国内屈指のオルタナティヴ・ロック・バンドへと成長したTHE NOVEMBERSの新作『Elegance』がリリースされた。2014年の前作『Rhapsody in beauty』がノイズと混沌をまとった〈美は乱調にあり〉を体現していたのに比べると、この『Elegance』に収められた全6曲は、荒野に咲く一輪の花のよう。その美しく整ったフォルムは、〈優雅〉と呼ぶに相応しいものとなっている。そんな本作では、土屋昌巳がプロデュースを手掛けているのも一大トピック。一風堂のリーダーとして名を馳せた80年代にはUKニューウェイヴ・バンドのジャパンにも参加し、ブランキー・ジェット・シティGLAYを筆頭にプロデューサーとしても錚々たる実績を誇る土屋は、還暦を超えた現在もKA.F.KAを率いるなど、麗しいルックスを保ちながら活躍している。

今回Mikikiでは、THE NOVEMBERSのフロントマンである小林祐介と土屋の対談を敢行。このあとにも述べられている通り、小林にとって憧れであった土屋の存在は、バンドを新たなステップに導くのと同時に、作品を通じてアティテュードを示すうえでも大きな指針となったようだ。改めて土屋のキャリアを振り返り、小林とバンドがめざした方向性を確かめながら、2015年の空気を捉えた瑞々しいポップソングが生まれるまでの過程を教えてもらった。インタヴューの後半では、収録曲にまつわるコメントも掲載。美意識の共振を見せる2人の対話は、とても実り多きものになったと思う。 

★THE NOVEMBERS『Elegance』発売を記念し、10月13日(火)21時~より〈THE NOVEMBERS×土屋昌巳 TALK SESSION〉をタワーレコード渋谷店にて開催&タワレボ生配信!

 



僕が影響を受けたものは、みんな昌巳さんに行きつくんです(小林)

――まずは土屋さんがプロデュースするに至った経緯、お2人の出会いについて教えてください。

小林祐介「ジャパン、一風堂にブランキー・ジェット・シティのプロデューサーとしても存じてましたし、憧れの存在でした。いまベンジー(浅井健一)さんと僕がROMEO's bloodというバンドをやっているので、スタジオでの会話などで初期のブランキーのエピソードなんかとかも教えてくださって、そのなかで昌巳さんのお名前も出てきてたんです。それでベンジーさんがプロデュースに関することも話してくれて。〈祐介には、昌巳さんすごく合うと思うよ〉と言ってくれてたんですね。もともと憧れもあって、いつかTHE NOVEMBERSも昌巳さんにプロデュースしてもらえたら素敵だなっていうのは希望として抱いていたので。思い切って、〈実は、土屋昌巳さんにプロデュースしてもらえたら嬉しいんだ〉ってベンジーさんに伝えたんです。そうしたら、〈電話しておくわ〉と言ってくれて」
浅井(ヴォーカル/ベース)、小林(ギター)、有松益男(ドラムス、BACK DROP BOMB)によって2014年に結成されたバンド

【参考動画】ブランキー・ジェット・シティの94年作
『幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする』収録曲“青い花”
土屋は92年の2作目『Bang!』以降、東芝EMI時代のスタジオ盤でプロデュースを手掛けた

 

――具体的にどういった部分で相性が良さそうとか、そういうお話もされたんですか?

小林「いや、そういうのはなにも(笑)。とにかく、いいと思うと言ってくれて」

――土屋さんはもともとTHE NOVEMBERSのことはご存じでした?

土屋昌巳「存在は知ってましたけど、実際に音は聴いてなかったですね」

――このプロデュースの話を受けて、どのように思いました?

土屋「いまの話の続きになりますけど、もう突然電話がかかってきて。まあベンジーはいつも突然なんだけど(笑)。例によって何の説明もなく〈ええがや〉の一言で。祐介くんもわかっていると思うけど、あんまりそういうことを言わない人だから。その一言でわかっちゃうのね、すべてが。だから、〈わかった〉と。それからすぐ(THE NOVEMBERS側から)連絡が来て。じゃあどこかで会おうかと」

――いい話ですね。それで?

