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TOWA TEI × 砂原良徳 × 小山田圭吾
(インタヴュー・文/小野田雄)

 高いテンションを維持したまま、ソリッドなトラックに大人の引きの美学を貫いているMETAFIVE。世代を超えた6人のメンバーにあって、血肉化したYMOのエレクトロニックなモダニズムを90年代以降の音楽シーンに継承したTOWA TEI小山田圭吾砂原良徳の3人が語るMETAFIVEの実体とは?

――METAFIVEは、〈3人のブライアン・イーノ〉がいるバンドだと伺っています。

TEI「幸宏さんがブライアン・フェリーで、LEO君がデヴィッド・バーン……」

小山田「ゴンちゃん(ゴンドウトモヒコ)もブライアン・イーノだから、僕ら3人じゃなく、4人なんじゃない?」

TEI「いやいや、小山田君は(トーキング・ヘッズトム・トム・クラブキング・クリムゾンなどでプレイしたギタリストの)エイドリアン・ブリューだから(笑)」

――そう聞くと、METAFIVEはいったいどんなバンドなのかっていう。

砂原「ブライアン・イーノが3人もいるバンドなんて、普通は成立しませんよ!」

TEI「ま、イーノ本人ではなく、イーノがいいなって言ってるだけの3人なんで(笑)」

――しかも、2014年に高橋幸宏 & METAFIVEとして結成された時点では、YMOが行ったシンセ・オリエンテッドな〈WINTER LIVE '81〉の再現が念頭にあったんですよね?

砂原「ライヴをやるためにこのメンバーが招集されたんですけど、その時、幸宏さんから〈当時のYMOっぽい感じでやるのはどうかな?〉っていう提案があって。それ以外にもTEIさんが2013年に出したアルバム『LUCKY』で幸宏さんが歌った“Radio”だったり、METAFIVEを具体化していくうえでいくつか重要なものがあったんです」

TEI「ライヴ後も、2014年9月に小山田君が音楽を手掛けていた映画『攻殻機動隊ARISE border:4 Ghost Stands Alone』のサウンドトラックで、小山田君のアイデアをもとに、高橋幸宏 & METAFIVEとしてシングル“Split Spirit”を作らせてもらったり。そういうステップがありつつ、去年の2月にアルバムを作ろうという話になり、飯を食おうと集まったものの、何にも決まらず。ただ、グループ名をMETAFIVEに変更することになり、ただひとり、ゴンちゃんだけが持ってきたデモに対して、みんな何て言ったらいいかわからず(笑)」

砂原「フライングでしたからね(笑)。ただ、そのデモをみんなで聴いてる雰囲気もすごい良くて、これはいい感じになるかもという感触はありました」

TEI「まったくの白紙状態だったわけじゃなかったからね。ライヴの経験だったり、“Radio”や“Split Spirit”といった曲があったから、そうしたものを軸にすれば曲は考えやすかったし、考えるうえでの制約はなかったけど、ひとり2曲は責任を持つというノルマもそれぞれに課せられていたし」

小山田「幸宏さんとLEO君が歌うという了解事項もなんとなくありましたからね」

TEI「みんな、2人のヴォーカルが好きだから、インストも普通に作るメンバーが集いながら、結果的には全曲歌ものになった」

砂原「そういう意味で、アルバム制作には入っていきやすかったんですよ」

――楽曲でいうと、『LOVEBEAT』の作風を発展させたような“Whiteout”はまりんさんらしい曲だと思うんですけど、TEIさんとまりんさんが共作した“Luv U Tokio”と“Albore”はどちらが主体となって作ったのか、パッとはわからないですよね。

砂原「“Luv U Tokio”は、〈リード曲になりそうなものを書くように〉という指令のもと、僕が作った土台にTEIさんが曲のバックボーンを与えてくれて、それに対して僕がまた具体的な音を乗せていったんです」

TEI「その作業と平行して、僕が歌詞を書いて、それをさらに膨らませるべく、LEO君と2人で喫茶店に行ったんですよ。かたや、“Albore”は僕が主体となって、まりんに手伝ってもらった曲で、ソロの時なら最後は自分で仕上げるんですけど、この曲は余白を残して、LEO君にメロディーを埋めてもらったり、みんなに預けっぱなし。パッとわからないのは、METAFIVEらしいケミストリーが働いたからだと思いますね」

