5オクターヴのフォルテピアノとの対話 モーツァルト《トルコ行進曲》異版
オランダで活躍中のフォルテピアノ奏者・江黒真弓さんの帰国公演は、目白の自由学園・明日館でオリジナル楽器コンサートシリーズの第一弾として催された。神秘的な木肌の1820年制作のフォルテピアノで演奏する19世紀のウィーンの音楽。アンコール曲は思いがけずモーツァルトの《トルコ行進曲》。デビューアルバム表題曲でもある。ファゴット・ペダルから生まれる装飾音がオスマントルコの栄華を感じさせる。歴史的な楽器による奥深い世界を鑑賞できた。
話題のデビューアルバムは、オランダのスキーダムにあるウェストフェスト教会で2015年7月に録音された。ご本人所有のフォルテピアノは、アントン・ツィーラー作で1800年頃、モーツァルト時代の逸品だ。5オクターヴの音域を持ち、全音に二本ずつ弦が張られ、モーツァルトの愛した「シュタイン」に近い音色が実現できたという。一曲目のピアノ・ソナタ第一番ハ長調K.279は、「自分らしく、動きたいイメージで」選曲。《トルコ行進曲》については、 「一昨年ハンガリーで見つかったモーツァルト自筆譜とベーレンライター原点版の相違点を見比べて、リズムや音を自筆譜通りに弾いて納得しました」
とにかく“行動力と即決”のひとだ。桐朋学園音楽科の4年生の時に受講した有田正広氏の〈古楽〉の授業。そこで初めて聴いたフォルテピアノの演奏に衝撃を受け、19世紀のピアノ〈プレイエル〉の一音を触った瞬間に虜になり、方向転換を決意する。親を説得し、実家のグランドピアノも手放し、古楽の道へ。まずは、チェンバロから有田千代子氏に師事して学び、来日中だったフォルテピアニスト、スタンリー・ホッホランド氏の演奏を聴いて、オランダ留学を即決。アムステルダム音楽院・フォルテピアノ科でホッホランド氏に師事し、修士号を取得。アントワープ音楽院で教える側にも立った視点は理性的だ。
「フォルテピアノはパワーを求めて弾くものではありません。広いホールよりはサロンで演奏されます。産業革命後、ピアノ製作の技術は変化しましたが、木の質を大切にした手づくりのピアノとの対話にはぬくもりを感じます」
音楽院で知り合ったナチュラルホン演奏家のヒルケ・ローゼマ氏は人生のよきパートナーであり、〈タリス・アンサンブル〉のメンバー同志だ。「夫とはオランダ語で話し、子どもたちとは日本語で話す」母性のひとでもある。ヨーロッパでの暮しは、オリジナル楽器にも多く出会えて恵まれている。
「5オクターヴはようやく自分の血と肉になってきたかな。古楽器から学ぶことは多いです」