2015年12月に、16年間の活動に幕を下ろしたPE’Z。その一員として華々しい活動を繰り広げてきた門田“JAW”晃介(テナー・サックス)が新たなステップを踏み出した。彼をリーダーに、Yasei Collectiveの松下マサナオ(ドラムス)と中西道彦(ベース)、さらにはジャズ新世代を象徴するプレイヤーの一人である宮川純(キーボード)――世代の異なる4人によって結成されたのがBARBだ。彼らのファースト・アルバム『Brew Up』には、この4人ならではの世界観が早くも描き出されている。
今回は門田に加えて、BARBの初作がリリースに至るきっかけを作った人物であり、近年は彼と急速に共演の回数を増やしているトランぺッターの類家心平を招いて対談取材を敢行。『Brew Up』についてはもちろん、〈同い年の2人から見た現代のジャズ事情〉をテーマに話を訊いた。
このままじゃマズイな
――お2人が初めて会ったのはいつ頃なんですか。
門田“JAW”晃介「もう2年ぐらい経つんですかね?」
類家心平「そうですね」
門田「(PE’Zの)解散を発表する直前だったので、2014年の11月だったと思います。(松下)マサナオくん主催のセッションで初めて会ったんですよ。PE’Z主催のクラブ・イヴェントがその年に2回あったんですけど、その2回目にYasei Collectiveに出てもらったことがあって、その縁で僕もマナサオくんに呼んでもらったんです」
類家「PE’Zとはデビューが同じぐらいだったし、お互いのことは知っていたものの、それまで面識はなかったんですよ」
――意外ですね。PE’Zと類家さんが参加されていたurbは、2000年代前半にすごく近いところで活動していた印象があるんですけど。
門田「そうですよね。まあ、僕らが勝手に孤立していただけだと思うんですよ(笑)」
類家「SOIL &“PIMP”SESSIONSとは近いところでやっていたし、JABBERLOOPの人たちとも交流があったけど、PE’Zの方々だけはどうも近付き難いものがあって(笑)」
門田「よく言われるんですよ(笑)。自分たちのなかではまったくそんな意識はなかったけど、ミュージシャン同士の付き合いがあまりなかったのは確かで」
――お互いの音楽についてはどう思っていましたか?
類家「PE’Zはメロディーをすごく大事にしていて、インスト・バンドであることへのこだわりが強かった印象がありますね。urbはジャズというよりも、ファンクやR&Bも採り入れた音楽をやろうという意識が強かったんですよ」
門田「PE’Zは、間口を極力広くすることを考えながら突き進んできたところもあって、親しみやすさは意識していましたね。urbは一貫してクールな印象があって、すごくカッコイイと思ってた。ただ、一緒にやることはなかったですね、不思議なことに」
類家「urbは2004年にデビューして2年でやらなくなっちゃったから、そこもあったと思うけど」
――90年代の後半から2000年代前半にかけては〈クラブ発信のジャズ〉という視点が広く浸透しましたけど、PE’Zとurbはその点でスタンスが共通していた面もあったと思うんですよ。
類家「そうですね、それはあったと思う。クラブやDJがポピュラリティーを得るようになって、クラブ・カルチャーとジャズメンが混ざり合ってきた時期ですよね。ソウライヴやレタスみたいなジャム・バンドが日本でも人気になって、ジャズ周辺の音楽をインストでやるという方法論が一般的になってきた頃」
門田「やってる側はあまりそういう意識はなかったかもしれないけど、最初の頃のPE’Zがクラブ発信のバンドだったのは間違いないし、そこはPE’Zもurbも共通していましたよね。そこから両バンドとも枝葉が分かれていったというか」
――そういえば、お2人とも76年生まれなんですよね。
門田「そうそう。僕は76年の5月27日……27日生まれなんでしょ?」
類家「そう、4月27日(笑)。ちょうど1か月違いだ」
――例えばジャズへの意識や音楽へのスタンスなど、同世代ゆえに共有している感覚というのはあるんでしょうか。
門田「話が通じやすいというのはありますけどね。ただ、特別な意識というものはないと思う」