砂原「今回はそうやって全曲に全員が参加していて、僕とTEIさんだけ、何曲かまったく触っていない曲があるという。小山田君は全曲に関わってるでしょ?」

小山田「ほんのちょっとだけ触った曲もあるけど、まあ、そうだね」

――METAFIVEにあって、小山田さんはギタリストに徹していますよね。

小山田「そうですね。自分のアルバムでは、自分で電子音を入れたりもするんですけど、METAFIVEにはそういうことを得意とする人がたくさんいるから、METAFIVEでの自分のポジションはギターかなって」

砂原「ギタリズム(笑)!」

――そのギタリズムを活かした小山田さん作の“Don't Move”では更新されたニューウェイヴ・ファンクが展開されています。

小山田「制作の最初の段階で、まりんが〈踊れる感じがいいんじゃない?〉って言っていたのをなんとなく覚えていて。ソロでやるには元気すぎるんだけど、LEO君が歌ったら、ちょうど良さそうなトラックを作って、みんなに投げたんですよ。その際には、みんなの音が入ることを想定して、余白を残しておいたんですけど、もともと自分で考えておいたメロディーラインもあえて抜くことにしてて、そこにTEIさんとLEO君が歌を乗っけてくれたという」

――幸宏さんがYMOそのものであることは言うまでもありませんが、この作品を聴いて、そこまで意識させることがないYMOと3人の距離感についてはいかがですか?

TEI「僕とまりんはYMOから音楽に入ったことを公言しているし、小山田君はYMOのサポートをずっと務めてきたこともあって、YMOが引き合いに出されることが多いんですけど、言われてイヤだということじゃなく、METAFIVEではYMOはそんなに意識してないよね?」

砂原「してないですね。僕が言うのもおかしな話ですけど、METAFIVEをYMOの代用品と捉えられるのは気持ちがいいものじゃないんですよね。だから、オリジナル曲を早く作りたかったし、その際に自然と滲み出るものを隠すことなく、今回、自然体でMETAFIVEらしい作品が出来たんじゃないかなって思いますね」

TEI「ジャケットを描いてくれた五木田(智央)君ともよく話していたんだけど、自我の芽生えなのか、一時期、YMOから距離を置く〈ツッパリ期〉があって(笑)」

砂原「あるある」

TEI「僕の場合、それはNYに渡った87年頃なんですよ。当時、日本で聴いていたレコードは持って行かず、黒人音楽しか聴かないと思っていたし。そう思っていても、たまにクラブでDJがYMOの“Firecracker”とか(坂本龍一の)“Riot In Lagos”をかけているのを耳にしたり。つまり、僕らにとって、YMOはすでに自分たちの血となり、肉となっている音楽であって、“Radio”にしても、温泉に入ってる時に思い浮かんだメロディーと歌詞の一部が図らずして幸宏さんを思い起こさせるものだったから、お願いして歌ってもらったんですけど、この曲にはバグルスの〈ラジオスターの悲劇〉のようなキッチュさやヒップホップをはじめとするいまの音圧感もあって、YMOの影響がすべてではないんですよ」

――この作品では、当時のヴィンテージ・シンセサイザーをズラッと揃えて制作に臨んだわけでもないですしね。

TEI「そうそう。ただ、SKETCH SHOWHASYMOも含めて、近年のYMO周辺の音は〈静〉のイメージであるのに対して、ライヴありきで始まったMETAFIVEは〈動〉というか、フィジカルに訴えかける音楽になってる」

砂原「幸宏さん自身も〈静〉のサイドにいることが多かったと思うんですけど、動きがあるMETAFIVEでの幸宏さんのプレイもやっぱりいいなと思いましたね」

TEI「合ってるよね。実際、本人は相当にタフだし、ドラムを叩く時には一番肉体を酷使してますからね」

小山田「フィジカルな音楽という意味では、僕らより若いLEO君という存在がいて、彼に引っ張られたところもある」

砂原「引っ張られたというか、引っ張ってほしいという期待もあったし、LEO君という素材をどう活かしていこうかということも考えながら作業していた部分もあって」

TEI「そういう意味で、METAFIVEにはまだまだヴァリエーションがあるんですよ。まあ、みんな、それぞれに忙しいから、この先のことはまったく決めてないし、決めないのがMETAFIVEらしいとは思うけど(笑)」