土屋「今日に至ります」

小林「ものすごい飛ばしましたね(笑)」

土屋「ええがや(笑)」

THE NOVEMBERS
ミッシェル・ガン・エレファントやくるりなどの写真で知られる佐内正史が撮影

 

――小林さんは以前から80sニューウェイヴの影響を公言していますよね。過去のインタヴュー記事でジャパンに言及しているのも見かけましたが、土屋さんの音楽活動からの影響はやはり大きいんじゃないですか?

小林「もちろんです。最初にニューウェイヴを聴くきっかけになったのが、スミスキュアーだったんですね。そこからもっとダークなほう……ジョイ・ディヴィジョンとかバウハウスとか、デッド・カン・ダンスとかを掘り下げていって。それでジャパンに触れたときに胸がときめいたんですよ、あのシンセの音に。最初に聴いたのが『Tin Drum』だったんですけど」
※ジャパンのラスト作にして最高傑作の誉れ高い81年の5作目(試聴はこちら

――シンセの名機、プロフェット5が大活躍の一枚。

小林「オリエンタルな雰囲気があるシンセに惹かれて、それまでに僕が聴いてきたニューウェイヴとは別の入り口になりましたね。キュアーの可愛らしいポップソング、スミスのナイーヴさ、ジョイ・ディヴィジョンのダークな感じのどれとも違う。それが僕のなかのジャパンでした」

――ジャパンといえば、OKAMOTO'Sハマ・オカモトさんによるMikikiの連載〈ハマ・オカモトの自由時間 ~2nd Season~〉で、ジャパンのライヴ盤『Oil On Canvas』を取り上げていて(記事はこちら)。土屋さんがギター・ソロをまったく弾かずに静止しているパフォーマンスを、ハマさんが絶賛していたんですよ。あのプレイにはどういう意図があったんですか?

【参考動画】ジャパンの83年の『Oil On Canvas』収録曲“Methods Of Dance”
『Oil On Canvas』は土屋がサポート・ギタリストとして参加した
ジャパンの82年ツアーを収めた一枚。土屋のパフォーマンスは3分30秒過ぎから

 

土屋「いや、カッコイイだろうなと思って(笑)。〈地蔵ギター奏法〉というか、最強の技は〈弾かない〉ってことだろうと」

小林「ある意味、究極のギター・ソロですもんね」

土屋「それを最初にやったのはシド・バレットなんですよ。ピンク・フロイドのUSツアー中のことですけど、彼はものすごくデリケートな人だから、ステージの上で緊張して金縛りみたいになっちゃったんですよね。ピンク・フロイドといえば、プログレとかアート・ロックとして当時から人気バンドだったから、アメリカ人は固まってるシドもそういうものだと思って、〈すごい!〉って驚いたわけですよ」

小林「シドは風貌がまた素晴らしいから、あれで動かなかったらパンチあるだろうな」

土屋「フロントマンが何もしないわけですからね。とはいえ、本当に何もやらなくなったら大変だから、そのときのために穴埋め用の影武者として雇われたのがデイヴ・ギルモアだったわけです」

【参考動画】シド・バレット在籍時のピンク・フロイド、“Jugband Blues”のパフォーマンス動画
シドは薬物摂取とストレスで精神を病み、68年にバンドを脱退している

 

――そのエピソードからヒントを得たんですか?