類家「さっき言った〈クラブ発信〉というスタンスは、僕らの世代以降の感覚かもしれないけど。僕らのちょっと上の世代だと90年代にジャズ維新という動きがあって、山田穣さん(アルト・サックス)や多田誠司さん(同)、三木俊雄さん(テナー・サックス)のような、当時の若手の方々が出てきましたよね。彼らはウィントン・マルサリスあたりをモデルとしながら独自のスタンスでジャズを追求していたけど、僕らの世代はR&Bやドラムンベース、ヒップホップといったいろんな音楽の一つとしてジャズをやろうという感じが強かった。urbと同時にデビューしたgroovelineもバークリー音楽院に留学していた仲間同士で結成されたバンドだったし、urbの鍵盤のショウちゃん(菱山正太)もバークリーの卒業生。でも、そこでストレートアヘッドなジャズに行かず、クラブ発信の音楽をやろうとしたわけで、そういう人たちは多かったんですよ」
門田「僕らの世代でももちろんストレートアヘッドなジャズに向かっていた人はいたけど、〈クラブ・カルチャーとの接点〉というのは僕らの世代から一つのテーマみたいなものになりましたよね。そういうバンドもたくさんいたし」
類家「ただ、もっと下の世代になると、ちゃんとジャズをやってる。ビバップもちゃんとできるし――そういう世代ごとの違いはあると思います」
――そういう世代ごとの違いはいま、シャッフルされつつある?
類家「いや、そこは昔から一緒だと思いますよ。いろんな世代とやるのは昔から変わらないし、僕も以前からいろんな世代のミュージシャンとセッションしてきたので」
門田「僕はPE’Z一辺倒でやってきちゃったけど、類家くんは昔からセッションも精力的にやっていたよね。だから、彼とは同い年だけど、一人のミュージシャンとしては大先輩なんですよ」
類家「いやいや(笑)」
門田「PE’Zの後期には下の世代の人たちと一緒にやる必然性を感じるようになって、それでPE’Z主催のセッションをやるようになったんです。ただ、その直後に解散することが決まって、僕も一人でPE’Z以外のセッションに出ていくようになったんですね。そのなかで〈高校生のときにPE’Zを聴いてました!〉と若いプレイヤーに言われることもよくあって」
――そうか、そういう世代のプレイヤーが増えてきてるんですね。
門田「そうなんですよ。そういう子たちのなかには真剣にジャズと向き合ってきて、すごくいいプレイヤーになってる人もいる。そこで自分も、このままじゃマズイなと危機感を持つようになったんですね。下の世代のプレイヤーはすごい連中ばっかりなんですよ(笑)」
類家「最近の若いモンは……本当に素晴らしいんですよ(笑)」
――ジャズを取り巻く現状についてはどう思われますか? 〈ジャズ〉という言葉が内包するものも2000年代とはだいぶ変わってきたと思うんですが。
類家「自分と同じトランペッターとしては、マイルス・デイヴィスという強烈なアイコンがいるわけですけど、近年になって大きく(ジャズにおけるトランペットの)スタイルが変わったのはロイ・ハーグローヴ以降だと思うんです。R&Bやヒップホップの要素がジャズにグッと入ってきたという意味ではすごく大きな転換期だったし、その後にロバート・グラスパーのような人も出てきたわけだけど、それに対して自分たちがどう向き合っていくか、そこに尽きるところはありますよね。同じことをやっても仕方ないわけで」
門田「まあ、そうだよね」
類家「もちろんリスペクトはありつつ、自分たちの表現としてどこまで彼らに近付いていいものか、もしくは離れるべきか――その塩梅は考えざるを得ないんですよね。もちろんグラスパー以降でジャズの形そのものが変わったことは間違いないけど」
門田「ヨーロッパのほうが雑食性の高い、おもしろい表現が出てきている感じはありますよね。ポーランドにピンク・フロイト(PINK FREUD)という変わったバンドがいて、3年前に来日したときに一緒にやったことがあるんですけど、めちゃくちゃロックな曲をやったりフォーマルな4ビートをやったり、自分とも少し似た匂いがしました。ただ、類家くんが言ったように、自分の表現として何をやるかということがいちばん重要なのは間違いないと思います」