法がかった〈亡命者(治外法権)の空間〉の性質を帯びるのだ。 

アンドレイ・タルコフスキー,オレグ・ヤンコフスキー ノスタルジア IMAGICA TV(2015)

(C)1983 RAI-Radiotelevisione Italiana. Licensed by RAI COM-Rome-Italy. All Right Reserved.

 

 2015年の日本でタルコフスキー晩年の3作を見るとなれば、それが〈黙示録3部作〉でもあることに触れねばなるまい。前述の『ストーカー』におけるゾーンは、数年後に起こるチェルノブイリでの原発事故と、その惨事が生じせしめる無人地帯を予言していた。われわれは世界の終わりに直面しており、そこからの救済を懸命に希求すべできある……と主張する男が『ノスタルジア』に登場し、この主題は核戦争が勃発するらしき『サクリファイス』でより鮮明となる。なるほど1980年代は世界的に〈黙示録的想像力〉が流行した時代であって、ソヴィエト・ロシアの映画作家であったタルコフスキーは冷戦という時代的制約の下で映画を撮った。しかし、冷戦やソヴィエトが過去のものとなったとはいえ、それで僕らが“世界の終わり”から解放されるわけではない。自由の束縛ではなく、自由であるがゆえの束縛に苦しむ『ノスタルジア』の主人公をも念頭に置くなら、タルコフスキーにとっての“世界の終わり”は、冷戦の産物である以上に、冷戦後の世界を占う試金石であったはずだ。フクシマ以降の日本、あるいは世界を生きる僕らのなかで、タルコフスキーによる晩年の3部作は新たな相貌のもとに必ずや甦りを果たすだろう。