映画『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』 ―囁きの空間から―
ザ・ビーチ・ボーイズの音楽はたくさんの人を幸福にしたが、その音楽を作ったブライアン・ウィルソンという男を幸せにはしなかった。映画の冒頭、誰もいないスタジオの暗がりの中で、ブライアンがひっそりと呟く。「自分の中には他人がいる。でも、彼がいなくなってしまったら、自分はいったい、どうしたらいいんだろう?」恩寵のように音楽をもたらしてくれる「他人」が、いつ自分の内部から去ってしまうのか。そんな恐怖に脅え続ける孤独な人生を、この映画は人と音(と声)と空間との関係性の中で描こうとする。その感覚は、とても鋭敏で繊細だ。
まず、ブライアンが囁くように微かな声で登場してくる場面に、この映画の「手つき」が集約的に現れている。自動車の販売店で彼が後の恋人になるメリンダに出会うシーン。販売員のメリンダは彼の座る車内に入っていき、彼の隣に座り、ドアを閉める。その一連の仕草の中で、店内の物音が締め出されて行き、やがて音のない車内に彼の囁き声だけが響き始める。以後、ブライアン・ウィルソンという人間は、終始観客の耳元で発せられるような籠った囁き声によって輪郭づけられることになる。まるで、大きな声を出すことで何か大切なものがこぼれ落ちてしまうかのように、彼は声を潜める(だから逆に、彼が大声を出すいくつかのシーンは、不穏で残酷だ)。
しかも、密閉された車内へと空間が狭まるにつれて音が削ぎ落とされていく末に、最終的には囁き声さえも消失してしまう。ブライアンとの会話の果てに、メリンダは声を出すのを憚るように口だけを動かして、「Why?」と問いかけるのだ。
この音楽映画の中心には、音の消滅していく過程がある。ブライアン・ウィルソンの若い年代はポール・ダノが、中年以降をジョン・キューザックが演じているわけだが、ダノのシーンは主としてスタジオでアルバムの制作に没頭する様が描かれるのに対し、キューザックのシーンでは音楽を作っている姿は全く現れない。実際、人間関係の悪化やドラッグを伴う精神の崩壊とともに、彼は音楽を書けなくなっていくわけだが、この稀有なミュージシャンが音楽を失っていく悲劇を、この映画はあくまで彼と周囲の空間との関係が変容する様を描くことで、辿ろうとする。
たとえば、スタジオという空間。傑作『ペット・サウンズ』を録音するシーンで、彼は種々の楽器のみならず様々な物音(アルバムタイトルのごとく犬の鳴き声まで)をスタジオに引き入れて、音の領域を自在に広げていく。録音ブースとコントロールルームを縦横に往来してカラフルな音と戯れる彼は、まさに祝祭の場と化したスタジオの空間に君臨する王のようだ。ただ、そんなときでも、彼の目が静かであることに、見る者は違和感を覚える。彼は熱狂していない。彼の中には常にある静けさがあって、その中で彼は、自らの内部で鳴っている音を聞き逃すまいとする。『ペット・サウンズ』のネオンのようにビビッドな色彩を振りまく音やきらびやかなファルセットボイスとコーラスのまぶされた音楽は、かかる孤独な耳と心から生み出されているのだ。
しかし、と言うか、だからこそ、と言うか、やがて彼が音楽を喪失していくにつれ、スタジオは逆に、彼を脅かす恐怖の空間に変容していく。
音楽に置き去りにされてしまったようなブライアンが、両手を広げてブースの壁に無言で呼びかける姿は痛々しい。何時間も待機させられたスタジオミュージシャンたちが遠巻きに見つめる中を、ブライアンがなす術もなく立ちつくす場面は惨たらしい。専横な父親が突如録音ブースに現れ、ブライアンの音楽の権利を売り払ったことを告げる場面では、カメラはコントロールルームの窓から怖々とブースの中の親子を窺うように揺れ動く。彼を薬づけにして支配するファナティックな医師(ポール・ジアマッティ!)の目を逃れ、メリンダが彼を連れ出してブースに身を潜める場面に、見る者は凍りつく。いきなり窓の向こうのコントロールルームに医師が現れ、彼に呪詛の言葉を投げつけるのだ。まるでホラー映画のようなこのシーンが、恐怖のみならず痛切な悲しみを溢れさすのは、もはやブースとコントロールルームとがガラス越しに決定的に隔てられているからだ。スタジオという王国から、彼自身が追放されてしまったことを告げる、これは瞬間なのだ。
そんな彼を癒す空間が、水の中だ。ブライアンが水中に身を投じて束の間の安逸に身を委ねる場面が何度も現れるのは、無論そこが音のない空間であるからだろう。プールの水中から水面に顔を覗かせると、プールサイドには彼に反発するバンドのメンバーが座っていたりするが、彼は彼らに向かって、こっちの水の深い方で話そうと呼びかけるのだ。また、彼が初めてメリンダと結ばれる契機が、医師の監視するヨットのデッキから海中に飛び込むことであるのも、暗示的なことだろう。
長い別離の後にメリンダと再会するラストシーンは印象に残る。その場面が車内のファーストシーンの反転した繰り返しであることに、見る者は気づくだろう。今回は、彼女が運転する車にブライアンが乗り込み、やがて彼女とともに車から降りた彼は、ある場所を目撃することになる。内側から外側へというベクトルの空間の移動を経て、ある種の救済に至る瞬間が、映画には訪れるのだ。
映画『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』
◎8/1(土)角川シネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか 全国ロードショー
配給:KADOKAWA(2015年 アメリカ 122分)
loveandmercy-movie.jp