土屋「いや、それは後付けですね(笑)。ピンク・フロイドの最初のマネージャーだった人とたまたま知り合って、教えてもらいました。でも大事だよね、そういう歴史を知っているということも。だってニューウェイヴが、祐介くんにとっては生まれる前の現象なわけでしょう」

小林「(生まれ年の)85年といったら、ニューウェイヴ真っ只中ですもんね」

土屋「厳密に言うとニューウェイヴが流行っていたのはもう少し前で、85年はニュー・ロマンティックスの時代だね」

――土屋さんはニュー・ロマンティクスの象徴的バンドである、デュラン・デュランのメンバーとも共演されているんですものね。アーケイディアに参加して。
デュラン・デュランのサイモン・ル・ボン、ニック・ローズ、ロジャー・テイラーが85年に結成したバンド。85年作『So Red the Rose』には、デイヴ・ギルモアやスティング、アンディ・マッケイ(ロキシー・ミュージック)らと共に、土屋もギターで参加

土屋「そうですね。そのへんはちゃんと順番があって、ロキシー・ミュージックが頂点で、ジャパンは彼らに憧れていた。僕は(ブライアン・)フェリーさんとも会ったり、ロキシーのメンバーと一緒にレコーディングもさせてもらったんだけど、ジャパンのデヴィッド(・シルヴィアン)は会ったこともないんですよ。自分たちが嫌われていると思っていたから。メロディーとかリフとか、ロキシーからいろいろ拝借していたからね。でもフェリーさんは全然気にしてなくて、むしろ褒めてたんですよ。だから、あのときもっとコミュニケーションしていれば良かったんだけど、そういう上下関係ってハッキリしているものだから。デュラン・デュランのニック・ローズはジャパンの大ファンで、最初はアーケイディアにスティーヴ・ジャンセン(ジャパンのドラマー)を誘っていたんだけど、ジャンセンは断ったんですよね」

――最初の浅井さんの話にも象徴される通り、そういう上下関係のコミュニケーションをTHE NOVEMBERSは大事にしている印象がありますね。あと、一風堂はヴィジュアル系の先駆けとも言われている存在ですけど、THE NOVEMBERSはその方面のバンドが担ってきたある種の美学も継承しているのかなと。

【参考音源】一風堂の82年作『Lunatic Menu』収録曲“すみれ September Love”
一風堂のオリジナル・アルバムは現在廃盤となっており、
2010年のベスト盤『ESSENCE: THE BEST OF IPPU-DO』が比較的入手しやすい

 

小林「でも僕は、〈ヴィジュアル系だから好き〉というわけではなかったんですよね。DIR EN GREYとかcali≠gariとか、あの辺は好きでしたけど。ラルク(LArc~en~Ciel)はヴィジュアル系じゃないんだと意地になって主張してます(笑)。でも、ラルクのyukihiroさん(※)だって、昌巳さんを見てそういう美しい方向に目覚めたとおっしゃってましたし」
※小林はyukihiroのサポート・ギタリストも務めるなど、親交が深い。

――そうなんですね。

小林「先祖とか遺伝の話でいうと、僕が影響を受けたものはみんな昌巳さんに行きつくんですよ」

――土屋さんも、小林さんとは趣味のテイストもそうだし、美意識においても近しいものを感じたんじゃないですか?

土屋「そうそう。たまたま〈美感〉が似ていたおかげで、いろいろなステップをすっ飛ばすことができて。おかげでレコーディングも結果的にスムーズでしたね」

〈WORLD HAPPINESS 2015〉でKA.F.KAを率いてステージに立つ土屋昌巳

 

――今回こうしてお2人が一緒にやられるのは、ある種の美学を継承している過程にも映るんですよ。お2人がゆっくりお話されたのも、今回の制作が初めてだったんですよね?

小林「そうです」

――土屋さんにお会いしたら、いろいろ訊いてみたいことがあったのでは? それこそ、質問攻めにしたりとか。

小林「質問攻めというよりは、なにかきっかけがあったときに、いろんな話を聞かせてもらえるので。それが軒並みおもしろかったですね。自分たちが憧れているバンドの活躍の裏でこんなハプニングがあったとか、あれはこんなふうにして作った、こういうふうに録音したんだよとか、そういうエピソードを教えてもらって。物語を読んだり、歴史の教科書を学んでいるようでした」

――YouTubeやレコードなどで過去を学ぶ方法はありますけど、本人に会って話を訊くのが一番貴重な機会ですよね。

土屋「そういうのが一番おもしろいですよね。僕も本を書いた人に会ったりするのが大好きです」